甦る山荘風別荘


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 山荘風の旧別荘を、久しぶりに訪ねてみた。近親者が所有していた縁で、三十年以上毎年夏になると家族でその別荘に通った。しかし、九十年も前に建てられた木造の別荘は、骨組みこそしっかりしたものではあったが、軽井沢特有の湿気にやられ、さすがに少しずつ傷み始めていた。
 維持するにしても、二階には部屋が四つもあり、補修や管理には大きな困難が予想される。一家族で使い続けることは不可能だ。ポストモダンの先例として再評価されている建築家ウイリアムヴォーリズによる設計であったために、保存することも検討しなくてはならない。となると、どうすべきか。
 別荘の所有者の代替わりを機に、別荘全体を移築して保存する方向で可能性を探ることになった。しかし、一口に移築といっても、台所の屋根は傾くし、窓枠なども相当朽ちてきている。補修工事だけでも相当な規模のものになるはずだ。模索や交渉は長く続いた。いっそ保存などではなく、分割してはどうかという案まで出された。しかし、ふだんはおとなしい私の妻が、この軸のぶれた案を断固として拒否した。まさに、「却下」で、一蹴した。じつは妻は何も口に出しては言わなかった。圧倒的な無言の、しかしとても雄弁の「否!」だった。毎年一ヶ月は過ごした少女時代の夏の軽井沢の思い出を壊すようなことはしたくなかったのだ。
 大きな企業も二、三乗り出してきた。しかし、話はまとまらなかった。しかし、最後の最後になって、文化財に関心を寄せる篤志家が現れた。大きな別荘はそのまま原型をとどめる姿で中軽井沢の塩沢湖畔に移築され、全体が補修されることなった。
 町民の方々が移築と補修に協力してくださった。自然石を積みあげた野趣に富む暖炉は、石のひとつひとつにまでナンバリングされたうえで搬出され、隣の中軽井沢まで運搬されていった。軽井沢の歴史文化の保存活動を行う軽井沢ナショナルトラストには本当にお世話になった。2008年に移築工事は完成した。
 その後、手放した別荘にはしばらくのあいだ足を向けないでいた。というよりも、足を向ける気持ちになれなかった。旧軽井沢碓氷峠麓の初期別荘地から中軽井沢の一般公開される施設の中に移築されれば、新しい環境の中で別荘は大きな変質をこうむるかもしれないし、夏の思い出そのものまでもが変容してしまうのではないか。博物館のような所に標本として置かれて、別荘はただひたすら眠り込んでいるのでは・・・・。
 しかし、数年おいて晩秋にひとりで塩沢湖畔に行ってみた。そこに移築されて静かたたずむ別荘が遠くから目に入ったとき、抱いていた危惧など一気に消え去った。杞憂にすぎなかった。山荘風別荘は、今まで気づかなかったような、新鮮で開放感溢れるシルエットで甦っていた。思わず息を呑み、しばらくその場に立ちつくした。

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石積みの暖炉

 昭和六年に建てられた時は「グレート・ホール」と呼ばれた、居間と食堂がひとつなぎになった居心地の良い空間 ― 現在この間取りは主流となっている ― の何本もの丸太大梁の天井は、湖面からの反射光によって浮き彫りにされ、新しい表情を見せていた。別荘全体に光と風がたっぷり入ってくる。石積み暖炉の大きな自然石は、別荘が閉ざされたものではなく周囲に開かれているものであることを改めて語り始めている。木々に隠れて見えなった瓦屋根の緩やかな勾配も、建築家ヴォーリズが洋風建築の直接的な移入は好まず、風土に適した和風のやわらかさも取り入れたことを物語っている。丸太板の外壁も、親密感漂う素朴なものだ。音を軋ませながら上った緩やかな勾配の階段の手摺りは、子供たちが滑り台としてまたがろうとした幅の広いものだったが、そのどっしり感が温かい手触りとともに甦ってくる・・・・。
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 ちょうど、ブライダルの写真撮影のためだったのだろう、カップルが別荘の前に来ていたが、花嫁のドレスの長い裳裾の白が、一階二階のテラスの木組みの白と、足元の湖面とに挟まれて、浮き立って見えた。
 それ以降、私は折を見ては旧別荘を訪れるようになった。別荘は紅葉の時期などスケッチのスポットになっているらしく、数人の町民たちが湖畔に座り湖と別荘を描いていた。また、ある年には別荘は町のカメラ自慢の展覧会場として開放され賑わっていた。
別荘内部でいとなまれていた所有者のプライベートな生活だけが思い出されたわけではなかった。別荘は所有者個人に限られることなく外に開かれていて、周囲の自然や町民たちの生活にも応えていた。夕映えの中に溶け込む別荘は、周囲の風土と同じリズムで生を刻んでいるようだった。
 山荘風別荘は、今まで気づかなかったような精彩を放っていた。建築家ウィリアム・ヴォーリズは、軽井沢を好み、避暑団(現軽井沢会)副会長も務め、宣教師たちの活動を支援し、さらには別荘や教会なども作った。それらの簡素とも言える建築には、人々が出会い集えるような場がどこかに設けられている。山荘風別荘には、各地に点在するそうしたヴォーリズ建築と共鳴するものが秘められていて、そのことを私は遅ればせながら知ることになった。
 長野県には優れた木造建築が数多く存在する。和風と洋風の折衷スタイルの旧開智学校松本市重要文化財)はその代表例だ。オランダ風で茅葺き屋根野尻湖ホテルや長野駅舎の和風の屋根もその例に数えられるが、このふたつの木造建築物のほうはともに取り壊され、現在見ることができない。別荘はそれらの木造建築群が編む豊かな文脈の中に置かれ、新たな輝きを放っている。

 しかし、築90年という時間のあいだには、別荘がこうは見えず、小さく見える時期があった。別荘が個人による所有物であることがことさらに語られる時期があった。ある一時期周囲から隔絶された領主館のようになった。出入りしていた旧華族たちの、伯爵だの公爵だのといった称号付きの重々しい名前がノスタルジーに浸りながらゆっくりと発音されるようになった。
 そのうちに、別荘族を招待した舞踏会が催されたことがまことしやかに語り出された。舞踏会という言葉だけがひとり歩きを始め、さらには外にまで名乗り出るようになった。別荘は別世界に変貌した。しかし、居間兼食堂のグレート・ホールはひとり語りの独演会には大きすぎた。公爵から頂いたという壁に掛けられたアフリカ野牛の長い首が繰り返し語られる流離することのない貴種流離譚を遠く闇の中で聞くでもなく聞いていた・・・・。

 建物についてのひとつの考えを手短に紹介させていただきたい。哲学者ヴァルター・ベンヤミンは書いている ―  室内は町や風景にも拡大されることが可能だし、また逆に町や風景は室内の性格を帯びることもあり、客間のような働きをすることもある、と。つまり、室内と町・風景とのあいだの境界や区別が曖昧なものになり、両者のあいだには相互浸透が起こるし、両者が相互補完の関係に入ることがある、と論じている(「パサージュ論」)。
 私などは、この箇所を読んだとき、和風建築における室内と外部との関係を思い浮かべてしまった。障子や雨戸といったものは、家の内と外とを障壁となって遮断する物ではなく、むしろ内と外のあいだで起きる相互浸透の度合いを調節するものではないだろうか・・・・。
 また、ベンヤミンの論考から展開すれば、こういうことも考えることができるかもしれない ― 写真撮影の際には、対象を間近から視点をひとつだけに絞って凝視するようにして接写するだけではなく、時にはカメラを引いて視野を広くして、対象を他の事物と一緒にレンズに収め、対象が他の事物と結んでいる関係をながめることも必要なのではないだろうか・・・・。



