目次 名作の心音 

各セクションのタイトルにカーソルを運び、クリックすると当該ブログ記事へ飛ぶことができます。

 はじめに  活発な読者として 

第一章 フランス文学
マルセル・プルースト失われた時を求めて」対話的創造のほうへ
 Ⅰ コンブレの就寝劇
 Ⅱ 恋人アルベルチーヌ もうひとつの愛 (生成AI画像)
 Ⅲ ゲルマント公爵家と主人公の変貌  (生成AI画像)
 Ⅳ 立ち広がる新しい小説世界       
プルーストの文はなぜ長いのか        
越境する芸術・文化             
書評 工藤庸子「プルーストからコレットへ いかにして風俗小説を読むか」 1991年 
書評 芳川泰久「謎解き『失われた時を求めて』」 2015年

 
第二章 日本文学
谷崎潤一郎 音曲の活用 
永井荷風 もうひとつの「断腸亭日乗」     
戦時下のフランスに島崎藤村が見たもの     
堀辰雄「風立ちぬ」に誤訳はあるか       
村上春樹「羊をめぐる冒険」における名付け   
私の好きな俳句 加藤楸邨と芭蕉 (生成AI画像)   

  
第三章 アート
イサム・ノグチ 幻の傑作 原爆死没者慰霊碑 
甦る旧軽井沢別荘               
街を歩く フィレンツエを有元利夫と      


第四章 生活・文化
ディープなフランス              
クリスマス・パリ  (生成AI画像)         
クリスマス・ザルツブルグ  (生成AI画像)     
コロナ禍の日々:酉の市招福熊手、パン生地、母 


第五章  創作
創作 火の鳥 (生成AI画像)                 
創作 なぜ「銀河鉄道の夜」の続編を創作するのか
創作「銀河鉄道の夜」の続編「銀河ふたたび イーハトーヴのほうへ」(生成AI画像)


                  編集協力 KOINOBORI8

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

はじめに 活発な読者として

 学生時代から私は好きな本を何度も手に取っては、メモなども作り読後感想などを書きちらしてきました。定年後も折を見ては関連する書籍に目を通し続け、新たな知見も得てきました。しかし、私は次第に自分なりに考察したことを文書にまとめてみようと思うようになりました。どうやら、私はおとなしく本から得た知識を蓄積しておくだけでは満足できない質のようです。従順な学業学習者ではなく、むしろ知識と対話を重ねては自分の意見も表現する<モノ言う読者>のようなのです。
 さいわいブログという最新ツールが生まれていました。私のような表現も行いたがる読者にとっては、ブログはまさに渡に舟のツールです。ブログには、画像や動画や音楽も、AIが作る生成画像も貼り付けることが可能です。文字情報だけに頼らない多彩な表現を試みることもできます。高尚な芸術だけでなく、サブカルチャー的な領域において考えたこともブログを通して表現することも可能になります。 
 2年半に渡り月1回くらいのペースでブログを書いてきました。ブログ記事のテーマは、文学全般、とりわけフランンス文学、芸術、建築、創作、書評、料理、旅行などで多岐に渡りますが、計30編ほどになりました。アクセス数は予想を上回り、33,000を越えました。一千以上のアクセスがあったブログ記事を中心にして取捨選択して、5章からなる目次も編集してみました
 いわゆる名作や高度に専門化した知識にしても、それを権威あるものとして無批判に学び取るだけで、その分野に限定されるものとしてそのまま対象化させておくだけでは十分ではありません。受容したものをただ蓄積させておくのは、あまり私の性に合いません。出版当時の作者の姿や心情を再現するだけでも満足できません。名作や知識であっても、それをあれこれ何度も反芻しては多角度から再検討し刺激を受けるほうが好きなのです。批判精神というフィルターにかけ、それに反応するものを見出し、そこから自らの糧になるものを貪欲に引き出そうと試みます。
 名作や知識と対話を繰り返すうちに、次第に名作独自の声のようなものを自分なりに聞きとることができるようになりました。作者の存在の根源から発せられるその声と読者の私が交わした対話から一定の成果が習得できたら、それを表現しようと私は思うようになりました。その対話からものの見方を豊かにしてくれるものを私が習得することができたら、それを活発な読者が実際に経験した成果として表現してみようと思うようになりました。

 こう考えたのも、現在刊行されるいわゆる文芸書の、とりわけ受け止め方に若干物足りなさをおぼえていたからでもあります。小説や解説書や翻訳書はしきりに出版されるし、文芸をめぐる状況は賑やかにも見えます。しかし、読者による作品の受け止め方のほうは全般的にややおとなしいように思われます。
 作品は生きた総体ですから、時間をかけて微視や巨視も使い多面的に深く読み込むことが必要です。作品のある一面だけを断片的に切り取り、それが全体の中ではたす役割や意味を問わずにその当該箇所だけの分析や注釈に終始するのでは物足りません。また、作品を賛美するあまり読者として持つべき独自の批判精神を示すことなく、結局は作者に直接自己同一してしまったり、作品をそのまま享受し鑑賞するだけの読書も見受けられます。作品の「言い換え」でしかないパラフレーズに走る向きもあります。杞憂に終わればよいのですが、書物との付き合い方がやや一面的なものになるような傾向がうかがわれます。
 狭い専門分野に沈潜し、登場人物構築のためにヒントになった<モデル探し>に終始し、そのモデルが作品全体の理解をいかに深めるかという肝心な問いかけが感じられない読書も行われます。そこには発見も情報も含まれていて学ぶ点も多々あるし、興味もひかれはしますが、最後まで登場人物の生きざまそのものへ目を向けず、存在の根源的ないとなみに立ち合おうとしないままで終わることもあります。作品へ問いかける時のテーマ設定がやや狭かったり画一的で、したがって立てた問いに対する答えがすぐに見つかってしまうことも起きます。
 文芸評論家加藤典洋も、日本の社会や文芸全般において、1990年代以降ある「萎縮」が起きていて、大きな問いを発しようとしても「足がすくみ」「空転する」ような傾向が見られることを指摘しています(「小説の未来」)。

 「では、お前はいったいどんな読書態度を良しとするのか?」という問いかけが聞こえています。
 私にとっては、作品は読者を受信一方に追い込むものではなく、読者に呼びかけ、読者を新たな発信行為へと誘うものです。能動的で主体的な表現行為へと向かわせるものです。名作はえてして謎めく世界を構えていて、未完成の部分も含み表層の下に分厚く多様な意味を潜めているものです。評価も揺るぎなく定まってはいません。読者が書物の中に探すべきなのは、プルーストが言うように、揺るがない「結論」でも「真理」そのものでもありません。作品からは読者に「手がかり」が提示されるだけです。すぐれた作品はむしろ読者によって開かれるのを待つ入り口であり扉です。
 性急な読書は、作品に宿る多彩な魅力を無視し、作品を既製の形や公式的見解にすぐに還元してしまいます。しかし、表面で起きる出来事だけに注目するのではなく、作品の底から聞こえてくる声に耳を傾ける読者は、共感を抱きながらその声を集音し、それに応えようとします。作品に潜められている声を即断や曲解や忘却から救い出し、主体的に豊かなものへ復元し再現しようとします。
 「測鉛を下ろす」という表現があります。船乗りたちは揺れ動く船上にあっても、その下の海中で、また海底で何が起きているかを知ろうとして船上から鉛を下ろします。作品の表面上のドラマの下にまで注意を向けそこに何が潜んでいるかを探る読書の姿勢には、この測鉛を下ろして深い海中の動きを探る行為に類似する点があります。哲学者ベンヤミンは、「失われた時を求めて」の読書の愉しみを、漁師たちが投げ入れた投網を、豊かな釣果を予感しながら水中から両手で引き上げる時の手のずっしりとした感覚に例えました。
 読者は作品に潜む小さくとも根源的な声を新たに見出し、それを新たな意味の可能性として作品に付与します。T・イーグルトンは文学の理論が3段階で変遷をたどってきて、現在では読者がはたす役割が注目されていることを指摘します ― まず、「作者にたいする関心(ロマン主義および十九世紀)」、次に「テクストのみに限定された関心」、そして3段階目に、「ここ数年顕著になった、読者に対する関心への移行」(「文学とは何か」1984年)。
 プルーストも、若い頃は偶像を崇拝するような見方で作者や作品を崇めました。しかし、活発な反応が呼び醒まされることのないそうした受け身の受容態度は次第に変化します。ラスキンを自ら仏訳することで、テキストの深みにそれまで以上に分け入りました。そして、それは自らのうちにラスキンに対する批判精神も育てることになり、ひいてはラスキンとは異なる自らの文学的立場を見出すことにつながりました。ラスキンを敬愛しつつもその審美的態度から距離を取るようになります。翻訳を始めることによってラスキンの発する深い声を探り当て、それに応えてプルーストは独自の立場を表現するようになり、それはさらには自らの創作活動を始める契機にもなりました。すぐれた書物は読者にとっては「結論」でもないし「真理」でもなく、読者を「うながし」、読者に「意欲」をもたらします。そうしたすぐれた書物に読者が重要性を付与するのは、作者が読者に「愛を目覚めさせる」からなのだ、とプルーストは続けます(訳者の序文「読書について」)。読書行為が人との出逢いのような親密な関係性を生むことは確かにあるのです。

