はじめに 活発な読者として

学生時代から私は好きな本を何度も手に取っては、メモなども作り読後感想などを書きちらしてきました。定年後も折を見ては関連する書籍に目を通し続け、新たな知見も得てきました。しかし、私は次第に自分なりに考察したことを文書にまとめてみようと思うよ…

目次 名作の心音 

各セクションのタイトルにカーソルを運び、クリックすると当該ブログ記事へ飛ぶことができます。 はじめに 活発な読者として 第一章 フランス文学 マルセル・プルースト「失われた時を求めて」対話的創造のほうへ Ⅰ コンブレの就寝劇 Ⅱ 恋人アルベルチーヌ …

Ⅳ.立ち広がる新しい小説世界 「失われた時を求めて」 対話的創造のほうへ 4/4

アルベルチーヌも、祖母も、作曲家ヴァントゥイユも、作家ベルゴットも、多くの人物が死んでゆき、喪失の悲しみは深まります。コンブレも第一次世界大戦の戦闘地域になり、戦死者が多く出ます。パリもドイツ軍機による空襲に世界ではじめてさらされます。闇…

Ⅲ.ゲルマント公爵家と主人公の変貌 「失われた時を求めて」 対話的創造性のほうへ 3/4

この長編小説では当初主要テーマとして照明を浴びて舞台前面を占めていたパリ社交界や恋愛模様が、読み進むにつれやがて少しずつその重要性を薄めてゆきます。反対にそうした全般的な流れに逆らうようにして、それまで目立たなかった脇役たちが舞台の袖から…

Ⅱ. 恋人アルベルチーヌ もうひとつの愛 「失われた時を求めて」対話的創造のほうへ 2/4

第二篇「花咲く乙女たちのかげに」に恋人になるアルベルチーヌが登場します。彼女は英仏海峡を臨む保養地バルベックの海を背景にして現れる娘たちのグループのひとりです。女性もまたがるようになった自転車を好んでいて、その頬は冬の朝の輝きのように紅潮…

Ⅰ.「失われた時を求めて」 対話的創造のほうへ 1/4

マルセル・プルースト(1871−1922)の長編小説「失われた時を求めて」は大伽藍に例えられることもあって、何やら近寄りがたい長編のように語られることがあります。しかし、その特有な展開の仕方に慣れれば、けっして難解な書物でも美の巨峰などでも…

お勧めフレンチ・ア・ラ・カルト

芭蕉は江戸に旅立つ門人にはなむけとして、次のような俳句をひねりました。 梅若菜丸子の宿のとろろ汁 猿蓑 新春の道中には、梅もある、若菜もある。丸子の宿(静岡市内)ではおいしいとろろ汁が待っている。色彩豊かで味覚まで刺激されます。芭蕉の弟子を励…

創作 火の鳥

www.youtube.com 東京からようやくキャンプ場に着く。友人Oの小さなワンボックスカーのカーナビが不調で、長野県に入ったあたりか、ディスプレイのマップが突然真っ白になる。道案内の標識を読み間違えてしまい、大回りする羽目になり、夕方遅くになってやっ…

書評 工藤庸子「プルーストからコレットへ いかにして風俗小説を読むか」(中公新書 1991)を再読する

数年前に読んだ本書を今回再読してみたが、残念ながらやはり論述の速さについてゆけない箇所がいくつか残った。著者の工藤氏は多数の引用を行うが、集められた資料は、時に狭い意味での風俗の事例として使われている。 結論部分でも、著者工藤氏は女性と性的…

永井荷風 もうひとつの「断腸亭日乗」

銀座禁燈 永井荷風は、関東大震災後百貨店などが次々と建てられてゆく銀座に興味をおぼえ、しばしば自宅の偏奇館のある麻布から帝都銀座に足を向けるようになる。しかし、永井は酔客が銀座通りで喧嘩をしたり「酒楼」で乱暴を働いたりする姿を見たりするうち…

越境する芸術・文化

現代文学では、都市が描かれることが多くなる。「失われた時を求めて」第一ペン篇「スワン家のほうへ」と同年に刊行されたアポリネールの詩集「アルコール」(1913年)巻頭の「地帯」と題された詩でも、自由な詩法で現代都市パリの活気に富む生活が、 オ…

村上春樹「羊をめぐる冒険」における名付け

ユニークな傑作「羊をめぐる冒険」(1982)は、様々な横糸縦糸から織りなされているので、あらすじを一筋縄でまとめることは容易ではない。しかし、次のようにレジュメすることもできるのではないか ― 主人公「僕」は人の名前をすぐ忘れる男で、小説冒頭…

谷崎潤一郎 ー 音曲の活用

谷崎潤一郎の作品群ではしばしば母恋いのテーマが展開される。これは評論家江藤淳も指摘することである ― 「(谷崎潤一郎)氏の心の底には、幼いうちに母を喪ったと感じさせる深い傷跡が刻印されていたはずである。そうでなければ「母を恋い慕う子」というラ…

クリスマス(2/2)  ザルツブルグ

ザルツブルグ在住の友人に招かれて、クリスマスを一緒に過ごしたことがあった。パリから夜行列車に乗って約8時間だったか。パリに比べてアルプスの北に位置するオーストリアだから、金髪で長身の人が多いはずと思って駅に降り立ったが、意外にも北に来たと…