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創作 「火の鳥」


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  東京からようやくキャンプ場に着く。友人Kの小さなワンボックスカーのカーナビが不調で、長野県に入ったあたりか、ディスプレイのマップが突然真っ白になる。道案内の標識を誤読して大回りする羽目になり、夕方遅くになってやっとテントにたどり着く。
  あたりはすでに薄暗い。夜が迫っていて、目の前の池も月を浮かべて鈍い銀色だ。釣りはもうできない。北アルプス連峰はすでに姿を消している。四方の低山が黒々と盛り上がり、豚の背に見える。峠近くの冷気が肌を通して浸みてくる。周りのサイトに人はいない。東西南北の方位がわからない。見上げると、夏の主役の白鳥座が天の川の上に大きな翼を広げている。その深い羽音が想像される。流れるような風に吹かれているうちに、長旅による緊張が少しずつほぐれてゆく。
  Kがさっそくヘッド・ライトを渡してくれる。Kはほぼ半世紀ぶりに東京の路上でばったり再会した幼な馴染みだ。会社勤めを終え、今では奥さんとふたり暮らしをしているが、十五年前に癌で女房を亡くした元図書館司書のわたしのことを気遣ってくれたのだろうか、人里離れた峠近くでのテント一泊にわたしを誘ってくれた。ヘッド・ライトを着けて歩いてみる。手探りをするようにしか歩けない。まるで遊泳する宇宙飛行士だ。そんなわたしを見ても、Kは少し笑うだけだ。ふたりとも寡黙でも饒舌でもなく、互いを距離を置いて認め合っている。人の心理を詮索しないし、相手に過度に干渉することもしない。
  キャンプのベテランKはテキパキと支度を始める。焚き火の火もおこすが、着火も巧みで速い。わたしは下働きに徹するが、時々ヘマをやらかす。暗闇のなかでは足元が特に暗いので凸凹には注意したが、地面に転がっていた玉ネギに気づかず、それを思いっきり踏んづけてしまう。踏み剥がされたひと玉のネギからは、驚くほどの香りが、内部の水分とともにはじけ出てくる。香りは、近くの火に煽られ、まっすぐ立つように広がり、鼻を刺激する。ネギはこんなにも香るのか。「柚子存在す爪たてられて匂うとき」、加藤楸邨の句が浮かぶ。

  Kもわたしも、社会のなかでささやかながら与えられた役割を演じてきた。組織や制度がたくみに設けてくれた舞台に立ち、そこで編まれる人間関係をそれなりの良識や熱意でもって生きてきた。もちろん失敗も犯したし悔いも残るが。しかし、そうして運営される舞台から降りて、時間もたってみると、心身の衰えを感じ始めると同時に、今度は今まで送ってきた日常生活には縛られない世界、気づくことなく見過ごしてきた世界に触れてみたいという気持ちに駆られはじめた。曖昧で不可解なものとして排除してきた未知の不思議な領域がどこか生活の周縁、境界を越えた向こう側に広がっているはずだ・・・。
  今のうちだ。終わりの始まりが、明日にでも不意にやってくるのだ。衰弱の底に突き落とされる日がドアのベルを鳴らす前に、ただ習慣に従って受け付けてこなかったもの、摩訶不思議なものとして避けてきたものに触れてみてみよう。奇妙で珍奇なものと見なしてきたものとの出会いが、皮膚のように硬く鈍くなった感受性を柔軟にしてくれるかもしれない。狭いマンションから出て、場所をすっかり変えてみれば、鈍くなった感覚でも潜んでいる驚くようなものを感知できるかもしれない。
  しかし、この歳になって、肉体的衰えや潜在的な不機嫌や順応力欠如を自覚することなく高揚感を探そうなどと思い立ってみたところで、せいぜい幻滅や苛立ちをおぼえるのが関の山になるはずだ。はては奈落に突き落とされる始末になるかもしれない・・・・。
でも、今少しの冒険なり探索なら、墜落感をおぼえ始め万事に用心を始めた今ならまだ可能かもしれない・・・・。希求のようなもの肯定感のようなものが、またぞろ様々な形をとっては現れては、芽を吹き出そうとする・・・・。
  こうして、決断はできず、気持ちは境界線上をあれこれ揺れ動き、何日も振幅の大きな繰り返しを繰り返す。もう牛の反芻だった・・・・。

  東京からクーラー・ボックスに入れてキンキンに冷やして持参したビールで、Kと乾杯する。お互い勤め人の頃の習癖が抜けず、「とりあえず、まずビールで・・・」などと言う。グビグビとやる。赤ワインに入るあたりから、時間がマッタリと流れ始める。というか、時間はどこかに消えている。ロープでぐるぐる巻きにして池に沈め冷やしておいた白ワインを少しずつゆっくりと手繰って引き上げる。素晴らしい手応え。ふたりとも自然に口元がゆるむ。豊かな釣果であふれる網を手繰る漁師たちがおぼえる感触もかくや、だ。
  Kはスマホでひとり麻雀に興じ始めたらしい。沈黙と闇を通して、麻雀用語が叫ばれる。ちょうどツモった瞬間の声が聞こえた時だった、それを打ち消して、スマホから割り込み電話が鳴る。とたんにKの声が無愛想な調子に急変する。奥さんからの電話だったのか。
  到着が大幅に遅れ、釣りができそうもないと判断したKは、キャンプ場に着く前に近くのスーパーで車を停め、鶏一羽の半分を買っていた。それをさばき、燃えさかる焚き火に掛けた大鍋に放り込む。野菜や他の食材もあれこれ入れ、味噌を用意する。いつのまにか 調味料も並べられているが、それも次々に入れてゆく。薪は有料だが、この際焚き火にさかんにくべる。なにしろ焚き火に当たるのは半世紀ぶりなのだ。豪勢に、不意に大きな音も立てて火が燃えさかる。ボッと炎が放電のようにはじけ、火の粉が、時には薪までが四方に撒き散らされる。炎の奥をのぞきこむと、若い木の芽が蛇の舌にような火に舐められ絡みつかれている。湿った焚き木がジューッと湯気を噴き出す。グツグツ煮込まれる鶏鍋からも、火の下に入れた焼き芋アルミホイール巻きからも匂いが広がる。松の木の芳香性樹脂の香りも混じり、火の熱でそれらがまぜられ、混沌となってゆらめく。サイトは木々に囲まれているので、巣がぬくもるような気分になる。日常のこまごまとした気掛かりが消えてゆく。時刻はどうやらテッペンに近づいたらしい。ワインは二本目になり、その白もすぐカラになりそうだ。あたりが温められ、陶然となる。
  一瞬、閃光が間をおいて上下に走る。青い矢のようなものが光り、草や水面が鋭利なもので切り裂かれる。いったいな何んだ、この異様な落下と跳躍の素早い動きは。衝撃のあと、沈黙が続く。しかし、水辺で上下に青い光が走った、というただそのことだけで、わたしは即断しようとする。「今のは、水に飛び込み水中で餌を捕獲したカワセミに違いない」、などと思い込もうとする。
 ジェージェーという、押し殺したようなしわがれた声がどこかでする。人の声のようにも聞こえる。Kが、「カケスじゃないか」と言う。カケスには物音や鳴き声を真似る習性があり、枝打ちの時の作業音だけでなく、慣れてくると人語まで真似るそうだ。Kは、鳥類図鑑に整然と整理されないような知識を教えてくれる。
  火がゆらぎ、身体のなかまで熱が浸み込んでくる。ふだんの日常生活では視覚が酷使されるが、ここでは聴覚やら触覚やら味覚嗅覚といった、視覚に比べれば理知的でない、より原初的な感覚が目覚める。今では、事典によっては人間の感覚は五感あるとはされていない。移動感覚や熱感覚も加えて七感と数えている、などとわたしはまた独りごつ。今感じている気分は、言ってみれば、「異邦感」か。などとそんな表現までひねり出す。
  ふたりとも酔いと眠気で、半醒半睡になる。積み上げるようにくべた薪が崩れ、その一本はかなり火から離れた所まで飛んだ。Kがボソッと言う、「いつか薪に山椒魚が潜んでいたことがあってさ。山椒の匂いがする薪があるからヘンだなとは思ったけれど、その薪をそのまま火にくべたんだ。そうしたら、しばらくしたら山椒魚のヤツが一匹、あわてて焚き火のなかから飛び出してきたよ・・・。 山椒魚が火トカゲと呼ばれることがあるのもわかったよ」。酔眼もうろうのわたしは、フォローしようとして元図書館司書の性なのか、既製の知識を披露する、「そうか、火を司る精霊サラマンドルの図像がなんとなく山椒魚に似ているな、とは思ってきたけれど、やっぱりそういうことだったのか・・・・」。