 「お前の言うことはわかったような気がする。でも、例えばお前はどんな作品を思い浮かべて言っているのだ、「失われた時を求めて」以外で」という声が聞こえてきます。
 私は次のように答えましょう ― 「失われた時を求めて」以外で思い浮かべるのは、例えば、歴史、文学、宗教を通底させて思索を展開させた哲学者梅原猛作「中世小説集」です。高名な学者であった梅原猛は、中世の小説をまず読者として読み込みます。この読者梅原は、作者になって筆を取り、作者になっても読者として中世の小説群を深く読みこんだ時に受けた印象を忘れません。その時の印象を基盤として生かしつつも、それを自分なりにさらに展開させて創作しています。中世から伝わる作品への新たな意味付与に参加しています。いわば、<読者=作者>になって読書から得た印象を独自に展開させています。自分の中に共存する両者が協働作業を行い、創作が行われています。
 例えば、中世に書かれた原作「山椒大夫」の最後で、母親は安寿と厨子王のふたりの姉弟の名だけを呼びます。しかし、梅原版「山椒大夫」(2002年)ではこの二人の名前に続き、同行する侍女「うわたき」の名前が母によって新たに呼ばれます ― 「(・・・)うわたき、恋しや、ほうやれ」。原作「山椒大夫」の凄惨で残忍な悲劇に、原作にないもうひとりの「うわたき」という侍女の名前が呼ばれることによって余白が与えられ、どうしようもないほど張りつめた緊迫感が和らげられています。そのことによってわれわれ読者は、残酷な現場に固着していた
想像力をのびやかにかき立てることができるようになりました。読者としての視点を生かした形で脚色された梅原の改作では、原作では確かなものとしては表現されていなかった生への意欲が表現されていて、改作は残酷さだけに収斂されることのない風通しの良い傑作に高められています。
 なお、森鴎外も独自の「山椒大夫」(1915年)を創作しています。原作にあった残酷な場面はやはり削除されています。この小説は森鴎外の代表作に挙げられることもあります。
 私は今後とも受け身の読者ではなく、作者と対話を重ね協働し、作者の根源から発せられる声を聞き出そうとするでしょう。そして、発せられる深い声を私の音波探知機がとらえることができれば、そしてその声と対話を交わすことが可能になり、私がそこから<主体的な活発な読者>として何かを習得することができたら、そのプロセスを表現しようと思います。
 作品に刺激されて活性化する読者の想像力は、狭いジャンル別という断片化にとらわれずに、世界を、また時代を巡ります。そのことで知的好奇心はさらに刺激されることでしょう。
 「文学作品の意味は、作者の意図で説明しきれるものではない。その作品が、ひとつの文化(・・・)から、別の文化、あるいは別の歴史的コンテキストへと受け渡されていくとき、作者や作者と同時代の受容者にはおそらく予期すらできなかった新しい意味が、作品から引き出されるかもしれない」(ガダマー「真理と方法」1960年)。
 出逢う作品に長く寄り添えば、生きた声が呼びかけてきます。作品の数だけ、声は、そして記憶は潜んでいるはずです。そこまで出かけて行ってその現場で何度も採掘すれば、潜められてきた精神の声という貴重な鉱脈が見つかるかもしれないのです。
 スペインの哲学者オルテガ=イ=ガセットはこう書いて、古典的な教養がともすれば個人の内省的な内面を陶冶することに重きを置いてきたことを批判的にとらえ、現代では諸分野をつなぐ回路を模索することを勧めます ― 「生は混沌であり、密林であり、紛糾である。人間はその中で迷う。しかし、人間の精神は、この難破、喪失の思いに抗い、密林の中に「通路」を、「道」を見出そうと努力する。(・・・)その諸理念の総体、ないし体系こそが、言葉の真の意味における文化教養(la cultura)である」(「大学の使命」)。
 これは精神の旅の勧めです。実際、この引用文は近代の西欧哲学が実践哲学を軽視する傾向にあったことへの抗議でもあり、実践哲学再興を目指しています。一国内だけにとどまることなく、国境を横断し多文化の生活感覚を具体的に知り、それを自らの文化とを突き合わせみる。そうした実践からは柔軟で複眼的な視野が開けるし、そこには表現も行動も伴うことでしょう。
 冒頭で私は<活発な読者として>表現してゆきたいと述べましたが、それも引用したオルテガの文に共鳴するからです。<活発な読者として>ということは、<国家に従うだけの臣民(subject)>にとどまることではなく、多文化を生き、そこで独自の思考を育む<世界の市民>という意味です(苅部直「移りゆく教養」)。
 実際、ヨーロッパ中世における大学の創設期には、大学生たちはヨーロッパ各地に開講された諸科目を学ぶために長い旅をしました。「医学」を学ぶためには遠くイタリアまで足を伸ばし、「悪魔学」を履修するためにはスペインにまで出かけました。文化の中心がアメリカやヨーロッパの主要都市には限られなくなっている現在では、多くの若者たちが辺境ともされてきた世界各地まで旅するようになりましたが、彼らの旺盛な知的好奇心は大学創設期において当時の若者たちが抱いた実践を伴う知的好奇心を彷彿とさせます。
 ともすれば古典的教養教育においては個人の内面の陶冶が目的とされ、知識はそれぞれ個別に抽象的概念的に学ばれてきましたが、私は外部のマイナー扱いされてきた生活の実用上の知恵とも対話を交わします。そうして知り経験する多様な現実は互いにつながり、大きな時空間が編まれてゆきます。そこからはわれわれ読者を考察に誘うだけでなく、考えたことを表現させ実践させようとして呼びかけてくる声が聞こえてくるのです。

                  編集協力 KOINOBORI8

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

Ⅳ.立ち広がる新しい小説世界 「失われた時を求めて」 対話的創造のほうへ 4/4

 アルベルチーヌも、祖母も、作曲家ヴァントゥイユも、作家ベルゴットも、多くの人物が死んでゆき、喪失の悲しみは深まります。コンブレも第一次世界大戦の戦闘地域になり、戦死者が多く出ます。パリもドイツ軍機による空襲に世界ではじめてさらされます。闇は深まり、黄昏めいた光が拡がります。
 しかし、繰り返し味わう失望や無力感の流れに抵抗し逆行するようにして、母や祖母や恋人アルベルチーヌから、またヴァントゥイユの音楽やエルスチールの絵画から、またフランソワーズの料理や衣服などといった生活で発揮される巧みな腕前からさえも、新たな創造への呼びかけが聞こえてきます。身近な所で編まれる人との関係性から創造の萌芽が芽生えようとします。新たな名前で呼ばれて、創造へとうながされる主人公マルセルも、多くの声から生起する対話的制作に参加するように誘われます。語り手はひたすらモノローグにふけっているのではありません。人間に潜んでいる能動性を多方面から繰り返し活性化しようとするプルーストの利他的とも言える姿勢からは肯定的な価値観がうかがえます。
 通常の小説の平均的な長さの十倍はあると言われる「失われた時を求めて」では、徐々に傾いてゆく貴族階級の消滅も描かれ、19世紀から20世紀にかけてのフランスの端境期の社会壁画も見ることができます。からみつくような愛と嫉妬が緻密に分析され、同性愛にも透徹した眼差しが向けられ、多くのことを知ることができます。それだけでなく、一定の間隔をあけて回帰する時間の間欠的な展開を体験することもできます。また、新たな声がいくつも発せられ、それは主人公に創造的な参加を呼び醒ましながら、反復され増幅されてゆきます。それらの声はジャンルを問わず多くの場から発せられ、多声からなる交響体を編み、壮大なオペラのようなものに溶けこんでゆきます。散在し散逸してもいた断片同士の親密な関連性が少しずつ可視化されてゆきます。反面、ゲルマント公爵家家系図のような堂々として輝かしくもあった連続的なモノローグのほうは、むしろ自己満足的なものであり、失望や幻滅につながります。
 紆余曲折をはらむ大きな小説世界が構築されてゆくので、その展開を展望し、一望に収めるような広い視野と時間が必要になります。最終巻「見出された時」において、プルースト自身自作を読む時は、顕微鏡だけではなく望遠鏡も使ってほしいと書いています。ミクロのレベルの細部だけにこだわるのでなく、マクロで働く動きも追えば、細部は他の細部とも関連を結び、そこからは思わぬ大きな文脈が立ち現れてくるでしょう。失われた時という過去はなるほど甦ってはきます。しかし、その過去はまだ未完成でもあります。語り手の、そして私たち読者の活発な表現行為によって、開かれる過去たち、しかしまだ未完でもあり宙吊りでもある過去たちにさらに新たな側面を付与しなくてはなりません。
 プルーストの小説は、ともすれば類型化される傾向にあった近代小説に新しい表現や構成の可能性をもたらしました。近代小説が抱え込み固定化されはじめていた慣例 ― 出来事を因果関係でつなげる筋立て、人物の不動の性格や名前、狭い縦割りのジャンル別区分け、また規格化された時空間など ― を「失われた時を求めて」は平然と押し破っています。それまでは人物の行動や出来事が物語の筋を形成してきましたが、「失われた時を求めて」においては印象や記憶の場面がヤマ場となっています。個人を静止させて知的に心理分析するだけではなく、時間の経過とともに変化する多面的存在としてその姿を追ってゆく「時間の中の心理学」、「立体心理学」をプルーストは提唱しています。また、自律する個人というよりも、人と人との関係性のほうが注目されています。
 当時のフランス社会という現実にしっかりと立脚しつつも、現実をさらに大きな観点から包むような舞台が構築されます。小説の巻末で、プルーストも書いています ― 「印象だけで芸術作品を構成することはできない。私はそのために使用できる真実 ― 情念や、性格や、風俗に関する無数の真実が身うちにひしめくのを感じた」。
 この小説の多面的な魅力や迫力は、急ぎ足で作品の表面をパラフレーズ(他の語句に言い換えて表現すること)するだけでは伝わってきません。全体という大きな文脈を考慮に入れずに書かれるモノグラフィ(個別専門研究)や、モデル探しや、審美的な内省からだけでは、「失われた時を求めて」の多彩な魅力は十分には伝わってこないでしょう。
 「失われた時を求めて」には生活の場において活発に生きる人々が登場してきます。彼らは、小説の最後になってもわれわれ読者に声をかけてきます。「創造する」と言わないまでも、「表現する」という主体的な実践に取りかかることを読者にうながし導こうとします。われわれ読者にも新たに表現を生み出すように呼びかけてきます。 
 「失われた時を求めて」は「光学器械」のようなものだ、読者もそれを使えば新しいものが見えてくるはずだ、とプルーストは最後に読者に呼びかけてきます ー「ひとりひとりの読者は、自分自身を読む読者だ」。
 主人公は最後に限りなく語り手に近づき、語り手となって独自に創造的表現に取りかかろうとします。その時、語り手となるマルセルは、語ることで自分だけが救済されることを考えてはいません。回想に自己満足気味に浸ろうともしていません。過去はノスタルジーをかき立てるだけではありません。語り手は、語りかけることになる相手である読者たちについてしきりに考察をめぐらします。主人公を先回りするようにして、語り手は「千一夜物語」やサン=シモン「回想録」を引き合いに出してこう書きます ― 「この私が書かなければならないものはこれとは別のもので、もっと長い、もっと大勢の人たちのためのものになる」。ここでも、自分の作品は知的で限定された読者ではなく、より多くの読者たちによって読まれるものとして考えられています。さらにはそうした幅広い層の読者たちに単に読むという受容だけにとどまらない、表現という主体的な反応にも取りかかることを勧めます。
 つまり、これから書こうとしている作品は、語り手ひとりに帰属するものでもなく、作品自体も狭く自己完結するものでもありません。哲学者ジル・ドゥルーズも、「あらかじめ存在するような統一とか全体性といったものを回復する、といった見方は不可能だ」と書いています(「プルーストシーニュ」)。語り手がこれから語り始める作品の完結性は、読者たちからの反応によってむしろ破られようとしています。語り手に創意でもって応える読者という関係性は、最後になってもさらに繰り返されようとしています。過去が思い出されるだけではなく、過去は現在とともにあり、そこから未来に向かうベクトルがさらに読者の創意によって作られることが求められています。
 「失われた時を求めて」には、現代的な芸術観につながる面があります。例えば、思想家ツヴェタン・トドロフは、19世紀には芸術創造を絶対的なものと信じるあまり、芸術家も鑑賞者も人生を犠牲にしてまで芸術にひたすら奉じ、作品に自己同一することが一部で起きたことを批判します。トドロフは、その姿勢を過度なものととらえ、ありうべき現代の芸術は、「宗教的、または哲学的なドグマ」にされ、形骸化されて受容者に強制されるものであってはならない、と主張します。芸術はあらゆる人に向けられるべきだし、また提案されるべきものなのだ、と続けます。「芸術は良き仲間なのだ(ツヴェタン・トドロフ「絶対の冒険者たち」)」。
 最終篇「見出された時」の文が甦ってきます ― 「私は言おう、芸術の残酷な法則は、人間は死ぬことであり、つまりわれわれ自身があらゆる苦しみをなめつくして死ぬことによって、忘却の草ではない永遠の生命を宿す豊穣な作品という草が生い茂ることにあるが、その草の上には何世代もの人たちがやって来ては、その下に眠る人たちのことなど気にかけず、陽気に「草上の昼食」を楽しむだろう、と」。

エドゥアール・マネ 「草上の昼食」(Wikipediaより)

