クリスマス(2/2)  ザルツブルグ

 ザルツブルグ在住の友人に招かれて、クリスマスを一緒に過ごしたことがあった。パリから夜行列車に乗って約8時間だったか。パリに比べてアルプスの北に位置するオーストリアだから、金髪で長身の人が多いはずと思って駅に降り立ったが、意外にも北に来たという感じがしない。イタリア人のような南ヨーロッパの人を思わせる体型の人が多い。長くザルツブルグに住む友人に聞くと、中世の頃ローマ帝国が南からアルプス越えをして侵入してきてザルツブルグに長く居座ったからだ、ローマの遺跡もいくつかあると言う。人口は15万人で、こじんまりとしている。モウツァルト生誕の町だ。夏にはフェスティバルに参加する音楽巡礼者も多いはずだ。昔の看板に手を少しだけ加えて、店頭に掲げる店もある。
 ザルツブルグのクリスマスイヴは街全体が祝祭的な雰囲気を楽しもうとしているようで、素晴らしかった。夕食後、友人たちと連れ立って街を歩く。大きな教会の扉を開けてみる。とたんに中から声量豊かな大合唱が溢れる。教会の厚い石の壁でもって閉じ込められていたものが、一気にはじける。バッハのクリスマス・オラトリオだ。教会内で反響していたいくつかの声部が熱気とともにどっと外に広がる。
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 オラトリオは二時間半は続く長大なものなので、演奏途中
だったが教会を後にして、また街を歩くことにする。あちこち家の窓辺に赤いローソンが立てられ、火が灯されている。部屋によっては内部がすっかり見える。家は個人のプライバシーを守る所ではなくなり、イヴの今夜はとても開放的だ。

Bing image creatorによる

 広場に立ち寄る。有名なクリスマス・マーケットが設けられていて、賑わっている。何も買わないでひやかすだけだが、それだけでも楽しい。どうやら今歩いているのは、ザルツブルグの市民たちだけに知られている恒例の<クリスマス・ロード>らしい。市民たちは毎年そのコースに繰り出すらしい。
 墓地にも入る。自由に中に入るコースが整備されている。雪で覆われた墓石に赤いローソクが、二本ずつだったか立てられている。闇の中で雪の白とローソクの炎の赤が鮮やかなコントラストを描き出している。墓地の死者たちにも祝祭に参加させようとする市民の心配りが、暖かい気持ちにさせてくれる。生者たちも生者に呼び出される死者たちも、ともにイヴを祝おうとしているようだ。

ザルツブルグのクリスマスマーケット

 街の人たちと一緒になって<クリスマス・ロード>をぶらついているうちに、ふたつ目の大きな教会の前に着く。大きな扉を開ける。先ほどの教会で演奏されていたバッハのオラトリオの声部が、同じように響き渡りどっと溢れる。何本かのトランペットのひときわ高く鋭い音も何台かのティンパニーの音も、石の壁を突き破るように外に響き出る。声量は音量と一体となっていて、その迫力にまたしても圧倒される。
   
 そのクリスマスから二年経った頃だったか、留学生活を終え、私は東京に戻った。いくつかの大学で不安定な非常勤講師の生活を始めた。そのうちのある冬の夜、思い立ってバッハのクリスマス・オラトリオのCD2枚を歌詞カードや楽曲解説がケースに付けられているのを確かめたうえで買った。なにしろ私にとっては思い切った、大きな買い物なのだ。アパートの狭い一室でCDをラジカセに入れ、最初から聞いてみる。第1部第1曲を合唱隊が高らかに歌い始める。私はCDに付けられていた歌詞カードで歌の日本語訳を追った ― 歓呼の声を放て、歓び踊れ・・・。