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「ウィーン写本」(6世紀)より、サラマンダー

  くべてきた薪も尽き、火も燠になり灰になってゆくのを見て、わたしは火吹き棒で燠に息を吹き込む。最後にもう一度炎をかき立てようと思ったのだ。すると、炎ではなく、灰のほうが一気に舞い上がり、燠の高熱にあおられ垂直に巻き上がった。未経験者がやりそうなことだ。
  その時だった、焚き火の上に広がって漂う灰のなかに、女性の薄い赤いスカーフのようなものがゆらぐのが見えた。驚いて目をこらす。赤い鳥が一羽音もなく羽根をはばたかしている・・・・。たしかに、赤い鳥だ、幻影とか幻視などではない。残り火が火吹き棒によって突然燃え盛る、その一瞬に灰で煙るなかを、赤い鳥、そう・・・火の鳥が舞い上がったのだ。炎が生き物のようにゆらめき、飛翔する、火に輝く、火の鳥だった。
  だが、その鳥の影はすぐに消える。私はすぐに火吹き棒を握り、燠をかき混ぜる、顔が火照るにもかかわらず炎をかき立てようとする。火花がほとばしる。熱風で巻き上がる灰のなかに垣間見た火の鳥を追い、か弱い手でもってその鳥をつかまえようとした。
  しかし、火の鳥はどこか闇に消え、驚異の美しい鳥は二度と出現しなかった。あれは人間にはかない望みとか憧れを抱かせる、たんなる偶発的な火のいたずらだったのかもしれない。しかし、一瞬味わった突き上げてくる高揚感をなんとかしてすぐに再現しようとして、わたしは食べ残した鶏の骨を数本火に放り込む、コップに残っていたワインも。しかし、鳥がふたたび飛翔することはなかった。火の鳥を再現させようとする試みも徒労に帰し、わたしはただ虚しい思いを噛みしめるばかりとなった。
  衰える火と冷めてゆく大鍋を前にしながら、わたしは幻の火の鳥を夢想のなかで追った。火に掛けられている大鍋なら鳥の居どころを教えてくれるかもしれない。そうなのだ、こんな神話があるはずだ ― 鳥が飛んできて、大鍋に入っている秘薬を飲むと、その鳥は自在に再生できる身に変身する。そしてその鳥は大鍋に入っている生の秘薬を人びとにわかち与える。こういった神話が北欧神話にたしかあるはずだ・・・・。この神話には大鍋の上を飛んだ火の鳥の行方を探るヒントが隠されているはずだ。
  きっとKのことだ、先程から焚き火を前にしたわたしの様子がおかしいことに気づいているはずだ。わたしの奇妙な動きをどうKに説明しよう。そうだ、持参した志賀直哉の短編「焚き火」に書かれていることと同じことをしようとしていただけなのだ、と言おう。挙動不審だったのも、「焚き火」で主人公が行った行為を自分でもやってみようと思い立ったからだ、と。そのうえで掌編小説の該当するその箇所を数行Kに読んでみよう ― 「Kさんは勢いよく燃え残りの薪を湖水へ遠く抛った。薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行った。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んで行く。上と下と、同じ孤を描いて水面で結びつくと同時に、ジュッと消えてしまう。そしてあたりが暗くなる。それが面白かった。皆で抛った」。志賀直哉の充実した創作期の文だ。忠実な写実文のようだが、平板なありきたりの描写ではない。背後の闇のどこかに神秘が潜んでいるようで、緊迫感が伝わってくる。これからふたりで志賀直哉の主人公と同じことをやってみないか、とKに持ちかけてみよう。
  Kはすぐに同意する。ふたりは燃え残りの薪を池のほとりまで運び、暗い水面に向かって一本一本投げ入れた。たしかに、赤い火の粉が空中と同時に水中を、孤を描いて飛んでゆく。暗闇のなかで火の粉はすぐには消えない。花火のように広がる火の粉が闇に何かを照らし出すことを期待した。飛んでゆく火の粉に並行するようにして、音もなく火の鳥が飛ぶのではないか・・・・。

  翌日、昼前になってキャンプ地を後にした。峠まで上り、そこから谷間のキャンプ地を鳥瞰するようにふりかえった。雑草などが刈り取られ、広く平らに整備されたキャンプ場は遠く上から見るとまるで緑の飛行場だった。点在する色鮮やかなテントや車がかすかに差し込む陽を浴び、それに呼応するかのようにそれぞれに煙も立て、動き始めていた。きっと音も立て始めているはずだ。「未確認飛行物体たちだな、これは」と、K。しかし、わたしには離陸しようとしている未確認飛行物体群がメカニックなものには見えなかった。人が住みこみ、生活がいとなまれるものだった。かすかではあるが生気が通うものだったし、生き物の気配がするものだった。
  やがて雲間から一条の光が漏れ、その光はキャンプ地の中の島に当たった。霧のかかる山間を、光は上から断固として中の島を指し示し続けた。小さな中の島は陽の光でたちまち赤く染まった。水面に顔を伏せたような中の島の木々が風に吹かれ、木々がそよいでいるように見えた。一瞬、中の島がかすかに動いたように見えた。中の島がうずくまる火の鳥に変貌しようとしている・・・・。まだ、わたしは火の鳥に執着している、探している・・・。

  東京に帰ったあとでも、夜になるとKに返し忘れたヘッド・ランプを頭に装着し、狭いマンションの照明を消しテレビを消してかろうじて得られる暗闇のなかをうろつくことがある。ひょっとして鳥が部屋の片隅にでも隠れているのではと思いながら。鳥を探して、火の鳥を・・・。
  しかし、さすがに体験からわきまえるようにはなっていた ― 苦難に満ち、危険にさらされる長い長い遍歴や流離を繰り返さないといけないのだ。火の鳥が突然姿を現し、それに遭遇するためには。


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堀辰雄『風立ちぬ』に誤訳はあるか

  大野晋丸谷才一『日本語で一番大事なもの』の中で、丸谷才一堀辰雄の小説『風立ちぬ』(1938)を取り上げて、言います、「巻頭にヴァレリーの ”Le vent se lève, il faut tenter de vivre.”という詩が引いてあります。それが開巻しばらくしたところで、語り手がその文句をつぶやく。そこが「風立ちぬ、いざ生きめやも」となっている。「生きめやも」というのは、生きようか、いや、断じて生きない、死のうということになるわけですね。ところがヴァレリーの詩だと、生きようと努めなければならないというわけですね、つまりこれは結果的には誤訳なんです。「やも」の用法を堀辰雄は知らなかったんでしょう。」それに対して、大野晋も、「『いざ生きめやも』の訳はおっしゃる通りまったくの間違いです」と応じています。
  わたしは両碩学に敬意を抱く者ですが、この誤訳説にはいささか納得がいきません。
  確かに小説『風立ちぬ』巻頭には巻頭詩として『海辺の墓』(詩集『魅惑』(1922)所収)巻末から切り取られたヴァレリーの詩句が掲げられています。巻頭詩は本文自体と多様な関連をむすぶもので、本文の要約であったり、また反例であったりもします。ですから、巻頭詩を使う作者の真の意図は、巻頭からだけでは見抜けません。作品全体を読み終わってからはじめて巻頭詩の意味がわかることがよくあります。 
  ですから、開巻しばらくしたところで読むことになる、誰の詩句ともわからない、ただ「ふと(語り手の)口を衝(つ)いて出て来た」詩句である「風立ちぬ、いざ生きめやも」が、巻頭詩のヴァレリーの詩句の翻訳だと即断することはできません。
  なるほど、巻頭詩の詩句の前半と、巻頭近くで語り手によって口ずさまれる詩句の前半は、ともに「風たちぬ、・・・」であり、同じです。しかし、言葉の位相はすでに異なります。ヴァレリーの詩句は現代の書き言葉で書かれていますが、語り手が口ずさむ詩句のほうは文語で古語です。