 この文を書くとき、プルーストの脳裏には画家エドゥアール・マネの「草上の昼食」(1863年 図像参照)が浮かんでいたはずです。そして、このマネの「草上の昼食」は、ジョルジョーネの「田園の合奏」(1509年頃 図像参照)から想を得て描かれた名画です。「田園の合奏」に描かれている裸の女性は、神話における<詩歌の女神>ですが、音楽を演奏していて、主導的な役割を演じていて、男性はその脇役として演奏に聞き入っています。

ジョルジョーネの「田園の合奏」(Wikipediaより)

 上の引用文の後半で、プルーストは芸術作品は作者ひとりの占有物ではないのだから、そこに集まる「何世代もの人たち」に次々に彼ら独自の昼食の宴をはることを勧めています。詩歌の女神が奏でる音楽の記憶を共有しつつも、自分たち独自の宴をはり、交歓を愉しむことを勧めているようです。
 十六世紀の絵画の上に十九世紀の絵画が重層的に重なり、女神は、ごく普通の女性に変身します。「田園の合奏」の楽音が、昼食を囲む人たちから対話を引き出し、その交歓をさらに高めます。
 「田園の合奏」に「草上の昼食」を重ねるように比較するうちに、私は「失われた時を求めて」もそこに並べてみたくなります。プルーストはそのふたつの作品に深い共感をおぼえていましたし、文学は芸術と相互に刺激し作用を及ぼし合うからです。そうして創意に富む共感はさらに広がってゆくからです。
 私自身まで誘われるような気持ちになります。自分たちも「草上の昼食」を囲み、合奏する詩歌の女神に応えて、何かしら表現を試みてみよう、という気持ちになります。過去から交歓しあうように交響してくる流れに入って、自分も自分なりの表現を試みてみようという気持ちにかられます。

「Pablo Picasso – The Luncheon on the grass (Manet) 5, 1961」https://www.pinterest.cl/pin/384494886918680174/

 ピカソはマネの「草上の昼食」を題材に約140枚近くの絵画を世に残したといわれています。 

                  編集協力 KOINOBORI8

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

Ⅲ.ゲルマント公爵家と主人公の変貌 「失われた時を求めて」 対話的創造性のほうへ 3/4

 この長編小説では当初主要テーマとして照明を浴びて舞台前面を占めていたパリ社交界恋愛模様が、読み進むにつれやがて少しずつその重要性を薄めてゆきます。反対にそうした全般的な流れに逆らうようにして、それまで目立たなかった脇役たちが舞台の袖から中央へと登場してきます。長く主役をはってきたものは翳り、それに代わりそれまで出番も少なく、役割も明確ではなかった端役たちが互いに関連を持ち始め、新たな役回りも得て、作家志望の主人公を創作へと導きます。
 以下のⅢ章では、まず19世紀から20世紀に移る端境期のパリ貴族階級で起きる大きな変動を描きます。また、それとともに間欠的に起きる主人公マルセルの内面における大きな変化も明らかにします。主人公は大きな社会変動に巻き込まれるし、恋愛においてもアルベルチーヌへの嫉妬に苦しみ、ペシミックな思いを深めることになりますが、最後には周囲のさまざまな声にうながされて、創作のためのペンを執ることを決意します。
 社交界の中心となるのは、なんといってゲルマント公爵家です。長編小説前半では、王家とも姻戚関係を結ぶ公爵一族の権勢に富む生活が描かれます。しかし、次第に公爵家の型にとらわれた生活に宿る狭さや脆弱さがあばかれるようになります。小説後半では傾き始める一族の実態が残酷ともいえる筆致で描かれます。たしかにこの小説には20世紀初頭のおいて実際に起きたフランスの貴族階級の決定的な凋落や、それに入れ替わるように台頭する新興ブルジョワジーの繁栄ぶりも描かれます。
 しかし、「失われた時を求めて」は階級社会を批判するレアリスム小説ではありません。社会風俗はこの小説ではかなり誇張して描かれています。大ブルジョワのヴェルデュラン家による浪費は、当時のフランスではまずありえない話です。当時、フランスでは金融や土地の価格が乱高下を繰り返していて、富裕層でも誕生日に宝石を贈ったり、バカンスに高級リゾート地のお城を毎年借り出すほどの金銭的余裕など持てなかったはずです(ジュリアン・グラック「終着駅としてのプルースト」)。
 まず、傾き始める以前の華やかなゲルマン公爵家の生活が、主人公が春の休暇を過ごす、パリから南西へ約100キロ離れたコンブレという小さな町の生活と対比されながら描かれます。公爵家はコンブレの教会内に6世紀以来の領主として私的礼拝堂を構えていて、その不可侵性を「父なる神」であるかのように誇ります。公爵の弟シャルリュス男爵のほうも、爵位の称号だらけの家系図をえんえんとたどってみせては、自分の家系を高貴な血統だなどと言い、自慢話の独演にふけります。第5篇「囚われの女」でも、コンサートが催される富裕層ブルジョワのヴェルデュラン夫人のサロンに乗り込んだシャルリュス男爵は、演奏されるヴァントゥイユの7重奏曲を「偉大なる大芸術」などと大袈裟に例えてみせては、「司祭」よろしくその場を我が物顔で取り仕切り、ついに自分のサロンを「音楽の殿堂」と称して貴族階級に伍そうとしていたヴェルデュラン夫人の怒りを買い、同性愛者との仲を引き裂かれ、サロンから締め出されます。
 しかし、コンブレの教会は、そこに料理女フランソワーズやサズラ夫人やテオドールといった町民たちが出入りし、聖人たちの彫像群と親しげに話を交わし、教会が人が住める生活のための「住居」のような様子を見せ、また町民たちも教会に共感を抱くようになる時にこそはじめてその魅力を発揮します(ブログ記事「「失われた時を求めて」の文はなぜ長いのか」(2022・4))。
 公爵はゲルマント家はヨーロッパ中に広がる高貴な家柄の起源となっているなどと主張しますが、しかしその起源の場所たるやじつはコンブレのはずれのひなびた共同洗濯場でしかありません。そもそも、プルースト家系図のように、時系列の経過を連続体として把握し、理解しようとすることを嫌っていました。「失われた時を求めて」のタイトルを当初は「心情の間欠」にしようと構想していたことからも理解できるように、彼にとって時間は一定の間を置いて、断続的に進むものでした。いわゆる無意識的記憶も小説全編に渡って間欠的にしか起きませんし、主人公も巻末で自分は「間欠的な人間」であることを意識します。
 こうしてゲルマント公爵家とコンブレの街の素朴な生活は対照的に対置させられてゆきますが、公爵家の生活よりもコンブレの町の生活のほうが実は精彩に富んでいるし、その後の小説の展開により深く関わってくることが暗示されます。一方、ゲルマント公爵家の一見華やかな日常がその下には伝統墨守の頑迷さや虚栄心を隠していて、開かれるサロンにおいては対話もしばしばギクシャクしたものになります。

19世紀のパリの音楽サロン Bing image creatorにより作成

 第3篇「ゲルマント家のほう」で主人公一家はコンブレからパリ中心の貴族街サン=ジェルマンに引っ越し、ゲルマント公爵家の館とは中庭をはさんだ正面にあたるアパルトマンに住み込みます。コンブレで見かけて以来、あでやかで美しい公爵夫人に憧れる主人公は、そのサロンに招き入れられ、古い民謡の響きの混じる夫人特有の発音や才気をひけらかす発言に長いこと魅了されます。しかし、次第に夫人の故意に俗っぽい口調で言い放つ機知に富む警句が、公爵夫人のしきたりにとらわれない自由な知性に基づくものではなく、引き立て役の夫の公爵や取り巻きに乗せられたものであることに気づきます。公爵夫人にも一族特有の霊が取り付いていて、家名に傷がつくと判断するやいなや、ざっくばらんな態度をたちどころに硬化させ、無愛想で横柄になります。女優ラシェルが世間で評判をとるや、彼女の才能を見出したのは自分だとばかり公爵夫人はラシェルをサロンに招きはします。しかし、そのユダヤ人女優にゲルマント公爵家の基準に照らして容認できない点があると見てとると、今度は公爵夫人はたちまちラシェルの朗誦の才能を否定し、「ラシェル」という芸名ではなく「あの子」と侮蔑的に呼び、サロンから排斥してしまいます。主人公は最後には公爵夫人の皮相で偏った芸術受容に失望し、怒りをおぼえるようにもなります。パリの大きな館には蔵書が並べられたプライベートな図書室が設けられていることがあり、公爵家の館もその例にもれませんが、公爵夫人の知性は、「豪華絢爛たる城館」内に構えられた「時代錯誤で不完全」な「知性を育むことができない図書室」にたとえられることにもなります。
 サロンで親密さを誇示しようとしてガラルドン侯爵夫人は、ゲルマント公爵夫人(当時はレ・ローム大公妃だった)に「オリアーヌ」とファースト・ネームで呼びかけますが、公爵夫人は自分との親密度を誇示するその態度を馴れ馴れしすぎると感じ、答えようとはしません。爵位のついた重々しい苗字で呼ばれるのがお好きなのです。このため、公爵夫人は、爵位に執着するあまり、ガラルドン侯爵夫人宅で開かれるモーッアルトのコンサートへ招かれる機会を自ら失うことになります。ファースト・ネームで呼ばれて、芸術受容へと導かれる主人公とは対照的な態度です。
 一方、主人公の書棚の本のほうは、アルベルチーヌや使用人によっても借り出され、読み込まれていて、彼の書棚のほうは知的刺激を与える開放的な場として活用されています。貧しい孤児であった恋人アルベルチーヌも主人公の書架に置かれていたドストエフスキーを読み込み、画家エルスチールや作曲家ヴァントゥイユからも多くのことを学び取り、精神的な成長をとげてゆきます。主人公の書棚は、公爵家の豪華な蔵書が眠る閉塞感漂う図書室とは対照的なものです。なお、プルーストは、ドストエフスキーの小説「白痴」を書簡において非常に高く評価してします。
 本に書かれている巧みな言い回しをすぐに身につけ口にするチョッキ仕立て職人ジュピアンとは異なり、暗記することができない公爵は、社交界での声望を自ら高めようとして気の利いた文をメモに書きとめ、それをサロンで読み上げる機をうかがいます。女性蔑視の、またドレフュス事件の際は人種差別の発言も口走ります。隣人の主人公の祖母が重体に陥ったときは、隣人として見舞いに来ますが、早すぎるお悔やみを悲しみに暮れる主人公一家を前に口にしてしまい、社交喜劇をひとりで演じてしまいます。祖母は公爵のことをのちに一言で評します、「俗っぽい方」と。
 自分はパリの由緒ある男爵だから本当はより高位の爵位の貴族だなどと主張するシャルリュス男爵は、親しい友人スワン ―  一部は若い頃のプルースト自身 ― と同様、偶像崇拝という狭い受け身の芸術受容を繰り返します。男爵はバルザックの革製装丁本をフェティッシュに愛蔵し、何かというと「それははなはだバルザック風ですな」などとバルザックになりかわってひとりごちます。しかし、結局のところスワンと同じような「芸術の独身者」にとどまり、作品の字義通りの受容だけで満足し、深い呼びかけやうながしを作品から聞き出し、そこから自らの真の個性を涵養し、それを他者に向かって表現することができません。なるほど主人公は才分に恵まれたシャルリュス男爵が執筆活動に打ち込むことを望みはしますが、期待されるのは「無尽蔵の目録」や「生彩にまったく欠ける連載小説」でしかありません。
 シャルリュス男爵はサロンで傍若無人にスカトロジックなことを口走りますが、その時主人公はその傲岸不遜な態度に怒り、男爵のシルクハットを踏みにじるようになります。同性愛者シャルリュス男爵は最後は苦痛常習者のようになり、かつて愛した美貌のバイオリン奏者モレルに似た男娼に鞭打たれる快楽を追い求めるようになります。尊大でサディスティックな態度はマゾ的な姿勢へと反転します。プルーストは男性の倒錯者には女性が潜んでいると考えていました。そして世界ではじめて空爆にさらされる第一次大戦下のパリの夜をさまよいます。欲望に駆られ、快楽に依存する「地獄めぐり」(バンジャマン・クレミュ「見出された時」)の様相が描かれます。