クリスマス(1/2)  パリ

パリに留学していた時、クリスマス・イヴにシャルトル大聖堂に向かった。大都会パリを出ると、すぐに闇が広がる。真っ暗な麦畑を友人の車で一時間走っただろうか。やがて遠くに何か黒々とした細いものが、小さいながらも空に屹立するのが見えてきた。視線は…

書評 芳川泰久「謎とき『失われた時を求めて』」新潮社2015年

本書「謎とき」の前半と後半で論じられている二点に絞って、感想を述べたい。本書の後半で著者は、主人公と母親がヴェネチア滞在中に訪れる洗礼堂の場面(第6篇「消え去ったアルベルチーヌ」)に注目する。このサン=マルコ寺院では、母親は聖母のイコンと…

「失われた時を求めて」第1篇「スワン家のほうへ」を読む

「失われた時を求めて」の第1篇「スワン家のほうへ」を読む愉しみはどこにあるのだろうか。第一部の田舎町コンブレや第三部のパリの平凡とも見える日常の描写にも魅力は潜んでいる。その生活描写には実は主人公を創造行為へと誘い導いてゆく力が底流となっ…

街を歩く フィレンツェを有元利夫と

ローマやヴェネチアよりも、私はフィレンツェの町を歩くのが好きだ。ローマには、ローマ帝国の威容を誇る巨大な建造物が多いし、遺跡群も規模が大きい。そのためか生活の匂いがするようなおもしろい街角や広場を見つけることがややむづかしい。哲学者ベンヤ…

(2/2) 「銀河鉄道の夜」続篇創作 「銀河ふたたび イーハトーヴのほうへ」

カムパネルラは銀河のほとりでまだ生きているのです。カムパネルラはいつもそうして少し遠くから振り返るようにしてジョバンニを導いてきたし、何かとジョバンニのことを気遣ってくれたのです。 ジョバンニはもう何も云うことができず、家を飛び出し、町のほ…

(1/2)なぜ「銀河鉄道の夜」の続篇「銀河ふたたび イーハトーヴのほうへ」を創作するのか

www.youtube.com 「銀河鉄道の夜」は、作者宮沢賢治が亡くなる1933年(昭和8年)までの10年間、繰り返し書き直されました。現在残されている最終稿にしてもそれは決定稿ではなく、賢治が生きていれば、その後にも加筆や訂正が行われたはずの未定稿と考えられ…

絶品 鴨とクレソンの山椒鍋

www.youtube.com コロナ禍もピークを越え、店にも客足が戻り始めた4月、中軽井沢の村民食堂に行きました。村民食堂入り口の季節限定ランチ・メニューに、目が釘付けになりました。そこには、「鴨とクレソンの山椒鍋」というメニューが大きく書かれています…

私の好きな俳句 加藤楸邨と芭蕉

私は加藤楸邨の俳句に惹かれる。表現される世界は多様で多彩で、俳句特有の俳味に溢れる句も少なくない。 くすぐつたいぞ円空仏に子猫の手 「吹越」 円空が彫った精神性に富む仏に、子猫の手がじゃれている。親しみを含んだ笑いが広がるが、謹厳な仏が「くす…

プルーストの文はなぜ長いのか

『失われた時を求めて』の文体は長い。平均的な文の長さの二倍にもなることもしばしばだ。冒頭のまどろみや、それに続く小さな田舎町コンブレの描写においても、使われる表現はむしろ平明なまま静かにゆったりと文章が繰り広げられてゆく。難解な語彙や美辞…

戦時下のフランスに島崎藤村が見たもの

小説家島崎藤村(1872−1943)は、第一次世界大戦前後の混沌としたフランスに3年間滞在する。藤村はすでに『家』などの自伝作家として評価を得ていた。社会の偏見に苦しみつつ目覚めてゆく個人の内面を凝視する求道的作風で知られていた。しかし、「家…

ディープなフランス

1972年にフランス政府給費留学生試験なるものを受けたら、運よく合格。26歳の時にパリの高等師範学校(エコールノルマルシューペリウール)とパリ第四大学大学院に在籍することになった。印象派の美術館オランジュリやルーブル美術館にしばしば歩いて通…

コロナ禍の日々:酉の市招福熊手、パン生地、母

www.youtube.com 11月 某日 神社で開かれていた酉の市に行ってきました。コロナ禍にあっても、市は以前にもまして賑わっていて、招福熊手もよく売れていました。商談成立後の威勢のいい三本締めの掛け声が小雨模様の露店のあちこちからはじけました。手締…

甦る旧軽井沢別荘

www.youtube.com 山荘風の旧別荘を久しぶりに訪ねてみた。近親者が所有していた縁で、三十年以上毎年夏になると家族でその別荘に通った。しかし、昭和6年に建てられた木造の別荘は、骨組みこそしっかりしたものではあったが、軽井沢特有の湿気に90年間さ…

創作 「火の鳥」

www.youtube.com 東京からようやくキャンプ場に着く。友人Kの小さなワンボックスカーのカーナビが不調で、長野県に入ったあたりか、ディスプレイのマップが突然真っ白になる。道案内の標識を誤読して大回りする羽目になり、夕方遅くになってやっとテントにた…

堀辰雄『風立ちぬ』に誤訳はあるか

大野晋・丸谷才一『日本語で一番大事なもの』の中で、丸谷才一は堀辰雄の小説『風立ちぬ』(1938)を取り上げて、言います、「巻頭にヴァレリーの ”Le vent se lève, il faut tenter de vivre.”という詩が引いてあります。それが開巻しばらくしたところ…

ちょっと一息

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