小説前半の文脈にふさわしい詩句は

  小説前半で語り手によって二度口ずさまれる「風立ちぬ、いざ生きめやも」の場面を見てゆきましょう。全部で五章あるうちの最初の二章でそれぞれ一回ずつ口ずさまれます。第一章「序曲」では、K村(軽井沢)で夏の終わりに出会った節子との関係が描かれますが、そこには語り手がおぼえる不安な感情がすでに忍び込んできます。節子は白樺の木陰にキャンバスを立てて絵を描いていますが、そのとき突然風が吹き、キャンバスが倒れます。すぐにキャンバスを立て直そうとする節子を語り手は、「いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。」語り手は目の前から大切なものが喪失するのを手をこまねいて見守るだけです。
  その時、作者不詳の詩句「風立ちぬ、・・・」が語り手の口を衝いて出てきます。後半の「いざ生きめやも」の「やも」は、詠嘆を込めた反語を表します。「・・・だろうか、・・・いや、そうではないだろう」です。つまり、「生きられるだろうか、・・・いや、生きられないだろう」という意味です。
  当時、堀辰雄の周辺には死の不安が色濃く漂っていました。大学在学中から肋膜炎をわずらい体調をいたわってきましたが、堀辰雄は1931年から結核のため富士見高原のサナトリウムに入院しています。1933年に節子のモデルの矢野綾子を知り、翌年9月に婚約しますが、矢野綾子も同じ病でサナトリウムに入院し、翌年12月に亡くなっています。『風立ちぬ』執筆はその翌年36年から38年にかけてです。当時、結核は亡国病とも呼ばれることになるおそろしい伝染病でした。
  この小説は生死が交錯するような厳しい日常の中で執筆されましたが、身辺にたれ込める死の影は小説の内容にも投影されています。巻頭に不意に吹く風に恋人のキャンバスが吹き倒されても、語り手はそれをただ見るだけで、気弱な諦念ともとれる詩句を口にするだけですが、この詩句は語り手の切迫する不安な心理という文脈に沿うように使われています。この場面で詩句「・・・、生きめやも」を読んでも、わたしは違和感をおぼえません。
  第二章「春」で、語り手は同じ詩句が二年間も繰り返し口をついて出てくることに気づきます。その時も不安が周囲に広がります。実際、結核という当時の死病に深く冒された節子は、その月末には八ヶ岳山麓富士見高原のサナトリウムに入院することになります。その準備に追われている時にその詩句がサナトリウムに同行しようとする語り手にまた甦ってきます。新生活への見通しがまったく立たない状態に追い込まれた時のぺシミックな心情が表されています。その直前にも、重い病いにかかっていることを知った節子が、語り手と婚約し明るく振る舞うものの時に気弱になることを語り手に打ち明けています。

では、ヴァレリーの詩句の意味は

  一方、Le vent se lève, il faut tenter de vivre. (風が立つ、さあ生きなければならない)をその最終箇所に含むヴァレリーの詩『海辺の墓』は、どのような詩なのでしょうか。生と死に関わる葛藤も描かれますが、最終部(第二十二節以下)で吹き始める風は、キャンバスを吹き飛ばすようなものではなく、反対に地中海と向き合う語り手の精神を高揚させる力強いものです。葛藤する精神に活力を吹き込もうとするのびやかな風です。『海辺の墓』最後の風の箇所を引用しましょう。

 いや、 いや! ・・・立て! あいつぐ時代の中に!
 うち破れ、わが肉体よ、このもの想うすがたを!
 吸いこめ、わが胸よ、風の誕生を!
 さわやかな大気が 海より湧きあがり、
 わたしに魂を返す・・・。おお、塩の香りにみちた力よ!
 波に走り入ろう、生き生きとほとばしるために!
   (一連六行省略)
 風が立つ、さあ生きねばならない
   (最終連五行省略)

  風は語り手の精神を覚醒させ、彼に変容をうながす生気あふれるものです。こうした風が、悪化する状況に能動的に反応せず、ただそれに流されるままでいる堀辰雄の語り手に不意に吹きつけ、それによって彼が鼓舞されるようなことはあまりに唐突すぎて、あまり考えられません。地中海の明るく壮健な風は、小説『風立ちぬ』前半の暗く低迷するような状況にそぐわないはずです。
  つまり、語り手が小説前半で口ずさむ「風立ちぬ、いざ生きめやも」という諦念とも解釈できる詩句は、その一部分が共通しているとはいえ、巻頭詩の翻訳ではなく、作者未詳の、つまり堀辰雄自身が作った想像上の詩句なのではないでしょうか。

生の回復

  では、巻頭詩として載せられているヴァレリーの詩句は、いったい堀辰雄の小説のどこと関連を持つのでしょうか。まずは先を急がずに、小説後半部分 ― 三章「風立ちぬ」、四章「冬」、五章「死のかげの谷」 ― を前半と同じようにまとめてみましょう。章題によってもほのめかされていますが、内容はさらに暗く悲しいものになってゆきます。サナトリウムに入院した節子の病状はじりじりと悪化し始め、絶対安静が一週間も続くようになります。そして、「冬」の章の最後で節子は喀血し、亡くなります。
  しかし、こうして絶望へと導く一連の出来事とはうらはらに、語り手は悲劇的な事態に流され、悲しみ苦悩しつつも、次第に生のほうに向かおうとするもう一人の自分がいることに気づき始めます。 ―  語り手は節子との恋愛を主題にする小説執筆を始めます。ノートを取り始める彼を節子の愛が懸命に支えようとします。また、サナトリウムから見上げる南アルプスの美しい山容や、花々の蕾といった向日性の自然のいとなみが彼を励まします。やがて、語り手は繰り返し節子に語りかけます ― 「皆がもう行きどまりだと思っているところから始まっているようなこの生の愉しさ」、それを「もうすこし形をなしたものに置き換えたい」、と。生を主題にする、つまり「お前」についての作品を生のあかしとして書き残そう、と。体調を崩しつつも、節子はその創作の試みを励まし続けます。
  最終章「死のかげの谷」では、節子が死んで三年半たっています。悲しみを抱えつつ語り手は節子にはじめて出会ったK村(軽井沢)に向かいます。そこで、冬の厳しい寒さに襲われつつも、節子が甦ってくるのを感じます。また、〈わたしたちが事物を知覚したとしても、それはわたしたちの存在がそれを目の前に反映させているからだ〉という主体性の重要性を説くリルケの文を読みます。また、自分が滞在するK村の谷を照らす多くの小さな灯り ― そこには節子もいる ― があることにも気づきます。多くの小さな灯りのおかげで、<死のかげの谷>とばかり思い込んでいた場所を、K村の村人たちのように、<幸福の谷>と呼ぶこともできると思うようになります。大きな事件や出来事は起きませんが、語り手の内面は変化します。消極的で受動的であった語り手の精神は賦活され、深い充実感をおぼえるようになります。
  この生の回復というテーマは、前後して書かれた他の小説においても追求されています、『美しい村」(1934)でも主人公の精神上の危機からの脱皮が、向日葵の少女にたいして育まれてゆく愛の力によってはかられます。また『菜穂子』(1941)でも、ヒロインは不幸な結婚生活におちいり八ヶ岳山麓結核療養所にも入院し、苦悩しますが、自己を見つめ、最後には生を激しく追い求めるまでに変貌します。三島由紀夫は、「生の原理によるその復活」という堀辰雄のテーマは、『風立ちぬ』でことのほか力強く描かれていると論じています(「現代小説は古典たり得るか」)。
  小説の最後の場面では、<死のかげの谷>と思い込んでいたものの<幸福の谷>となった谷にしきりに風が吹きます、語り手に脱皮をうながすように・・・。巻頭で風が吹き節子のキャンパスを吹き倒しましたが、巻末でも同じK村で風が吹きます。しかし今度は語り手の主体性を呼びさますように風が吹きます。巻頭詩のヴァレリーの風は語り手の精神に生気を吹き込みますが、その風は『風立ちぬ』巻頭近くで吹く風ではなく、巻末で吹く風と同質のもののようにわたしには思われます。
  巻頭の詩句は、『風立ちぬ』第一章と第二章で翻訳されるものではなく、小説全体の、とりわけ巻末の要約になっていると考えます。ヴァレリーの詩句「風が立つ、さあ生きねばならない」は、小説前半ではなく、巻末にこそ当てはまるはずです。
  以上、堀辰雄擁護とも言える論を書きました。原典の字句だけを取りあげて云々するのももちろん必要ですが、それが使われている場面や状況も考慮に入れて複眼的に多角面から検討することも必要になるはずです。


  どこか遠くで堀辰雄がニヤリと笑っているような気もします。というのも、中村真一郎の文がわたしの頭をよぎるからです ―「(堀辰雄は)別の作品をも、作品の構想なり、細部の仕上げなりに、遠慮なく利用していて、私たち読者がそれに気がつくのを、作者は宝さがしの悪戯を仕掛けた人のように、笑って見 ているような気がすることがある」(「堀辰雄 人と作品」)。