ジョバンニ・ボルディーニ「ロベール・ド・モンテスキュー伯爵」 (シャルリュス男爵の主要モデル)

 小説巻末では、こうしてゲルマント公爵家内外に暗い闇がたれ込めます。ゲルマント大公夫人邸の午後の集い(マチネ)に久しぶりに足を踏みれた主人公マルセルには、社交界人士が老いという「仮装」をしているように見え、驚きます ― 嵐に打たれる岩のような面貌と化した公爵、地層学的なまでの深いシワに刻まれた貴族、声によってしか見分けがつかなくなった旧友・・・・。今や時間による侵食作業がいたる所で進行しています。ゲルマント大公は老い、最高級の、しかし閉鎖的なジョッキークラブ会員にも選出されないし、貴族の街サン=ジェルマンの「居城」も手放さざるをえなくなっています。公爵の歩行は困難になり、よろめき、鐘楼よりも高い竹馬もろとも転落しそうです。爵位というハードルは低くなり、大ブルジョワのヴェルデュラン夫人は三度目の結婚でいつのまにかゲルマント大公夫人におさまりますが、相変わらず派閥作りに余念がありません。爵位の継承にはどこか「悲しいもの」が感じられると最終篇「見出された時」に書かれているし、また人物の性格と同じように社会もその固定した像を示すことは不可能だ、性格も社会も時間とともに変化するという文が第五篇「囚われの女」に書かれています。
 驚くことに、そのサロンにはコンブレの教会を住居に変容させてみせてみせたサズラ夫人も来ています。貴族の街サン=ジェルマンに「民衆的」で「田舎風」の生活までが入り込もうとしています。主人公が寄稿した記事が「フィガロ」紙に掲載された時、公爵は雄弁な賛辞を筆者の主人公に送ってきますが、その文面の表現は、コンブレの素行不良の食料品店の青年テオドールから送られてきた賛辞の表現よりもつたないものでした。すでに第3篇「ゲルマントのほう」には次のような文が予告のように書かれています ― 「当時のゲルマントの名は、酸素なり別の気体なりを封じ込めた小さな風船のようなものだ。それを破って中の気体を発散させれば、私にはその年その日のコンブレの空気を吸うことができる」。パリという中央とコンブレという周縁との上下関係が確たるものではなくなり、反転しそうなのです。
 社会が大きく変動し、旧弊が消滅へと向かう時代の転換期の凄みに富んだ描写が続きます。しかし、この小説は社会という壁画を再現するだけでは終りませんし、主人公マルセルは社会の端境期に立ち会うだけのただの傍観者でもありません。しばらく前から読者はこうした動揺する厳しい現実に接しながらも、まだこれから何か重要なことがマルセルの内面で起きるはずだと思うはずです。
 そういえば、最終篇「見出された時」にはプルーストが愛読する「千一夜物語」がしばしば引用されます。このアラブの物語では、主人公シェーラザードは語り始めることによって自らを生命の危機から救い出します。作家志望の、しかしすでにかなりの年齢になった主人公マルセルも、ゲルマント大公夫人邸私設図書室の中で、小説冒頭のコンブレの就寝劇で母親によって朗読されたジョルジュ・サンドの小説「捨て子フランソワ」を見つけます。マルセルは母の創造的な読み聞かせの実践を、今度は自ら語り手に変身した姿となって行おうと決意します。母は朗読をヴァントゥイユの曲に乗せるようにして行い、身をもって創意に富む読み聞かせを実践したのです。主人公に向かって創意を表現することによって、まだ幼かった主人公に創造的な反応を引き出そうとしていたのです。
 直前に3回も繰り返し体験した無意識的記憶によって、最終篇巻末のパリのゲルマント公爵家図書室から第1篇冒頭のコンブレという過去へと遡る流れがすでに切り開かれ、準備されています。いよいよそのコンブレで小説を読み聞かせてくれた母親にうながされる形で、マルセルは最後に母親と交代し、今度は自らが創意を発揮して語る主体になろうと決意します。そして母や、母の分身である祖母や、祖母の死後に恋人になるアルベルチーヌ、またコンブレの人々をたんに忠実に回想し、写実的に再現するのではなく、彼らの創意にうながされる形でそうした過去に新たな意味を与えて再創造しようと決意します。「自分に湧いてくる感覚を薄暗がりから出現させ、それをある精神的等価物に転換するようにしなければならない」(「見出された時」)。
 つまり、コンブレの就寝劇で母親が行った創造的な朗読を自分なりに受け継いで、過去に新たな意味を与えながら過去を救い出そうとします(ジュリア・クリステーヴァ「想像界」「プルーストと過ごす夏」所収)。また、ジル・ドゥルーズも書いています ― 「想起することは、創造することであり(・・・)、構成された個人の外側に飛び出す」ことだ(「プルーストシーニュ 増補版」)。
 ゲルマント公爵家に対して幻滅をおぼえますし、その個人図書室は深い沈黙に包まれています。しかし、母だけでなく、多くの声にうながされる主人公マルセルは失望をおぼえつつも、表現という創造に取り掛かろうと決意します。「一見完全に幻滅し切ったように見える一つの作品を、実は歓喜が支配している」(L・マルタン=ショフィエ「プルーストと四人の人物の二重の<私>」)。新たにマルセルと名付けられた主人公は、語り手となって、過去に架橋をかけ、過去に新たな意味を付与しようとします。自分に何かを始めることができることを意識します。それまで断片的に断続的にしか聞こえてこなかった声は、互いに交響するようにつながり、その精彩に富む大きな流れは、マルセルを突き動かします。
  閉塞感の深まるゲルマント公爵家のサロンにあって人は孤立し立ちすくみますが、その中にあっても主人公マルセルは、創意に富む言葉によって過去を豊かに再現しようとします。母親や、祖母や、祖母の死後にはアルベルチーヌなども実は創造的表現を行いますが、そうした相手に能動性をうながすような呼びかけに応える形で、ここで主人公マルセルは語り手になることを決意し変貌します。それまでは創作を書こうとして自己中心立場から意思し望んで空回りしてきたのですが、マルセルはここで自分が描くことが他者たちから期待され、また待たれていることを理解します。他者たちから自分に課せられてきた度重なる要請に応えようと決意します。
 ここでは大きなドラマが起きています。アリストテレスは、話がクライマックに達するのは、もっとも優れた「再認」と、「逆転」が同時に起きる場合だと規定しましたが(「詩学」)、この場面でもマルセルはそれまでその意味が認知することができなかった母親たちからの声をようやくはっきりと認知し「再認」します。この再認は同時にそれを機に華やかさを誇ったパリの失墜するゲルマント公爵家とコンブレの母親を含む住民たちの立場が「逆転」することを意味します。失望を重ねてきた主人公も「マルセル」と名付けられていましたが、ここでこれから執筆に励む語り手として「逆転」した立場に決定的に立つことになります。成り行きは逆転し、これまでとは反対の方向へ向かって展開されるのです。

 なお、小説冒頭の就寝劇のあとに、紅茶に浸したプチット・マドレーヌ菓子を口にした主人公は無意識的記憶に不意に襲われ、喜びを味わいます。有名な場面です。しかし、この時の無意識的記憶はまだ十分には説明されないし、主人公マルセルがおぼえた高揚感も、孤立した一時的なものです。むしろ、その時、この無意識的記憶は甦ってはくるものの、その途中で消えそうにもなります。この時、記憶は「徐々に力を失ってゆく」。マルセルは「深刻な不安」さえおぼえます。「探求? それだけではない。創造することが必要だ」と言います。この時点では、彼はまだ最終篇のゲルマント大公夫人邸で無意識的記憶によって習得する創作のヴィジョンを十分には自分のものにはしていなかったのです。ですから、出来事としては劇的ですし注目される場面ではありますが、まだ「創造する」ための力をまだ習得していなかったのです。主人公はまだ「不安」さえおぼえています。機はまだ熟してはいなかったのです。

 したがって、巻末のマルセルと巻頭の母親は合わせ鏡のように向かい合い、創意を表現する対話を交わすかのようになります。たんに対等な関係によって結ばれるコミュニケーションとしての対話だけではありません。意思疎通や相互理解だけが行われるのでもありません。互いは相手をより高いレベルの創造性という能動へと時間をかけてうながします。巻末と巻頭は向かい合い、読者は今まで流れてきた長い時間をパノラマのように一望のもとに収めることになります。
 「失われた時を求めて」巻頭の文「長いあいだ、私は早くから床についた」の動詞には、単純過去ではなく、複合過去形が使われています。これを単純過去形にしてしまうと、過去は現在の関心から切り離されて対象化されてしまうし、文は過去の客観的記述になってしまいます。しかし、動詞を複合過去形にすると、過去の出来事と現在との両者のあいだには「生きた関係(エミール・バンヴェニスト「一般言語学の諸問題」)が打ち立てられます。巻頭で母から発信された創意を、巻末においてマルセルはただ思い出し受信するだけでなく、母に応えてそれを自らの創意によって、母を、またコンブレを再創造します。こうした過去と現在のあいだの共感に満ちた「生きた関係」は、やはり書き言葉に使われる単純過去形でなく、原典にあるような口語に用いられる複合過去形の動詞のほうが十全に表現することができるのです。
 こうして、「失われた時を求めて」は、作者の全知全能性や独我論的記述や人物の性格や名前の不変性に基づいて構成されることの多かった近代小説に、多彩で豊かな表現の可能性をもたらしました。とりわけ創造の可能性が作者の個我からではなく、対話的な関係性からも生起することを教えてくれるのです。


                  編集協力 KOINOBORI8

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

Ⅱ. 恋人アルベルチーヌ もうひとつの愛 「失われた時を求めて」対話的創造のほうへ 2/4

 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」に恋人になるアルベルチーヌが登場します。彼女は英仏海峡を臨む保養地バルベックの海を背景にして現れる娘たちのグループのひとりです。女性もまたがるようになった自転車を好んでいて、その頬は冬の朝の輝きのように紅潮します。娘たちとイタチ回しという遊びをしていて彼女の手を握った時など、「無数の希望が一気に結晶する」のを感じ、「官能的なやさしさ」を主人公はおぼえます。しかし、彼女が下品な言い回しを使うのを耳にするうちに、グループの娘たちと同性愛的関係にあるのではないかと疑い始めます。しかし、彼女の姿は変化し続け、はっきりした像を結びません。

