私の好きな俳句 加藤楸邨と芭蕉

 私は加藤楸邨の俳句に惹かれる。表現される世界は多様で多彩で、俳句特有の俳味に溢れる句も少なくない。

    くすぐつたいぞ円空仏に子猫の手     「吹越」

 円空が彫った精神性に富む仏に、子猫の手がじゃれている。親しみを含んだ笑いが広がるが、謹厳な仏が、「くすぐったいぞ」と実際に子猫に向かって口にしているようで、まるで加藤楸邨が仏になり代わったかのようだ。「すべての物の中にひそんでゐ声は、こちらが聞きとめる心の耳を持ちさえすれば、かならずきこえてくるはずのものである」と楸邨は書いている。
   
    梨食ふと目鼻片づけこの乙女        同前 

 梨に少女が無中になってかぶりついていて、その大きく開けた口だけが眼に止まる。目や鼻などはどこかに片付けられてしまっている。「この」乙女と書かれているので、乙女が目の前にいるようで、彼女への親しみがさらに湧いてくる。
 いわゆる花鳥諷詠の句や、こじんまりとした、またこまやかな日本的情緒の作品はあまり多くない。むしろより鳥瞰的で、よりダイナミックな視点から句が構成されることが多い。例えば、この二句。

    息白く寝し子ペガサス軒を駆け    「山脈」
    放電に似て少年語朝虹に       「まぼろしの鹿」

 ペガサスは、ギリシャ神話では天馬とも表記され、天にも昇り、雷鳴と雷光を運ぶ役割を担う。こうして二句を並べてみると、寝ている間に、ペガサスから雷鳴を聞き取リ、雷光を眼に留めた少年が、翌朝不思議なペガサスの言葉を口にし、虹を空にかけている、といった光景が目に浮かぶ。大きな時空が編まれ、想像が自由に大胆に駆け巡る。
 といっても、私がとりわけ強い印象を受けたのは、次のような句のほうだ。

    隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな   「雪後の天」

 前書に「後鳥羽院御火葬塚 三十三句」とあり、掲出句はその末尾の句。隠岐島の御火葬塚をかこむ木々の芽吹きに目をみはり、そこに押し寄せる怒涛に楸邨は自らの思いを託している。隠岐を訪れるときの楸邨の心の昂りが感じられる。
 後鳥羽上皇鎌倉幕府によって島流しにされ、悲運の生涯を隠岐で閉じるが、楸邨は優れた歌人としての上皇に会おうと思い立ち、東京から旅をする。芭蕉の「後鳥羽院の書かせ給ひしもの」「この御ことばを力として、その細き一筋をうしなうことなかれ」(「野ざらし紀行」)という文を読んだ楸邨は、その文に突き動かされ、隠岐への旅を決意する。楸邨は大病を乗り越え、俳誌「寒雷」を創刊したばかりだった。旅行鞄には、芭蕉野ざらし紀行」と後鳥羽院撰定「新古今集」の二冊が入れられた。列車事故による不通のため予定は大幅に遅れる。境港に着くものの、海は荒れ、隠岐島への連絡船は欠航。翌日になって荒波にもまれながら船はようやく島に向かう。
 これはただの客観写生ではない。木の芽は、後鳥羽上皇の優れた歌群を表しているように私には読める。そこに隠岐に向かう楸邨の熱情が怒涛となって打ち寄せている。楸邨は、後鳥羽上皇と出逢おうとしている。上皇と邂逅することによって自らの文業を高め、また確たるものにしようとしている。
 また、楸邨は、俳句改革を試み、虚子の「ホトギス」から脱皮する機会を模索するようになる。その頃、同じ意欲に燃えていた水原秋桜子と出逢うが、次の句はそうした場面を彷彿させる。

    はしりきて二つの畦火相搏てる     「寒雷」

 前後する句を読むと、句の背景には田園風景が広がり、夕暮れ時の畦火(あぜび)はその赤みを増してゆく。この畦火には、人間の深い心情が潜んでいる。自己の内面だけでなく、他者の生き様も描かれ、他者と自己との出逢いが劇的とも言える激しさで演じられている。
主宰する「寒雷」創刊号(昭和15年)の巻頭言で、楸邨は高揚した調子で書いているー「現今の如き時代の雑誌は、かういふ時代にふさわしく、新しい人間の力を呼び起すやうなものでなくてはならぬと信ずる」。
 確かに、人間探究派とも呼ばれた楸邨は、人事をよく詠んだ。しかし、また同時に自然詠の傑作も数多く残している。

    秋蝉のこゑ澄み透り幾山河       「寒雷」

 芭蕉の「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」を踏まえて作られた句だろう。高館で作られた作品だが、ここは義経終焉の地であり、中学時代の加藤愀邨はここを何度も訪れている。
 蝉の声を聞き止めた山河は、蝉に呼応するようして生動し、声を豊かに増幅させてゆく。山河が蝉の声を反響させる、幾重にも。微細なものを受け止めた山河は、自らの生の時空間を呼び覚ましてゆく。

 愀邨の「隠岐はいま木の芽をかこむ怒涛かな」の句は、芭蕉佐渡島を詠んだ句を連想させる。

    荒海や佐渡に横たふ天の河       「奥の細道

 佐渡島に渡る舟が出る出雲崎に数日止まり、佐渡島に流刑された順徳天皇 ― 父親後鳥羽上皇と同じく優れた歌人 ― に共感をおぼえた芭蕉は、悲しみに暮れている。「奥の細道」で訪れたそれぞれの土地で、芭蕉はその地ゆかりの西行や能因や実方などの歌人たちをしのび、追慕している。佐渡にもっとも近く、島への舟が出る出雲崎の港でも順德天皇という悲運の歌人に思いをはせている。安寿と逗子王の母親のことを思ったかもしれない。「銀河の序」で遠島を言い渡された人に思いを巡らせるが、そればかりか芭蕉俳諧でも流人たちの生活をしばしば詠んでいる。
 しかし、佐渡出雲崎の間には、天の河がかかる。実際は、天の河は島に横たわるようには見えないようだ。しかし、事実に反してでも現実を昇華させ、芭蕉は天の河を島と出雲崎の間の空にかけた。情景は静止的ではなく、写生を超えた動的な心象風景が形成される。そうすることで、芭蕉は天空にはるかなものにつながる道を作り、島にまで届く橋をかけようとしたのではないか。天の河でもってつながる佐渡出雲崎は、かすかな光を投げかけあおうとする・・・・。
 楸邨も芭蕉も、モノローグにふけっているのはない。旅情を風景に託しただけでもない。自己完結した一元的な世界に自閉するのではなく、他者に働きかけている。ふたりの俳人はともに流刑地としての小さな島に情愛を込めて呼びかけ語りかけている。そればかりか、島から応答を引き出そうとして、耳を澄ましている。
 現在という瞬間にとどまってもいない。いずれの俳人も流刑に処せられた後鳥羽上皇や息子の順德天皇という遠い過去にまで浸透し、幾重にも重層する時間を揺り動かそうとしている。


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