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イサム・ノグチ 幻の傑作

広島原爆死没者慰霊碑

   毎年8月6日になると、広島平和記念公園原爆死没者慰霊碑がテレビに映し出される。それを見るたびに、もうひとつの忘れ去られた慰霊碑案がわたしの目に浮かんでくる。実現されなかったイサム・ノグチ原爆死没者慰霊碑案(1952)のことだ。幻の代表作とも評価されている。

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広島の原爆死没者慰霊碑 模型

   模型を写真で見るだけだが、ノグチの慰霊碑案にはみなぎる創作力が凝縮され、迫力に富んでいる。それが写真からでも強いインパクトとなって伝わってくる。
   4mのコンクリート打ちはなしの二本の柱がそびえ立つが、それはさらにたくましく膨らみさらに長くなり、地下にまで打ちこまれるはずだった。柱は女性の両脚に見えてくる。
   石や樹木を見ていても、ノグチはその内側を流れる生命のエネルギーを感じ取り、それを表現するが、この二本のコンクリートのまるい柱も、その物質内部を生命的なものが脈打ち、循環し、次第に地上に向かって上昇するのが感じられる。
   生動するかのような二本の太い脚にはさまれた所に、箱が壁から突き出ていて、そこに死没者たちの名簿が収められる予定だった。こうして構成されるはずだった地下の洞穴のような空間を、ノグチはあらゆるものが還る場所だとした。また、大地の力によって死者たちが再生する場所だとした。犠牲者たちに取ってかわって現れる新しい世代のための子宮だとした。
   確かに、生成とか多産は、「ペキンダック」(1920)や「誕生」(1932)や「レダ」(1942)でもうかがえるように、ノグチが生涯追求するテーマであった。
   地中に洞穴のような空間を埋めることによって空間に大地が秘める再生力を与えようとする試みをノグチはそれ以前にも構想している。アメリカのセントルイス市主催のコンペに参加し提出されたノグチの案には、その5年後に練られることになる広島の慰霊碑案の萌芽が含まれている。当時、賑わいを失い空洞化していたセントルイス市中心街の再活性化をはかるために、ノグチは中心街を地下に据えた。この案は不採用に終わり実現されなかったが、ノグチはここでもすでに大地にひそむ再生力を街の中心部に与えようと試みている。
   1952年、ノグチは広島の慰霊碑案の模型写真を市の選考委員会に送るが、案は採択されない。彼が米国籍であることがその主な理由だった。このためノグチの良き理解者でもあった丹下健三が急遽慰霊碑の設計者として指名されることになる。丹下はノグチ案を生かす方向で設計に取りかかるが、わずか一週間で最終案を提出しなくてはならなかった。現在の慰霊碑がやや小さく、ノグチ案にあったようなパワーに欠けるのはこうした事情によるものである。

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クロノス

   なお、上の写真でも明らかなように、「クロノス」(1947)は、慰霊碑案を連想させるものである。たくましい両脚が長くのび、その間に穴の空いた円形が吊るされている。両脚は上部でアーチ型につながるが、これらは広島の慰霊碑案と共通する点である。また、題名のクロノスはギリシャ神話に登場する農業神で、体内では解体、変容、再生が行われる。この点でも慰霊碑案が想起される。

慶應義塾大学旧ノグチ・ルーム

   広島の慰霊碑案はその3年前の1950年にノグチによってデザインされて建築された慶應義塾大学旧ノグチ・ルーム(萬来舎)をいくつかの点で思い起こさせる。
   当時、三田の慶應義塾大学は空襲によって壊滅的な被害を受け焦土と化していたが、塾長はノグチに破壊された萬来舎再建のデザインを依頼する。ノグチの父親は詩人であり、慶應義塾大学で40年間教鞭を取った英文学教授の野口米次郎である。幼い時からアメリカと日本を行き来してきたノグチは、萬来舎再建のプロジェクトを東と西を結ぶ文化活動に携わってきた父親と同様の仕事に自分も打ちこみ、そのことによって父との関係が修復されはずだと考えた。ノグチはそのデザインに没頭する。
   ただ、ノグチ自身が語っているように、ノグチ・ルーム再建はそうした親子関係修復のためのものにとどまるものではなかった。ノグチはさらに広い観点に立ち、日本とアメリカ両国間の対立を解消するような新しい文化交流の場を塾生たちに提供しようとした。同時期に進行する広島と東京三田の大きなプロジェクトがノグチを日本から離れがたくした。それに慶應義塾大学では谷口吉郎、広島では丹下健三などの良き協力者たちの知己も得た。 
   わたしは慶應義塾大学教員時代、ノグチ・ルームを研究会後の懇親会の会場(許可制・飲食禁止)として長年使用させていただいた。その体験から言わせていただくと、移設される前の旧ノグチ・ルームの基本構造は、広島の慰霊碑案のそれと同じである。
   慶應義塾大学アート・センターにより360度パノラマで撮影・編集された解体・移築以前のノグチ・ルーム(室内と庭園)ムービー画像がある。art-c.keio.ac.jp

   ここで確認することが可能だが、旧ノグチ・ルームでも、入口を入ると正面中央に打放しのコンクリートの太い二本のまるい柱が天井まで立てられ、大きな暖炉がその間にはさまれている。二本の柱が中心となって支える天井裏には明るい照明が当てられていて、その光の一部が上部から漏れ、ルームをほのぐらく照らし出していた。天井裏のほうが明るい地上を思わせる一方、ノグチ・ルーム自体は地下を思わせる落ち着いた会場になり、二本の柱とそれが囲む大きな丸い暖炉を中心にして参加者たちが自由に意見を交わすことができる空間となっていた。広島の慰霊碑案でも、地上の明るい光が天窓を通して地下に降り注ぐ形が構想されていた。
   残念ながら、移転された現在のノグチ・ルームでは天井が取り払われていて、こうした照明による地上と地下の二層に渡る演出は感じられないものとなっている。
   旧ノグチ・ルームの二本の脚の間からは、奥に設けられた床の間が見え、そこには埴輪がひとつ置かれていた。広島の慰霊碑案でも全体が家形埴輪を模したものとなっている。家形埴輪は埴輪の中でももっとも重要なもので、古墳の中心部分の上に置かれ、邪をはらい再生を願うものとされている。

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慶應義塾大学 旧ノグチ・ルーム

   ここには57歳で亡くなった母親レオニー・ギルモアの思い出がこめられていると思われる。ノグチは深く思慕していた母親の墓に手製の埴輪を入れている。神話などの文学や芸術への愛をノグチに吹きこんだ母親レオニー・ギルモアは、ノグチがアーチストになることを願い、茅ヶ崎に自宅を新築する際にも和風建築を選び、当時10歳くらいのノグチに大工たちの現場監督のような役割をつとめさせた。さまざま紆余曲折があったが、ノグチは両親から芸術的なるものへの愛を受けつぎ、それは彼の創作活動の基盤を支えることになった。

東西の軸

   見逃してはならない点は、この両脚を思わせる二本の柱を中心に据えるノグチの慰霊碑案と旧ノグチ・ルームは、それぞれ個別にとらえられるべきものではないことである。慰霊碑もひとつのオブジェとして自律し完結するものではなく、広島市平和記念公園につながる東西二つの橋の欄干に見られるノグチの他の作品も視野に入れて把握すべきものとなっている。慰霊碑も、また旧ノグチ・ルームもその周囲に広がる外部の生活圏やキャンパスとも密接な関連を結んでいて、壮大なまでのヴィジョンによって生かされている。

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広島市平和大橋欄干東側 ヘイデン・ヘレーラ「石を聴く」 より

   ノグチは調査旅行中に訪れたエジプトの古代遺跡から広島の橋の欄干の着想を得ている。エジプト神話によると、太陽を頭につけた鷹を持つ神が、毎日東から西へと船で旅を繰り返す。その神は夜になると西で死ぬが、また翌朝東から甦ってくる。東の欄干は昇る太陽の形をしていて、西のそれは船の形に発想を得ている。
   生と死、その後の再生という大きな観点から東と西を結ぶデザインは、旧ノグチ・ルームの周囲でも確認できた。ルーム東側スチールサッシの引き戸からは鉄板を組み合わせた彫刻「若い人」がキャンパスに置かれているのが見えたが、反対側の大きな西側ガラス引き戸の正面には、「無」と題された砂岩の彫刻が庭の中に置かれていた( 彫刻「若い人」はその後二度移設される)。この彫刻「無」上部には円環が乗り、その穴を通して落日を眺めることができた。東の若さから西の落日という死へ、その後にまた東から再生が日々繰り返される。その下では塾生たちの新たなものへの活動がいとなまれる・・・。