Bing image creatorによる

 
 主人公とアルベルチーヌは、祖母に勧められて、高級避暑地バルベックの中心「グランド・ホテル」の対岸の寒村リヴベルにある画家エルスチールのアトリエを訪れます。社交界の軽薄な取り持ち役ビッシュを、祖母は新たに「エルスチール」と名付け、画家としてその力量を認めていました。主人公はこの画家エルスチールが力動感溢れる新しい海洋画を創出していることを見て取り、その描き方に強い印象を受けます。エルスチールの海洋画では、海と陸が互いに他方に働きかけ合っていて、その相互に働きかけ合う作用によって海も陸も新たに生動するような面を見せていました。静止する物の写実による再現ではなく、海と陸の一方は他方へ今までに似た、しかし新たな側面を与えていました。そのことによって海も陸も変容し、「メタモルフォーズ」が引き起こされていました。この動的な状態は、絵画固有のテクニカルな用語ではなく、文学用語でもって説明されていて、「隠喩(メタファー)」によって起きるともとも書かれていますが、この時隠喩は「物の名前を取り去り、別の名前を与えることによって、それを再創造すること」とも説明されます。このメタファーは、コンブレの就寝劇でも明らかにされていましたが、祖母が小説において好むものです。プルーストは最晩年の1922年にも、「文体に永遠性を与えるものはメタファーだけだ」と評論の中で書いています(「フロベールの「文体」について」)。その後、主人公とアルベルチーヌは、画家エルスチールの物を生動させ賦活させるような描き方を実際に再確認しようとするかのようにドライブに出掛け、バルベック周辺の教会を見て回ったりします(写真参照)。

運転手アルフレッド・アゴスティネッリ。のちにプルーストの秘書も兼ね、アルベルチーヌの主要モデルとなる

 第五篇「囚われの女」で、主人公はパリでアルベルチーヌと同棲生活を始め、彼女が同性愛の娘たちと接触しないように監視します。絶え間のない嫉妬の目にさらされるアルベルチーヌは嘘まで口にするようになります。不安にかられて、主人公は尋問のような質問をします。しかし、彼女の説明は納得できるものではなく、彼は彼女について立てる仮説を何度も修正せざるをえなくなります。キスも交わしますが、キスは「物の表面をさまよって、(・・・)頬にぶつかり、中にまで入り込めない」。彼女を所有することなどできないし、女性同性愛ゴモラ疑惑もその確証は得られません。恋愛についてペシミックな考察が続き、恋愛は苦痛をもたらすものとなります。
 アルベルチーヌの背後には、判読不可能の「おそろしい未知の土地」が広がっています。心理分析では届かない存在、理知による定義では理解不可能な存在の根底に、最初に登場したときのバルベックの海のうねりも広がります。心理分析は多くのことを教えてくれますが、アルベルチーヌの実態はつかめません。「ついに心理の極限に触れる」(ジュリア・クリステーヴァ「想像界」「プルーストと過ごす夏」所収)。確かに、理知や意識による分析を続けても、心理という表面の下に広がるアルベルチーヌの深層には到達することがむずしくなります。1917年にはフロイトの「精神分析入門」が刊行されていました。無意識のよって突き動かされ、知性によっては統御されることのないもうひとりの自己への注視がさまざまな領域において行われ始めた時代でもあります。愛撫されても、アルベルチーは「閉ざされた蓋」のままです。「人間的性格をひとつずつ脱いでゆき、草や木」の状態にもなります。
  しかし、これはレヴィナスの言う、「創造に先立つまったくの虚無(「倫理と虚無」)です。彼女は心理の下に広がる存在の根底において、主人公に新たな名を与えピアノ演奏を聞かせ、人の意識を目覚めさせる根源の力をまだ有していました。プルーストは音楽の本質を、「魂の神秘的な奥底を私たちのうちに呼び醒ます」ことだと考えていました(「シュゼット・ルメール宛て書簡 1895年」)
 その存在の根底からアルベルチーヌの未知の、しかし真の声が聞こえてきます。第5篇「囚われの女」において、アルベルチーヌは画家エルスチールばかりか作曲家ヴァントゥイユの作品も理解し、そこから自らの創意も習得し、それを表現する「見違えるような」女性となって再登場してきます。彼女は、母親と同様、主人公に朗読も聞かせます。アルベルチーヌのこうした変容は、エルスチールのアトリエ ー「世界創造の実験室」 ー で、それまでのバカンス気分を楽しむ奔放そうな「シモネ嬢」を画家エルスチールが「アルベルチーヌ」と新たに呼び直して、主人公に紹介した時から始まります。アルベルチーヌと呼ばれるようになると、彼女は母や祖母が好んだ文学作品からの引用も行うだけでなく、さらにはヴァントゥイユの曲をピアノや自動ピアノで主人公マルセルに弾き聞かせを行うようになります。その時、彼の音楽受容をさらに深めさせようとして、彼が理解しやすいように、ヴァントゥイユの原曲に手を加えて演奏します。アルベルチーヌは彼を創造的実践へ導こうとする情愛に富む聡明な女性に変貌しています。
 新たな名前がつけられるのを機に、その人物は心理分析の対象にとどまらなくなり、しばしば芸術的な創意に富む活動的な人物に変貌します。なお、主人公も、アルベルチーヌに「マルセル」と名付けられ、彼女のピアノ演奏に触発される形で創造性の表現のほうへ教導されますが、この点については、ブログ記事末尾でもさらに後述します。
 主人公は恋愛それ自体には虚無や幻滅をおぼえるようになりますが、サロンでヴァントゥイユの7重奏曲を聞いたとき、すでにこう考えていました ― 「(・・・)恋愛の中にさえ見出してきた虚無とは別のもの、おそらく芸術によって実現できるものが存在するという約束として、また私の人生がいかに空しいものに見えようともそれでもまだ完全に終わったわけではないという約束として、私が生涯耳を傾けることになるあの不思議な呼びかけが7重奏曲から届けられた」。
 ヴァントゥイユの曲に感動した主人公は、アルベルチーヌによって数度にわたって聞かされたピアノ演奏にもうながされる形で、曲から受けた呼びかけについて考察を深めます。そして、アルベルチーヌのピアノ演奏からの呼びかけが、コンブレの就寝劇においてジョルジュ・サンド「捨て子フランソワ」を読み聞かせてくれたときの母親の創意に富む声に類似することに気づきます。触発される主人公は、自分に胚胎する、しかしまだ未知の状態にとどまる創造性について思い巡らします。
 コンブレで聞いた母親の朗読は、母子未分化の時期特有の母性的なものではなかったため、まだ幼かった主人公にとってはその声はむしろ幼児期や少年期との決別を強いる声ともなりました。このため、就寝劇の夜はこの点では、まだ幼なかった主人公には「悲劇」ともなりました。しかし、「自然の愛情や豊かなやさしさ」に溢れる母の声は、むしろ「最初の学び」や「よろこび」であり、「新しい時代の始まり」を告げるものとなったのです。創造性の表現の習得に向かう「新しい時代」が彼の前に切り開かれたのです。母による「最初の学び」では、主人公は一度母の不在によって突きつけられた根源的な危機に陥ります。しかし、その底から母が多くの意味の詰まった創造的な贈り物 ー ヴァントゥイユの音楽を思わせる朗読の声 ー をしてくれます。「囚われの女」でも、主人公はアルベルチーヌとの愛の消滅に苦しみます。しかし、その危機の底にあって、彼女も豊かな意味のこもるピアノ演奏という創造的表現を贈ります。母もアルベルチーヌも、ふたりはその行為の直前にそれぞれ、独自に作った愛称と、マルセルというファースト・ネームを彼に繰り返し与えます。
 そういえば、嫉妬で悩むとき、アルベルチーヌは、彼には「海」にも見えましたし、また愛撫した時も、彼女は「容器」の「閉ざされた蓋」のようになりました。つまり、彼は彼女に拒絶されつつも、彼女の存在の奥底には、母性を思わせる「海」が広がり、そこには彼を受け止める可能性も感じられます。また彼女は容器の「閉ざされた蓋」にも見えますが、その蓋も開かれ、容器の中身の豊かさに触れる可能性も実は感じられます。不在によって深い不安と欠乏感に突き落とされる主人公は、闇の中で不意に渡された創造性という未知の贈り物の中身を懸命になって推し測ろうとします。哲学者レヴィナスは、失意にかられるマルセルが最後にもらうこの創造性という贈り物を「詩」と名付けて、この「詩」を手にすることによって、マルセルの孤独は、創意が交わされる開かれたコミュニケーションへと反転すると指摘します ー「孤独の絶望は、数々の希望の尽きることのない源泉」に転換するのです(「プルーストにおける他者」)。
 就寝劇とアルベルチーヌのピアノ演奏の場面は互いに類似する演出で展開されます。就寝劇の母親は来客スワンをもてなすことに忙しくなり、不安と嫉妬にかられた主人公は母親の愛情を疑っていましたが、同様に第五篇「囚われの女」のパリでも主人公ははじめはアルベルチーヌの愛情を疑っていました。そうして嫉妬にかられ孤独に陥る主人公に、コンブレの母親も、パリにいるアルベルチーヌも、外部から訪れてきて、情愛を込めて主人公に新たな名を与え、その名でそれぞれ数回ずつ呼びます。 母のほうはコンブレではじめて主人公を独自に作った愛称で呼びましたが、アルベルチーヌのほうもはじめて「マルセル」という名で主人公を呼びます。
 それから、アルベルチーヌは、「コンブレの母のように安らぎを与えてくれるキス」をマルセルにします、さらに、ふたりとも創意に富む実践を行います。 つまり、母は創意に富む朗読を、アルベルチーヌのほうはマルセルのために手を加えたピアノ演奏をそれぞれ行ってみせて、マルセルがそれに反応して、彼のまだ眠っている創造的表現の意欲が喚起されるのを待ちます。アルベルチーヌは「肉体的欲望を感じ直させることはできなかったが、私に一種の幸福への渇望をふたたび味あわせ始めた」(「ソドムとゴモラ」)。
 第五篇のヴァントゥイユを弾く成熟したアルベルチーヌが、コンブレで朗読を聞かせてくれた就寝劇の母親の姿に類似し、重なることにマルセルははっきりと意識します。「このように毎晩アルベルチーヌをそばに置きたいという欲求の中には(・・・)私の生涯でまったく新しいものではないにしても、少なくともこれまでの恋愛にはなかった何かがあった。それは、はるかなコンブレの夜、母が私のベッドにかがみ込んでキスとともに安らぎを与えてくれたとき以来、たえて感じたことのない心を鎮めるある力だった」。深い欠落感を与える母やアルベルチーヌに怒りも覚えますが、その根底においてふたりは創造性に富む呼びかけを行います。コンブレでの原点の声に主人公は回帰します。「新しい時代」に入るということは、まだ無主体だった彼が少しずつ創造的表現を習得するようになるということです。
 小説冒頭の就寝劇以降さまざまな機会に反復され変奏されるこの呼びかけてくる声は、時間を超えて互いに共鳴し増幅されてゆきます。最終篇には、こうした文が書かれています ― 「私が生を受けたコンブレからは池の水がいく筋もの噴水となって、私と並んで噴き上がっていることがわかった」。
 恋愛自体は嫉妬や消滅へ向かう中にあって、当初こそ小声で、しかも断続的にしか伝わってこなかった声は、それを語る主体を変えつつも互いに繋がって増幅され、時間によって消されることがない豊かな印象ともなって主人公を導きます。社会や人間によって織りなされる筋立ての下に隠されるように繰り返されてきた就寝劇での母の朗読の声やバルベックの祖母からのノックの音を、アルベルチーヌはピアノ演奏によって時間の流れを遡って繋げてみせます。主人公に創造的な表現という糧を与えるアルベルチーヌに主人公マルセルは「偉大な「時」の女神」を感じるようになります。
 恋愛において孤独でもあった主人公は、アルベルチーヌから初めて「マルセル」と親しく数回呼びかけられ、母の朗読の声を想起させる彼女のピアノ演奏に触発されます。そして、それに応える形で自分なりの創意を模索し始めます。
 そして、アルベルチーヌによってうながされるマルセルは、今度はヴァントゥイユの曲を自らピアノで弾き、芸術創造についての深い考察をアルベルチーヌに語り始めます。スワンや、スワンと親しい仲のシャルリュス男爵のような「芸術の独身者」とは異なり、他者たちの歌を充分に受容したうえで、批判精神も働かせ、自らの創意をそこから主体的に発掘し、それをアルベルチーヌに向かうように表現します。母親や祖母やアルベルチーヌ、作曲家ヴァントゥイユなどからの間欠的に繰り返される呼びかけに、マルセルもようやく独自の創造的表現でもって応えようとします。
 主人公の初恋の相手ジルベルトも、スワン嬢でなくジルベルトと呼ばれるようになると、今度はパリで主人公をファースト・ネームでもって呼ぶようになります。さらには、彼の成熟をうながすかのように作家ベルゴットの著作を主人公に貸し与えます。ジルベルトはアルベルチーヌの副次的人物ですが、基本においてはアルベルチーヌと同様の重要な役割を演じていて、主人公の成長を導こうとします。二人との恋は結果的には失恋に終わりますが、両者の間には「深い類似性」(「消え去ったアルベルチーヌ」)が見られます。「失われた時を求めて」はここにおいても反復と変奏によって展開してゆきます。
 主人公マルセルは相変わらず嫉妬にかられるし、無力感や罪悪感にもとらわれ続けますが、反面では芸術作品の受容においては鋭い感受性を発揮します。作家志望である主人公は、長いあいだ無為に日々を過ごしましたが、繰り返し先行作品を吟味し検討したうえで、自らの創作観を練り始めます。
 偶発的な一回性の啓示が特権的瞬間のように起きるのではありません。主人公はひとりで独創にのみ頼る形で創造的行為を始めるのでもありません。
 作家志望の主人公は巻末において創作を始めようと決意しますが、それ以前からさまざまな形で創作行為へうながされ、また導かれていたからです。巻頭の就寝劇でも母親だけでなく、母の分身である祖母も、一度父親の反対に会いますが、幼い主人公の誕生日プレゼントとして隠喩が多く使われている、ジョルジュ・サンドの小説数冊を創造性に富む小説としてことさらに選んで購入しました。それを母が音楽を思わせる調子に乗せて主人公に読み聞かせます。主人公の能動性を引き出そうとするいくつもの歌は、通奏低音となり、小説全編にわたって繰り返し響き、連鎖となって広がります。マルセルは、「現在の自我と、過去および未来とのすべての交流」を断ち切らないような作品を創作しようと最後に思い立ちます。コンブレの町民たちも参加する共感に富んだ呼びかけによって、主人公マルセルの創意が引き出されてゆきます。
 間欠とは、一定の時間的間隔を置いて物事が起きることで、消えたと思われていた記憶や感情が不意に立ち返ってくることを意味します。執筆の初期段階では、プルーストは「心情の間欠」を自作の総題にしようと構想していました。
 アルベルチーヌはマルセルから別れ、その直後に落馬事故によって亡くなりますが、彼女のピアノ演奏はマルセルに歌いかけ、彼をうながし続けます。それに応えてマルセルは最後にアルベルチーヌを再生させ、またコンブレの生活を再創造しようとします。たとえ喪失や忘却にのみこまれ、声に悲歌のような響きがこもるようになったとしても、この広く親密な愛は相互に交わされてゆき、相手を導き高めようとします。プルーストにおける愛は、相手に合一し相手と同じ語法を繰り返すことではありません、また、相手の内面を完全に熟知することでもありません。
 プルーストの愛において特徴的なのは、愛が最後は相手を所有することではなく、深い欠落感に突き落とすものである反面、その根源において創造的な表現へと向かわせるものであり、精神的な高揚へと誘う愛へと変容してゆくことです。愛は直接相手を専有しようとする自己を中心とした自己決定の愛から脱皮することになり、嫉妬からも解放されることになります。
 こんな一節が書かれています ― 「われわれは愛の対象が、身体に閉じこめられ、目の前に横たわってくれそうな人間であると思いこむ。ところが、残念なことに、愛とはこの人が過去と未来に占めるあらゆる諸点において展開されるものなのだ」。「失われた時を求めて」においては、性格も、心理も、名前さえも時間の経過とともに変化します。 個々の人物の終始一貫した性格やアイデンテッティを定めてしまうのではなく、人物たちが互いに密に結ぶ関係性を追い、それが間欠的に反復され変奏される展開を追うと、主人公が創造へ向かい変貌する動きに立ち会うことができます。
 アルベルチーヌの同性愛疑惑を含む恋愛感情の分析は緻密だし、その表現も巧みではあります。ですが、彼女の実際の明確な姿はついに像を結びません。個々人の性格や心理の下には、感覚や記憶や無意識や夢や想像力や性といったさらに深い分野が広がります。自立する個人という狭い枠にとらわれない広い領域にまで降りれば、パリでアルベルチーヌがピアノで弾く音は、それによく似た場面設定においてコンブレで母親が朗読した声と共鳴し、響き合います。
 なお、実生活においては、プルーストは1905年に最愛の母を失いますが、その3年後に重要な「母との会話」(「サント=ブーヴに反論する」所収)を執筆します。そして、これが後の「失われた時を求めて」創作のための重要な萌芽となります。