Instagramでバッハのクリスマスオラトリオの冒頭(一部)が流れます。

 すると、ラジカセに応えるようにして、ザルツブルグで聞いたオラトリオの豊かな声量が甦ってきて、東京の安アパートの一室に溢れた。東京の小さなラジカセで聞くオラトリオと、ザルツブルグのふたつの教会で耳にしたオラトリオが響き合うように重なった。
 このクリスマス・オラトリオは、1734年のイヴにバッハ自身の指揮で初演されている。バッハもライプティヒのふたつの大きな教会を往復しながらオラトリオを指揮した。バッハはひとつ目の教会でイヴの早朝に指揮を始め、午後にふたつ目の教会に合唱隊とともに移動して、第一部後半を指揮している。バッハはその後もライプツィヒのふたつの教会を合唱隊と一緒に行き来しつつ指揮し続ける。全6部の指揮を終えたのは翌一月六日だった。初演が行われたドイツのライプツィヒも、シューマンメンデルスゾーンが名曲を作曲したヨーロッパ有数の音楽の街で、この点でもザルツブルグと重なり合う。
 ライプツィヒザルツブルグというふたつの音楽の街にあるそれぞれふたつの教会で、イヴにオラトリオが演奏されたことになる。ふたつの演奏が、二百四十年くらいの時間差を乗り越えて、またその二つの街にあいだに引かれている国境もまたいで行われていたことになる。私はそのことにCDに付けられていた「楽曲解説」を読んで、はじめて気づいた。
 聞いたこともないオラトリオの初演の音が耳の奥で鳴り始めた。ザルツブルグで聞いたオラトリオの音が、私の想像上での初演再生に音をつけてくれる。CDで聞くオラトリオが、ザルツブルグでイヴに実際に聞いたオラトリオを呼び戻し、さらには沈黙していた初演まで呼び出そうとする。長いあいだまどろんでいたライプティヒでの初演演奏に息が吹き込まれ、歌が立ち広がろうとする。
 ザルツブルグとライプティヒの音は混ざりあい、賑やかな時空を駆け巡る曲となり、東京のアパートの一室にまで溢れる。ザルツブルグでの響きはバッハの初演に祝祭性を与える。声部にさらに声部が加わり、響きはさらに広がろうとする。私がCDを再生したことが引き金となり、初演時の音響までが立ち広がろうとする。

 オラトリオは教会のあいだを巡回しながら歌う聖歌隊のものではなくなり始めている。記憶が薄れて不鮮明になりかけているからか、オラトリオはふたつの教会のものでも聖歌隊のものでもなくなり始めている。
 歌声はふたつの教会からはみ出し始め、まるで音漏れするようになって外の街に広がり出ようとしている。今や、街や市民たちがまでもが歌い始める。街までが歌を歌う。そういえば、クリスマス・オラトリオはもともとは世俗音楽として作曲されたのだ。街中で演奏され、合唱されてもおかしくないはずだ。教会にしたところで、本来そこは周囲の世俗的な街と隔絶された狭く閉ざされた場ではないはずだ。語源からして教会は「呼び出された者たちの集い」のことであり、その集会は街中のあちこちにおいて行われてもおかしくはないはずだ。
 歌声は広がり始め、新たに他の歌を呼び醒ます。ザルツブルグでの演奏は、街の境界さえも乗り越えて広がり始める。街からさらに外へとはみ出ようとする。歌声は場所や時間という制約を越え、他の街にまで呼びかけ始める。
 国境を越え時間を越えて増幅されるオラトリオは、CDを再生している私の小さなラジカセにも歌いかけてくる。遠くから呼びかけてくる合唱に共鳴しようと、私の小さなラジカセも懸命に音量を上げている。私のラジカセは、彼方から響いてくるいくつもの歌声に応えて、小さいながらも全身で歌を歌い返そうとしている。アパートの狭い一室のラジカセは、繰り返し大波になって押し寄せてくるオラトリオのいくつもの歌声に、必死になって自分の歌でもって歌い返している。
 私はただ安アパートでラジカセの再生ボタンを押しただけだった。しかし、小さなCD音源はザルツブルグの祝祭の歌を呼び醒ますだけではなくなった。呼び醒まされた歌声は、今度は初演の歌まで呼び起こした。波状となる音量はさらには、遠くから反転するようにして東京にまで押し寄せてきて、今度は私のラジカセにも呼びかけてくる。  
 重奏される大音量はまだ眠っている歌声まで呼び醒まそうと、いつのまにか手動的な立場に立っている。東京の小さなラジカセに、もっと歌えと遠くから迫ってくる。
 CDから流れる歌を聞くうちに、私自身も思わず知らず引き込まれてゆく。小声でもって口ずさみ始める ― 🎵 歓呼の声を放て、歓び踊れ・・・。

                編集協力  KOINOBORI8
                               
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