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《無》の模型を製作中のノグチ 「石を聴く」 より

   肖像彫刻制作に取り組み、すぐれた作品も多く残したが、ノグチは胸像彫刻に本腰を入れることはなかった。ノグチの作品は次第に建築や造園・作庭といったカテゴリーにまで広げられて造形されるようになった。デザインされるランド・スケープに配されたさまざまなオブジェの間には密接な関係が結ばれている。共同体の人びとがいとなむ生の広い場のほうが称揚され、それは個人が顕彰される従来の記念碑ではなかった。米軍による激しい空襲にさらされ焦土と化した三田キャンパス復興に取り組んでいた建築家谷口吉郎に、ノグチは自分にとって三田キャンパスの丘は、パルテノン神殿が建設された現代のアクロポリスだと語っている。
   このノグチ・ルームは、現在では法科大学院新設にともなう新棟建設(2002年決定)のため、一部が切り離され新棟3階に移設されている。このためノグチ・ルーム本来の全体像が把握できない状態になっている。ノグチ・ルーム東側キャンパスに置かれていた彫刻「若い人」はノグチ・ルームから切り離されて、彫刻「学生」とともに一階エントランスに別置された。このためノグチ・ルームを中心としてキャンパスに刻されていた東西の長い軸は切断されたままとなっている。

デトロイト市ハートプラザ

   ノグチは、アメリカのデトロイト市が1971年に行ったコンペ(「ダッジ・ファウンテン」)に招待され、デトロイト市中心部再活性のために噴水のデザインを提出し、審査委員会で全員一致で選ばれることになる。そのデザインの基本は、広島の慰霊碑案と旧ノグチ・ルームのそれと共通する。写真からでもわかるように、9mの長くまるい両脚が空中で水を吹き出す円環を支えている。二本の金属の脚の間に置かれた丸い水盤からも噴水が吹きあがる。ハイテクで作動するが、子供を産む女性の両脚がここでも連想される。

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デトロイト、ハート・プラザ

   コンペで採択されると、ノグチは噴水だけでなく、デトロイト市中心部の街のデザインもやらせてほしいと願い出て、これも認められることになる。吹き上がり、時に虹を架ける噴水を中心にして、北西に野外劇場、その正反対の南東にピラミッドが作られる。ノグチ特有の東西方向に伸びる軸構成のひとつといえるだろう。商店街は地下に置かれ、土地が秘める活力がここでも引き出され利用されようとしている。中心部の地上ではイベントが開催されるが、主役はヒーローのような特定の個人ではなく、デトロイト市という共同体のために尽力する市民たちである。
   東京でも広島でもデトロイトでも、アルカイックなものにひそむ力が引き出され、誕生と再生という時を超える生命力が大きな解放感のある作品に宿るようになった。

   ノグチはアイデンティティを求めて世界をさすらった旅人である。その多様な作品には独特の洗練された魅力があり、「あかり」シリーズといった工業デザインも成功した。舞台装置も手がけた。しかし、モダニスムにも抽象芸術にも長くは没頭できなかった。特定の芸術運動につき従うこともしなかった。
   アメリカでも敵性外国人として監視下に置かれ、日系人強制収容所に自らすすんで入所したりもしたが、創作においても生活においても、ノグチは自分が真の意味で帰属することができる場を求めつづけた。土地に根付くようにして生まれ育てられ、その生活が繰り返されてゆく ― 土地にそうして生きつづける人びとをノグチは羨望しつづけた。
   1973年に行われたインタヴュー記事の中で、ノグチは、「ぼくにとってアイデンティティが見つかるとしたら、それは芸術の中だけだと思う」と語っている。焦土と化した大地に母なるものや父なるものを盛りこみ、人びとの生活に開かれた新たな家を作る、大地に根ざす新たな家郷ともいえる作品を創出する ― ノグチはその夢を生涯かけて追い求めた。
   そして、その夢は広島でも東京でも実現されることになった、たとえそのいくつかは幻に終わることになったとしても。

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<小林雅子展 ― 今日の本棚・後編>を観る

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  上の写真は左から、

展示会案内状、作品「風と共に去りぬ」、作品「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

  小林雅子さんの作品 ― アート作品と呼ぶべきか―  の一部は当ブログのタイトルバックとして掲載させて頂いています。


  6月のとある日、小林雅子さんの展覧会を東京銀座のど真ん中にある小松庵総本家銀座に観に行きました。小松庵はお蕎麦屋さんですが、17時までは展示会場・サロン会場として開放されています。展示を観たあと、お蕎麦屋さんに変わった会場でおいしいお蕎麦も食べました。

  本が大好きな小林さんは、鋭利なカッター・ナイフを握りながら、本の急所とも思われる所へ踏みこみ、そこに切り目をつけます。切り開かれた所は、窓に、穴に、ドアに、隙間になり、わたしたちをその奥へと誘います。本のページの下に秘めれられていた、今まで気づかなかった魅力が垣間見えてきます。 

  ふだん、本には活字がおとなしく整然と並べられていて、読者は静かにページの平面を追ってゆきます。線状に並べられた文章の上を滑ってゆきます。しかし、小林雅子さんはそのページの下に隠れ潜んでいるものにまで目をこらします。ページに窓を、隙間を開け、そこから湧き出してくる熱や、香りや未知の形までも受けとめ、それにページの紙でもって形を与えてゆきます。 

  本には壺が潜んでいるのです。その壺とも殻ともいえるものにつけられる切りこみからは、字面を追うだけでは得られなかった多様で強烈な何かが溢れてきます。背紙から何かがこちらに迫ってきます。本の読後感といったものだけにはとどまらないものが強いインパクトとなって伝わってきます。わたしたちは少しあわてて、整理済みとばかり思いこんでいたその本の読後感を思い起こし、その再点検に取りかかりだします。

  本の急所に潜む壺につけられた切り口からは、次々と斬新なイメージや、特有の音や、貴重な肌触りなどが溢れてきます。謎めいた動物の骨片まで飛び出します。それらは小林さんの箱状の作品さえも無視する勢いで湧出し、わたしたちの目の前に迫ってきます。額縁からもはみ出してきます。本はただおとなしく読むためだけの、つつましい外見をなくしています。わたしたちはいつしか受動的に享受する読者といった規定など忘れてしまい、現れた本の秘密の世界と交信を始めています、身を乗り出して。

  ページに開けられたドアや隙間からは、春琴の周囲で点滅する真っ赤な色や、『風とともに去りぬ』の家を取り巻く綿花や、『幻獣図鑑』の幻獣たちの匂いまでもが立ち広がります。ページが作品の素材として使われているので、その肌触りの記憶が、小林さんの作品から露出するものを確かなものとしています。

   谷崎潤一郎春琴抄』に切りこみを入れて作った作品に小林さんはこういった文をつけています ー 琴柱をイメージしたものをページに挟むことで、本の途中に空間ができる。その空間に椿を入れてみた。赤は、文庫本の表紙と椿の赤。本に開けられた隙間は、和室の格子窓のイメージ。その格子の奥に、永遠に美しく激しい春琴が座っていてほしい・・・。(「作品解説」)

  この赤は鮮烈です。奉公人佐助は、時に矯激になる盲目の琴の師匠春琴の美しい姿を脳裏にとどめようと、縫い針で両目を突き、自分も盲目になろうとしますが、赤はその時飛び散った鮮血の色でもあり、『春琴抄』そのものの凝縮された色です。それに、春琴の墓とそれに寄り添う佐助の墓の脇には、椿が咲くといわれています。この赤はさまざまな思いを呼びさましかき立てます・・・。