 なお、「マルセル」という名前は、1922年11月18日の死の前に、第5篇「囚われの女」の原稿類を校正するための時間的余裕がプルーストに与えられていたら、抹消されていたはずだとする学説があります。この説によれば、したがって語り手は無名であり、「マルセル」という名前は存在しません。プルーストは、刊本と草稿において「私」のファースト・ネームを明示するのを周到に避けてきたという説で、1959年にフランスの権威ある研究誌に発表されました。この学説を発表した日本人研究者は、語り手を無名にした理由を、「プルーストが自分の限られた経験を掘り下げながら、普遍的なものに到達することを目指したためである」と書いています(「マルセル・プルースト」「集英社世界文学事典」所収)。
しかし、最近の生成研究においてこの説を覆す資料が見つかりました。<「私」無名説>発表後にさらに集められた当該箇所の草稿類の網羅的な調査・解読が進められた結果、確かに草稿帳「カイエ53」と「カイエ55」(1915年)においては、この「マルセル」は消されているものの、執筆の最終段階とも言える清書原稿(1915―16年)においては、「マルセル」は反対に書き加えられていることが明らかになりました(仏語新版「失われた時を求めて」第三巻 ガリマール社プレイヤッド叢書 1988年)。
 つまり、「囚われの女」において、アルベルチーヌが「マルセル」と呼びかけたとする当該箇所の私の解釈を変更したり訂正する必要性は認められません。生成研究による新発見は、私の解釈にはむしろ裏付けを与えてくれるものとなりました。
  字句の異同の文献学的な確認は当然必要ですが、同時に小説全体の展開において名付けるという行為が持つ文学上の意味も忘れたくはありません。主要な人物たちにおいて新たな名付けが行われると、上述したように、それは多くの場合その人物たちが変貌し、それまでとは異なる豊かな可能性をおびる契機になります。さらには、それは他の名付けの場面を生むことにもなり、大きな文脈が築かれてゆくことになります。当該箇所の「マルセル」という名付けはそうしたコンテクストの重要な一環なのです。テクストの語源は、texere(織る)であり、織物には縦糸だけではなく、横糸も使われているはずです。
  なお、最終篇「見出された時」は1927年に刊行されましたが、その末尾にはプルースト自身の手によって「終わり(fin)」と書かれています。ですから、全編を読み通す際に大きな支障が生じることはありません。

                  編集協力 KOINOBORI8

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

Ⅰ.「失われた時を求めて」 対話的創造のほうへ 1/4

 マルセル・プルースト(1871−1922)の長編小説「失われた時を求めて」は大伽藍に例えられることもあって、何やら近寄りがたい長編のように語られることがあります。しかし、その特有な展開の仕方に慣れれば、けっして難解な書物でも美の巨峰などでもありません。重要な場面もむしろ身近な所で繰り広げられることが多く、多彩なアプローチが可能な小説だということがわかるはずです。安定していた社会が傾く時の迫力に富む描写もあり、人生にうがたれる深淵をのぞきこむような場面も描かれはします。でも一方では、人間に秘められている可能性も繰り返し語られているし、親近感もユーモアも感じることができる小説です。それまでの近代小説にはなかったような新しいタイプの長編小説です。二十世紀初頭の芸術創造の刷新期に書かれ、第一篇「スワン家のほうへ」は1913年に出版されましたが、1910年には、精神分析の領域を切り拓くフロイトの「夢の解釈」が刊行され、1924年には二十世紀最大の文学運動となるシュルレアリスムの「宣言」がアンドレ・ブルトンによって出版されます。
 読み進むにつれ、読者も主人公とともに自分のうちに潜んでいる豊かな可能性の探索へと導かれてゆくはずです。「失われた時を求めて」は、最後はわれわれ読者にも創造的な表現をするように呼びかけてきます。

Ⅰ. コンブレの就寝劇
 巻頭のコンブレという小さな町で起きる就寝劇において、すでに作品の基本的なテーマを予告する重要なことが起きます。夕食に招かれて来訪してきたスワンをもてなすために、主人公の母親は忙しくなります。スワンといえば、傾きはじめたとはいえまだ華やかだったパリ社交界の寵児なのです。母は幼い主人公に毎晩与えていたおやすみのキスさえ与えることができなくなります。母の不在を予期し恐れていた主人公は、スワン来訪によって実際に起きた母の不在を前にしてうろたえます。不在の母は自分を排除して、夕食という快楽をスワンと共有しているのではないか ― 愛情における嫉妬という、のちに恋愛において展開されることになる大きなテーマがすでに読み取れます。母の長引く不在を前にして感情を抑制することができなくなった主人公は、スワンの帰宅後、深夜になって片付けを終え、ようやく寝室に入ろうとしていた母親に、禁を犯して廊下に飛び出しすがりつきます。困惑する母におやすみのキスをねだります。最後に譲歩した母は、しぶしぶ主人公の部屋に入り、夜通しジョルジュ・サンドの小説「捨て子フランソワ」 ― 主人公の誕生日プレゼントとして祖母によって厳選され購入されていた ― を読み聞かせます。
 ここで特徴的なことは、母がサンドの原文を原型のまま忠実に再現してはいないことです。母は原文をそのままの形で手渡すようにして音読はしてはいません。原文に自分なりの創意で一工夫を加えて主人公に読み聞かせています。母は音楽の流れに乗せるようにして独自に手を加えて朗読をしました。
 また、母親の分身である祖母も、今までのものに、それに類似する新たなものを付加する創造的表現である隠喩が使われている小説をとりわけ好んで選び出して購入し、それを主人公の誕生日の贈り物に決めました。プルーストは、隠喩という言葉を、<新しい意味を生み、それをそれまでの意味に追加させる創造的表現>として使っていて、自らの創造行為を表現する語として何度も使っています。プルーストは隠喩を古典修辞学のように説得や美のための表現としては考えていませんでした(佐藤信夫「レトリック感覚」)。
 母のほうも読み聞かせの声を独自に工夫して、声に音楽の調べを加え、増幅させ、新たな意味を原文に加えていました。祖母も母も生活において創意工夫を発揮し新たな形で表現することのできる創造的センスの持ち主です。
 主人公は母が創意に富む素晴らしい読み手であることに気づきます。母が朗読に作曲家ヴァントゥイユの楽曲の抑揚をつけていることに気づき、主人公は喜びます。ジョルジュ・サンドの「平凡な散文」に「いとおしい思いのこもった一種の生命」が吹きこまれているのです。母からの愛情は幼い子供の身体に直接注がれる母子未分化の時期特有のものではありません。自ら才気を発揮し、それを創造的実践に移し、子供にその行為を差し向けることによって、子供自身にも主体性を発揮させようとうながしています。子供にも自らの内に潜んでいる能動性を発揮することを母は願っているのです。
 まず、母は独自に作った三つの愛称で繰り返し主人公に呼びかけます。その次に語りかけられる創意に富む朗読の声には、子供にまだ眠っている創造性を呼び醒まそうとする深い愛情が込められています。長編小説冒頭から重要なテーマの萌芽を読み取ることができます。
 このほかにも、就寝劇にはその後に展開されることになるテーマがいくつか伏線となって置かれています。コンブレの就寝劇で主人公は不在となった母を会食者スワンの元から一刻でも早く取り戻そうとして、両親に罰せられるのを覚悟のうえで家の慣例を無視して、深夜に自室から廊下に飛び出して母にすがりつき、おやすみのキスをねだります。悪を犯したことになりましたが、その行為は主人公の記憶に深く刻みこまれ、このため同様の悪行を主人公はその後も犯すようになります。例えば、後に相続によって自分のものになったレオニー叔母の家具を主人公は売春宿に売り飛ばしてしまいます(プルーストの母親は、家具を愛好した)。第6篇のおいても性的誘惑に駆られる主人公は母をてこずらせる退行現象を演じます。また祖母と恋人アルベルチーヌに対しても過誤を犯したと思い、のちにふたりが死ぬと、その死を自分が犯した過誤によるものだと思い、主人公は自責の念にかられます。
 また、就寝劇において母の不在という現実を突きつけられた幼い主人公は、不安にかられ、ただ泣きじゃくるだけですが、この時おぼえた無力感もその後になってやはり再び体験することになります ― 「実のところ、この嗚咽の声はけっして止むことがなかった」。
 主人公は、こうして母や祖母をはじめとするコンブレの人物たちからうながされ導かれ、そのうちに次第に自分の内に潜む能動性の表現の機会を自ら探ることになります。しかし、その能動性の習得のためには長いプロセスを踏むことが必要となり、それは予定調和のように容易には実現されるものではなく、その行程には挫折や失望や嫉妬や悪といったさまざまな要素が絡んでくることが、こうして小説冒頭から暗示されます。不幸や悪という試練に遭うことによってはじめて新たなものを習得することへの渇望が生まれます。贖罪の気持ちも混じり、文章は時に悲歌のようになり、陰影に富むものになります。
 コンブレの就寝劇は、「失われた時を求めて」全体を予告するものであり、オペラの序曲 ― オペラ全体の粗筋や雰囲気をまとめて演奏し、展開を予告する ― を想起させます。また、母はそれ以降も主人公を支え、創造的表現に向かわせようとします。
 なお、就寝劇での母の読み聞かせの声は、それ以降バルベック滞在中においても、母の分身である祖母からも変奏された形で主人公に向けて発せられます。避暑地バルベックの中心の「グランド・ホテル」の個室で孤立感をおぼえ気持ちを苛立たせる主人公に向かって、隣室にいた祖母は壁越しにノックの音を送り、孫の気持ちをなだめて落ち着かせます(写真参照)。コンブレの就寝劇のように、祖母も主人公に自分で作った愛称で呼びかけます ー「可哀想なおいたさん」「小さなネズミさん」・・・。その時、祖母が叩いたノックの音は、音楽と言葉が一体となったように響いてきて、その音によって主人公は落ち着きを取り戻します。コンブレでは母による朗読の声も音楽のように響きましたが、バルベックでの祖母のノックの音もやはり音楽に重なる呼びかけの声として聞こえてきます。
 しかし、主人公はここでは不安を鎮めるだけではありません。その主人公は呼びかけてくる音に高揚感をおぼえ、自らも祖母にノックで応えます。部屋の仕切り壁の両側から交わされる祖母と主人公のノックの音は、声をはらむ音楽の二重奏として描かれています。ノックの音は楽音として聞こえますが、壁越しに交わされる楽音は壁越しに交わされ、それは相手の気持ちを高めようとする愛情のこもる対話の声として表現されます。
Embed from Getty Images
上および下の写真:カブール(バルベックのモデルのひとつ)のグランドホテル
Embed from Getty Images

 第5篇「ソドムとゴモラ」の「無意識的記憶」と題された一章において今は亡き祖母は甦ってきますが、この時も祖母は第一回目のバルベック逗留時に主人公と壁越しに交わしたノックという、ヴァントゥイユの主要なピアノとヴァイオリンのソナタを思わせる響きになって忘却の彼方から愛情のこもる対話の声となって思い出されます。密接な関係で結ばれ、主人公を励起させようとする祖母は、母親同様、「私」を独自に作った愛称で呼びかけます。
 コンブレは作家志望の主人公が創作へ向かうための揺籃の地です。そこには教養や知識を直接教授し伝授する形ではなく、そこに自らの創意工夫も盛り込み、生きた知恵として表現し実践できる人物たちが登場し、実は主人公の主体性を引き出そうとしています。
 母親や祖母だけでなく、料理女フランソワーズやその仲間でもあるテオドールや、さらには多大な影響を主人公に与える作曲家ヴァントゥイユなども、生活から遊離しない場であるコンブレにおいて独自の創意に富むセンスを発揮して、主人公に創造的表現のヒントを与えます。
 レオニー伯母の料理女フランソワーズは、表面上では頑固で、病弱な下働きの女中をこき使う人物ですが、実は同時に主人公を創造へと導く重要な役割を演じます。彼女が料理の腕を振るい始めると、それは既成のものにとらわれない創造のセンスの自由奔放な表現となっていて、その才気によって彼女の道徳上の欠点はいわば看過され許されることになります。プルーストは、ドストエフスキーの欠点だらけの登場人物が高い精神性に富む行為を行うことに注目しています(「見出された時」「書簡」)。
 フランソワーズは、日曜になると腕によりをかけて正餐である昼食を主人公一家にふるまいますが、その入念な準備は前日の土曜日から主人公一家の習慣を打ち破る形で開始され、日常生活という規範にとらわれない途方もないその料理の腕前は、彼女の針仕事と同様、主人公に創作のヒントを与えることになります。
 実に多様な食材がまず集められ、新鮮な海の幸までもが遠くの海から食卓に上ります。日曜のミサに供えられたブリオッシュも、ミサが終わると食卓にいつのまにか並べられています。聖と俗の間に引かれていたはずの境界線は平然と乗り越えられ、コンブレの中世の教会に彫りこまれていた聖王ルイも、まるで知り合いであるかのように台所でフランスワーズと語り合います。彼女が焼く肉のローストの香は、コンブレの町のはずれまで運ばれてしまう。規格外の、その奔放な腕のよって作られる料理は、それが芸術ではない生活という分野のものであれ、音楽作品にたとえられ、慣習にとらわれない創造力を表現します。
 土曜から日曜にかけて繰り広げられるフランソワーズの料理は、平日の「おだやかで、閉ざされた社会」、「カースト制」とも見なされるコンブレに、「ほとんど全市民のものと言えるような小事件」を引き起こします。そして、土日になるたびに料理の活動的な時空間は繰り広げられるので、ついには週日の穏やかな慣習とは異なる「ふたつ目の慣習」が土日に出来上がります。料理の腕たるや、おそるべし、です。
 なお、穏やかなコンブレの日々にフランソワーズによって作り出される「ふたつ目の慣習」は、その後もそれと共通する「ふたつ目の作品」という表現となってふたたび立ち現れます。パリの美の殿堂オペラ座で女優ラ・ベルマによって朗誦されるラシーヌ劇の台詞が描写される時も、ラ・ベルマ特有の台詞回しが、台本のラシーヌの「フェードル」に忠実でありつつも、さらにはそれが「素材」として使われ、そこに女優ラ・ベルマは独自に解釈した表現 ー「ふたつ目の作品」 ー を加えていました。
 最初にラ・ベルマを観劇した時は、憧れていたラ・ベルマをひたすら「女神の完璧さ」を示す「絶対的な存在」としてあがめ、その「演劇の天才というあらかじめ作られた抽象的で誤った観念」にひたすら同一化しようと焦ったため、主人公はラ・ベルマの創意工夫を聞き取ることができず、結局那一回目の観劇は主人公に失望をもたらすことになりました。女優ラ・ベルマが原作に対して加えた独自の創意である「ふたつ目の作品」などは聞き取ることができませんでした。

(Bing image creatorによる作図)

 しかし、パリ・オペラ座での第二回目の観劇の際は、ラ・ベルマの演技に感激することになります。彼女が「原作のまわりに生み出される第二の作品」を表現していることに気づいたからです。この「第二の作品」は、フランソワーズがコンブレで現出した「ふたつ目の慣習」という表現に類似し、その延長上で用いられた表現です。こうして、コンブレの生活に「ふたつ目の慣習」を創出したフランソワーズの料理は、いつのまにか首都パリで演じられる格調高い古典演劇 ー 「第二の作品」を現出させる女優ラ・ベルマの朗誦 ー と肩を並べています。創作上のカテゴリーやジャンルを無視するような、また社会のヒエラルキーが横断されるような、驚くほどのスケール感に富むユーモアとも社会風刺とも解釈できるエピソードです。
 なお、その際、「第二の作品」を受け止め、それを正しく評価して喝采を送るのは、主人公のいる安価な平土間の「民衆」のほうです。一方、桟敷席やボックス席に陣取るゲルマント公爵夫人たちのラ・ベルマの朗誦への反応は描かれてはいません。公爵夫人たちにとっては、オペラ座は観劇の場ではなく、むしろ華やかな社交の場なのです(生成AI画像参照)。

The Opera Box (La Loge de L’Opera) (1894) Alexandre Lunois (French, 1863-1916)

 主人公一家と一緒に片田舎とも言えるコンブレから約100キロ離れたパリの貴族街サン=ジェルマンのアパルトマンに引っ越しても、フランソワーズの料理はその勢いを失いません。主人公の高級官吏の父が仕事上の便宜も考えて、自宅に元大使のノルポワ侯爵を招いた時も、料理女フランソワーズが供した多くの食材を長く煮込んで作るコンブレでの得意料理「ニンジン入り牛肉ゼリー寄せ」は、パリのサロンではいつも高級官僚として断言を慎重に避ける元大使のノルポワ侯爵にまで絶賛されます。当時は、中央集権の首都パリから地方へと何事も運ばれていました。食卓において料理が供される現在のような順序 ー 前菜に始まりデザートで終わる順序 ー にしても、それはパリで1880年頃に順序が定まり、それもその頃やはりパリから地方へと広まりつつありました。しかし、フランソワーズはコンブレにいる時でもこの新しい順序を断固として取り入れようとはしません。フランソワーズは敢然として慣行を無視し、「逆さまの旅」を周縁のコンブレから中央のパリに向かって行います。