   楽しい思いへ連れていってくれる作品もあります。バーネット『秘密の花園』では、庭の奥の奥にある花園へとひとつひとつ鍵を開けて分け入ってゆきます。秘密の花園に近づくと、わたしたちは閉ざされ気味だった感受性が解放され、心が広がるのを感じます。花園の風や香りが紙質の感触とともに伝わってきます。本をただ読むという行為からだけでは味わうことができない生々しく多彩な追体験をすることができます。

   大作マルセル・プルースト失われた時を求めて』は箱のような大きな額に入れられています。文庫本の並べられた背表紙が、ピアノの鍵盤に見立てられています。そうです、作中に聞こえる作曲家ヴァントゥイユのソナタは主人公を導く重要な役割をはたします。作品上部には、見開きの文庫本が羽根を広げて飛び立とうとする鳥のように見えます。ライラック忘れな草、黄色い蝶が舞い、全体が額縁から横溢します。

  確かに、この『失われた時を求めて』では、作家志望の主人公の精神的成長をうながす作家ベルゴットの著作は、作家の死後、翼を広げた天使のように本屋に置かれ、ベルゴットの通夜をします。その飛び立つかのような著作は、亡きベルゴットの甦りの象徴です。小林さんの共感と批評に支えられた選択は鋭かったのです。小林さんが作ったピアノの鍵盤といい、飛翔するような見開きの本といい、これらはいずれも『失われた時を求めて』の重要な構成要素なのです。本にたいする愛着に支えられた問いかけ、本の真髄へ向けられる真摯な問いかけに、本が反応しています。思わぬ姿を出現させています。

   本の読後感といたものが、おおいに刺激され再活性化されるはずです。<教養のために読むべき書籍一覧>といった安直なラベルを貼って標本化して満足してきた怠惰な読書の態度に、強い揺さぶりがかけられます。眠りこんでいると思いこんできた本たちは、実はその背後からまだまだ強い生きたシグナルをわたしたちに送りつづけているのです。

   追記  

  作品を観たあと、美味しいお蕎麦もいただきました。作品を鑑賞してから、あまり間もおかずにお蕎麦を味わうことになりましたが、どういうわけかその両者 ― 芸術作品と料理 ―  がしっくり自然につながりました。

  そうそう、プルーストは、料理女フランソワーズが腕によりかけて作る日曜日の途方もない量の大盛餐を、音楽や絵画といった芸術作品にたとえました。

  また、プルーストは書いています、芸術家が死ぬとうっそうとした草が生い茂る。しかしそれは忘却の草ではない。豊かな新たな生の作品が作られる草なのだ。その草の上に後の世の人々がやって来る。そして、陽気に楽しむことになるのだ、彼らの「草上の昼食」を、と。

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マルセル・プルースト『失われた時を求めて』を通読する

  オルフェウスの歌  牛場暁夫

マルセル・プルースト失われた時を求めて』通読のための道しるべ》

  マルセル・プルースト失われた時を求めて』を読みはじめたが、あまりの長さに最後まで読み切ることができなかった、迷路にまぎれこんだようになった ― こうした話はよく耳にします。挫折せずに長編小説を読み進む、しかも味読する秘訣はあるのでしょうか。あります!などと大声で断言することはできません。でも、わたしなりの読書道しるべといったものでよろしければ、持ってます、とわたしは小声でお答えします。以下にその一端をご紹介させていただきましょう。迷宮脱出のためのアリアドネの糸が見つかることを願いつつ・・・。

  わたしは、2014年にフランスの権威あるプルースト研究誌Bulletin Marcel Proust (査読付き)に仏語論文 <Nommer dans A la recherche du temps perdu を発表しましたが、その論文(一部省略)に長い日本語レジュメを付け、『失われた時を求めて』の読書案内としてブログに載せることにします。この論文は『失われた時を求めて』の今まで論じられてこなかった主題を扱っていて専門性の高い学術論文ではあります。しかし、この論文には長篇小説を通読するためのヒントが含まれているので、それが道しるべとなって読者の皆さんを導くこともできると思います。

  仏語論文のタイトルを訳せば、「『失われた時を求めて』における名付け」となります。この長編小説における名前の問題は、以前からさかんに論じられてきました。私が論文で提示した新しいアプローチは、名前を<名を与える>という行為の観点から捉え直すことでした。ふつう小説では登場人物にはひとつの名前とひとつの性格が与えられ、それは変化しません。しかし、プルーストの場合は人物にいくつか複数の名前が付けられてゆくし、またその性格も時に大きく変化します。

ごくかいつまんで論文をまとめましょう ― 他者から新たな名前(姓をのぞいたファーストネーム、愛称、通称)が与えられ、それにともないその他者から芸術の創造性の可能性が示されると、呼びかけられた人物はそれに応えるようにして自己のうちに潜んでいた新たな可能性をみずから切り開こうと試みるようになります。名付けるという行為を通して名と創造性が与えられた人物は、それにうながされるようにして自らの内に潜む未知の素質を涵養し、自己変容を遂げ、主体となり創意に富む実践を行いはじめます。また、そうした自己変容を共通する根源的な主題とする寸劇は巻頭から巻末まで登場人物を変えつつ繰り返し演じられ、たがいにつながり小説の新しい時空間が編成されてゆきます。主人公の内面だけが独白される小説ではありません。

  長編小説通読のためのヒントが含まれているこの論文 ― フランスで予想外の高い評価を得ました ― に長い日本語レジュメを付けてブログに載せる次第です。

  なお、筆者の略歴などについては、ウィキペディアを参照されたい。

 

 <Nommer dans La Recherche (『失われた時を求めて』における名付け)>のレジュメ

 

@ 序曲としての就寝劇

失われた時を求めて』巻頭で展開される就寝劇は、オペラや劇作品冒頭で演奏される序曲に相当するものです。序曲にふさわしく、長編小説全体のあらすじを集約して予告する物語性と形式を備えています。

この就寝劇は次のように展開されます ― 母親は訪ねてきたパリ社交界の寵児スワンをもてなすために忙しく、部屋で待つ幼い主人公におやすみのキスを与えることができなくなります。キスを奪われることは幼児期の子供にとっては母親との身体的な合一が奪われることで、主人公は悲嘆にくれます。夕食の片付けがすむと母親はようやく主人公の部屋に入ってきます。息子を愛称である「わたしの金貨さん」、「わたしのカナリアさん」などと呼びかけてから、ジョルジュ・サンドの小説『捨て子フランソワ』 ― 主人公の誕生日のために祖母によってあらかじめ用意されていたプレゼント ― を創意に富む調子で主人公に読み聞かせます。その朗読の声は泣きじゃくる主人公を落ちつかせます。主人公は次第に母親の朗読の声に聞き入り、母親の声が小説の散文に新たな生命を吹きこんでいることに気づき、その状態に未知の心地よさをおぼえるようになります。すでに母親との関係が新たに結び直され、潜んでいた自分の資質が陶冶され、主人公が幼児期から脱皮しようとしていることが暗示されます。

こうして就寝劇においては、主人公は他者性をおびた母親から名前でもって呼びかけられ、母から朗読という創意に富む声が贈与されます。孤立していた幼い主人公は、母親の音楽を思わせる朗読の声によって導かれ、幼児期の孤独から脱却し、新たな自己の可能性を主体的に探るようにうながされます。就寝劇は「新たな時代のはじまり」を告げ、新たな自我の誕生を予告する寸劇でもあったのです。母は平凡でもあったサンドの散文に、「どこまでもつづくいとしい思いのこもった一種の生命を吹きこみ」、主人公はその創造的な朗読に喜びをおぼえます。こうした経緯は、それだけでもすでに『失われた時を求めて』の主要な展開を暗示しているといえます。

 

@ 導き手としての祖母

主人公に名を与え彼を精神的な成長へと導くのは、母親だけではありません。祖母や、恋人アルベルチーヌや、ジルベルトや、画家エルスチールや、作曲家ヴァントゥイユや、料理女フランソワーズなどもそうした重要な役割をはたしてゆきます。この人物たちも、小説の他の構成要素と関連しつつも就寝劇に類似する場面構成に従い、主人公を高揚する領域へと導いてゆきます。

母親の分身である母方の祖母も、コンブレでの就寝劇における母親と類似する役割を避暑地バルベックで演じます。高級リゾート地の豪華ホテルの一室で主人公は孤立感を深めますが、その時無意識的記憶によって思い出された部屋の仕切り壁から主人公を愛称で呼ぶ祖母の声が響いてきます ― 「わたしのネズミさん」、「わたしのキャベツさん」。主人公を安心させようとする、「すぐに行きますよ」という祖母の声も響くが、仕切り壁は次に祖母のピアノ演奏の音を伝えます。主人公は不安や孤独を忘れ、その精神を高揚させる場面が永遠につづくことを願うようになります。