牛肉と人参のゼリー寄せ Boeuf carotte en gelée

 フランソワーズの仕事ぶりは母親にも気に入られ、最終巻においても主人公は彼女の、やはり多くの布地を縫い合わせて仕立てるドレスの作り方にも感心し、自分もその仕事ぶりを真似て創作しようと思うようになります。フランソワーズはまたその本能的な直感によって主人公が取りかかる創作を理解し、彼の原稿草稿を巧みに整理して、執筆を手伝うことにもなります。相互性によって創造が日常生活から遊離しない卑近な所でも実践され、互いを高め合います。日常生活において慣例にとらわれずに自由に作られるものに、少しずつ創造されるものが帯びる品格が与えられてゆきます。
 主人公に強い影響を与える作曲家ヴァントゥイユも、元はと言えば娘の同性愛に悩むコンブレのピアノ教師にすぎません。祖母はその生徒でもありました。実は多くの名もない人物たちまでが ― フランソワーズと親しい、食品店の素行不良の青年テオドールでさえも ― 生活の場において蓄積されてきた生活の知恵に基づきつつも、そこからさらに独自のすぐれた腕や技を磨いていて、その創意工夫は作家志望の、しかしまだ無為で執筆を一日延ばしする主人公の背中を押します。それぞれにおいて発揮される才気を目にする主人公は、こうして実は小説冒頭の「コンブレ」からすでに創作のヴィジョンの探求と習得に向けてうながされています。当初こそコンブレの端役でしかないと思われていた人物群も重要な役割を演じます。それぞれの立場から、実は彼らは主人公に創造性という贈りものを何度も贈ります。しかし、主人公のほうはまだその贈与の意味が理解できません。
 フランスでは、19世紀末に日曜日が休日として認められ始めましたが、休日となった日曜日はきわめて貴重な1日であったため、フランンス人はその日を休息の日として何もしないで終日過ごすようなことはしませんでした。むしろ、週日の勤労とは別の活動に励むことができる1日と思い、各自は独自の工夫によってその日を十分に活用するようと知恵をしぼり工夫をこらしました(ピエール・ノラ「村での自由時間」「レジャーの誕生」所収)。なお、フランスでは、日曜を休日として確保するための日曜日法案が1906年に可決成立しています。
 音楽や絵画といった高尚な大芸術の美がただ観念的に審美的に鑑賞されてもいないし、美に主人公は自己同一化してもいません。美がただ受け身のまま享受されるだけではありません。大文字の美の鑑賞にひたすらふけるスワンはといえば、コンブレの老ピアノ教師が、高明な作曲家ヴァントゥイユであることを認めようとしません。スワン ー 一部は若い頃の主人公 ー はコンブレの住民でもありますが、芸術から強い印象を受けてもそれを時間をかけて深めようとはせず、主人公とは異なり、既成の知識に直接還元していまいます。音楽や絵画といった高尚な芸術理解も結局は表面的で画一的なものに堕してしまいます。
 当初は副次的な脇役とも思われた人物や風景のほうは、その外見や表面からだけでは推しはかれない豊かさを秘めています。人物の性格や心理の下には、また物の物質の下には、幾重にも可能性や可塑性が重層的に積み重なっています。人物も事物も「羊皮紙」や、また「壷」にも例えられています。心理という理知で分析する表面の奥底までもを見抜く作業を読者はうながされます。また、物の物質の下に封じ込められている多様な動きを開放させなくてはなりません。その時、読者には知性だけでなく、感性や想像力や記憶も必要になり、能動的な読書を読者は始めることになります。さまざまな人物や風景などから受ける印象にしても、そこに共通して潜められている生動する動きや、そこから呼びかけてくる声を探るためには、共感を抱きながら、「レントゲン透視」や、写真の「ネガの現像作業」を繰り返し行うことが必要になるとプルーストは最終篇でも指摘します。きっと、高感度の集音マイクでもあったら、さらに好都合になるかもしれません・・・。
  第一編「スワン家のほうへ」は、こうして前奏であり、やがてさまざまに展開されることになる予告や伏線が準備されています。やがてそれらは反復・変奏されて、強化・増幅されてゆき、一見忘却されたように思われだすものも回収されますし、最終篇「見出された時」において新たな照明を浴びて回帰し、立ち返ってくるのです。


                  編集協力 KOINOBORI8

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

お勧めフレンチ・ア・ラ・カルト

 芭蕉は江戸に旅立つ門人にはなむけとして、次のような俳句をひねりました。

   梅若菜丸子の宿のとろろ汁    猿蓑

 新春の道中には、梅もある、若菜もある。丸子の宿(静岡市内)ではおいしいとろろ汁が待っている。色彩豊かで味覚まで刺激されます。芭蕉の弟子を励ます気持ちが伝わってきます。

 この名句ほど素敵で心温まる食の列挙はできません。でも、貧しい食体験からでも、私なりのめずらしい<お手頃フレンチづくし>を試みてみましょう。


 季節のガレット
 ソバ粉で作るクレープ「ガレット」。中には卵やハム、きのこやベーコンなどの具が入り、仕上げに塗られるバターが香ばしいです。 リンゴ酒の「シードル(Cidre)」を添えてみても、サッパリした感じの食事が楽しめます。リンゴ酒のアルコール度はたったの2%です。日本でも食べることができす。 
 Galette saisonnière. Une galette de crêpe réalisée avec cette farine de sarrasin.


オッソブーコ
 オッソブーコはミラノとロンバルディア州の代表的なイタリア料理の一つで、骨付き仔牛すね肉を厚さ4cmの輪切りにし、トマト、白ワイン、スープ、味付けした野菜、グレモラータで煮込みます。骨のズイにはコラーゲンがたっぷり!イタリア語で、オッソは「骨」で、ブッコは「穴」です。

https://www.thehouseofelynryn.com/2021/12/01/steak-au-poivre/

 ステーキ・オ・ポワブルは、粗挽き黒胡椒とコニャックをたっぷり使ったソースを添えたペッパー・ステーキです。 フライパンでフィレ・ミニョン(牛ヒレの先の部位)を焼きます。 ビフテキに飽きた時などにいかがでしょうか?もっとも、フランスの牛肉には脂身が少ないので、飽きが来ることはありません

https://www.cuisineaz.com/recettes/raie-au-beurre-noir-29028.aspx

 美しいエイヒレ、ソース用のバター、酢、そしてニンジン、タマネギ、ケイパーを添えて。「エイなんか食べられるのか」と思われるかもしれませんが、エイの肉は、柔らかく厚く、そこに焦がしバターが程よくしみて美味です。フランスは山の幸だけではなく、海の幸にも恵まれた国です。食材は多彩で、とても豊かです。日本とフランスの食料自給率は、それぞれ、38%と125%です。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Fromage_aux_noix

 胡桃入りのチーズ くるみチーズはフランス産のチーズです。ナッツで飾られたプロセス・チーズで、特に年末に食べられるサヴォア(イタリア国境)の名物です。サヴォワ地方には、フォンデュというよく知られた料理もあります。これは、硬くなってしまったパンをチーズと一緒に溶かして食べたことから考案された料理で、日本でも一時期広まりました。


 イル・フロタントはフランスの伝統的なデザートです。直訳すると「浮かぶ島」という意味です。このデザートはバニラ風味のカスタードソースに浮かぶメレンゲが特徴です。 日本人にふるまうと、とても喜ばれます。作り方はとてもカンタン!

 フランスでは、日曜の昼食に招かれることが珍しくありません。長い時間をかけて、食事を、会話を楽しむためでしょう。最後のコーヒーが出て来るのが 四時になることもあります。そういえば、「食卓の愉しみ」という表現も使われます。食卓の名人のような人もいて、その人はよく食べ、よく飲み、よく味わい、よく話し、よく人の話の真意までも聞き取りますが、それだけでなく、話の合間に自分の意見を巧みに手短に表現します。長い食文化・歴史から生まれるタイプの人と言えるでしょう。偏らない豊かな知恵が日常のテーブルで発揮されます。そんな達人級の会食者と同じテーブルを囲むと、味覚の楽しみとともに、それはとても深い記憶になって残ります。素晴らしい土産話にもなることでしょう。
 では
 ボン・アべティ!「(たっぷりと召し上がれ!)

 そうそう、食後には、アイザック・ディーネセン原作の名作映画「バベットの晩餐会」(デンマーク 1987年)などいかがでしょうか。
 デンマークの寒村の牧師の信心深い二人の娘は、生きたウミガメやウズラに肝をつぶして、口にしようとしません。しかし、次第に、料理の魅力によって・・・。この名画には、「失われた時を求めて」で引用される、当時の有名なパリのレストラン「カフェ・アングレ」の女性シェフ「バベット」が主役をつとめ、そのすぐれた料理の腕前でもって、互いに硬く閉ざしていた会食者たちの心をほぐしてゆきます。グルメ映画ではなく、より深い人間的な訴えが秘められています。

≪番外編≫

めいたがれいの「エイヒレの焦がしバターソース添え」仕立て

 本編のメニューのうち、日本では普段手に入りにくい、エイヒレの代わりにめいたがれいを使って「エイヒレのソテー焦がしバターソース添え」仕立てをつくってみたところ、たいへん美味しかったので、番外編としてレシピをご紹介します。お魚は白身のすずきや鯛でも良いと思います。 是非、フランスの味をお試しください。

【材料】(2人前)
めいたがれいの切り身 2つ(すずき、鯛でもOK)
バター 20g
オリーブオイル 大匙2
小麦粉 適量
A バター 40g
A ケッパー(必須) 大匙2(量はお好みで)
A レモン汁 1/2個分
A 塩・胡椒 適宜
A あれば、刻んだイタリアンパセリ(又は万能ねぎの小口切り)適量

【作り方】
1. めいたがれいの水気を良くふき取り、塩・胡椒で下味をつける。
2. めいたがれいに小麦粉をまぶし、余分な粉ははたく。
3. フライパンにバター20gを溶かし、オリーブオイルを大匙3加える
4. めいたがれいの皮目から焼く。キツネ色に焼けたら裏返し、フライパンの溶けたバターをスプーンで全体に30秒間ほど回しかける(アロゼ)。裏側にも焼き色をつける。
5. 皿に盛り付ける。
6. Aの材料で、焦がしバターソースを作る。なるべくバターの色の見えやすい小鍋にバターを溶かす。中火で鍋をゆすりながら、注意深く色を見る。香ばしい茶色になったら、すぐに火から離してレモン汁を加えて焦げをとめる。更にケッパーを加え、塩・胡椒で味を調え、刻んだイタリアンパセリを加えて良く混ぜる。
7. ソースを魚にかけて供する。

焦がしバターソースが上手にできるとまるでバタースカッチのような香ばしさ。ソースの染みた魚も付け合わせの野菜もなんともいえない美味です。


                  編集協力 KOINOBORI8

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村