母と祖母によって演じられたコンブレとバルベックのふたつの場面は、無意識的記憶によって思い出されたものとして描かれていて、時間の流れによって消し去られない重要なものとして強調さています。コンブレの就寝劇もその直後にマドレーヌ菓子による無意識的記憶によって甦ってくるコンブレの全生活を先取るようにして描かれていますが、バルベックのホテルで主人公を新たな世界へ導こうとする祖母も同様に無意識的記憶によって甦ってきます。

 

@ エルスチールと名付けられる画家

バルベックに向かう汽車の中で祖母は主人公に「エルスチール」という名前のすぐれた画家がいることを教え、その画業を高く評価します。エルスチールは小説に登場した時はサロンの軽薄な常連でしかなく、女主人ヴェルデュラン夫人によって「ビッシュ」と呼ばれていましたが、祖母はこのビッシュに新たに「エルスチール」という名前を与え、その絵画をセヴィニェ夫人の文学作品に比肩するほどだと主人公に語ります。祖母によってすぐれた画家とされたエルスチールは、社交界の花形ヴェルデュラン夫人たちが避暑を送るバルベックから離れた所にアトリエを構え、そこには傑作「カルクチュイの港」が置かれています。祖母にうながされてそのアトリエを訪れた主人公は、習作群や海洋画を見るうちにエルスチールの創意が、詩でいうところのメタファーによって現実を豊かに変貌させることにあることを学び取ります。エルスチールは、海には陸の用語を用い、陸には海の用語を用いて描いてました。物にそれまでとは別の名を与えて物を生動させ、新たな可塑性を付け加え、対象に「メタモルフォーズ」をうながしていたのです。また、彼の絵画は音楽や文学などの芸術のさまざまなジャンルの用語が使われて描写され、ジャンルを越えて息づく作品そのものとなって迫ってきます。

 

@ アルベルチーヌの登場と成長

 エルスチールは事物にだけでなく人物にも新たな名を与え、その人物に新たな可能性を付与し、人物像を変貌させます。「シモネ嬢」と呼ばれ、仲間とともにリゾート地で遊び、下品な表現も大胆に使う貧しいみなしごをエルスチールは「アルベルチーヌ」とアトリエで新たに名付けて、主人公に紹介します。アルベルチーヌは同性愛疑惑を主人公に抱かせ、嘘もつくなどして彼の嫉妬をかき立てつづけますが、しかしアルベルチーヌという名が与えられると、それ以降はエルスチールから学んだ物の見方を時として自分なりに応用して表現するようになり、主人公を驚かすようになります。彼女が示すようになった教会や地名や服飾への生き生きとした関心には、エルスチールから学んだ物の見方が独自の形にされて反映されています。さらには、その口癖から「さんざんだ」とあだ名されていたバルベックの無知で断言好きな青年に、アルベルチーヌは「オクターヴ」という新たな名を与えますが、それは「さんざんだ」というあだ名の青年が才能豊かな劇作家として成功する時なのです。名を与え、その当人に覚醒をうながすことは、エルスチールが行っていたことでもあります。

  小説から退出する母親や祖母に替わり、エルスチールから名をもらい創造性を発揮して自己変容するアルベルチーヌは、次第に重要な役割を演じるようになります。第五篇『囚われの女』のパリで主人公と同棲生活をはじめるアルベルチーヌは、それまで母親や祖母から愛称で呼びかけられ創造性へと導かれたものの無為な日々を送りつづける主人公に「マルセル」と三度呼びかけ、「マルセル」の前でラシーヌの劇『エステル』を引用したり、ピアノを演奏したり、すぐれた着こなしのセンスを披露したりします。そのことによって主人公マルセルから創造的な反応を引き出し、主人公を創造性を発揮するマルセルに脱皮させようとします。こうしたアルベルチーヌの姿が就寝劇を演じた母親に重なることにマルセルは気づきます。主体的な創作活動を一日延ばしにしてきた作家志望の主人公も、アルベルチーヌに「マルセル」と名付けられると、「以前のわたしとは別の名前を持つ新たな自我」が生まれのを感じ、彼女から届けられる創意に応える形で自らもピアノを演奏するようになります。また、サロンでヴァントゥイユの七重奏曲を聴き、楽節と楽節が相互に働きかけ合い、そこから楽節が他の楽節を活性化する関係の場が生成していることを聞き取ります。ここからは就寝劇での母親の朗読の描写に使われた表現を読み取ることができます。そして、「アルベルチーヌへの愛よりも神秘的な何か」が生まれてくることに気づきます。 先行作品ソナタを展開させた七重奏曲から得られる詩的な感覚が、恋愛における幻滅や嫉妬といった心理よりもはるかに長く持続することにマルセルは気づきます。

 

@ ジルベルト

こうして主要人物たちは孤立せずに、たがいに離れて登場しても一連の人物群となって基本において共通する役割を演じます。愛情や性や社交界といった小説の他の大きなテーマにも関連しつつ多岐に渡って演じられる創造性への導きをマルセルは学び取り、自身の創造的実践を模索するようになります。

こうした大きな流れに沿っていくつか傍流ともいえる脇筋も編まれてゆきます。たとえば、ジルベルトとその母親の関連がそのひとつの例です。ジルベルトは当初、「スワン嬢」として小説に登場しますが、その母親スワン夫人 ― 名もない大部屋女優であり元高級娼婦オデット・ド・クレシーでしたが、エルスチールは彼女の肖像画を描き、その絵に「ミス・サクリパン」という名を与えます ― からタンソンヴィルにある自宅のサンザシの生垣というやはり外部と接する所ではじめて、「ジルベルト」という名前でもって呼ばれ、そこを通りがかった主人公は「スワン嬢」の名前が「ジルベルト」であることを知ります。シモネ嬢がエルスチールによってアルベルチーヌとアトリエで呼び直される経緯と並行します。ジルベルトが現れるサンザシの生垣もやはり音楽や絵画の用語でもって描かれ、精彩に富む場面になっています。ジルベルトもアルベルチーヌと同様に教会巡りを行いますし、親しい友人の作家ベルゴットの作品を主人公に貸すなどして自分なりに彼を創造性へと導こうとします。主人公をエルスチールや作曲家ヴァントュイユへと導くアルベルトと同様に、です。さらにアルベルチーヌがパリで行ったように、ジルベルトも主人公の名前をシャンゼリゼ公園で呼びます。しかし、ここではその名前はついに表記されません。ふたりとも主人公の恋愛の対象ですし、こうしてふたつの恋は並行して展開されることもありますが、主人公を「マルセル」と呼んだアルベルチーヌに比べると、ジルベルトは副次的な存在なのです。

 

@ マルセルと名付けられる主人公

  マルセルはのちに母とヴェネチアに旅し、美術館でカルパッチョの『聖女ウルスラ物語』に描かれた年取った婦人を母親だと思います。また、同じカルパッチョの『悪魔に憑かれた男を治癒するグラドの総主教』の描かれたカルツァ信心会員のひとりにアルベルチーヌの姿を重ねて見ます。そうすることで、自分に名を与え創造性へと導いてくれた母親とアルベルチーヌを、今度はマルセル自身が名画に描かれた存在にまで高めようとします。主体となったマルセルは、母親やアルベルチーヌにならいながらも、それをここで愛情をこめて独自の表現にしてふたりに働きかけています。こうして母親とアルベルチーヌは芸術作品の輝く存在となって生きつづけることになります。すでにアルベルチーヌと祖母は死に、死や忘却が広がりますが、そうした時間の流れにさからようにして創意による永続性が登場人物に与えられます。

 

@ 巻末における『捨て子フランソワ』

最終篇『見出された時』の巻末近くでマルセルは、ゲルマント大公邸の午後の集いに行き、サロンに入る前に無意識的記憶を立てつづけに三度おぼえますが、その直後大公邸の図書室で小説『捨て子フランソワ』を見つけ、コンブレの就寝劇で母親によって夜通し朗読された小説を思い出します。就寝劇で朗読された本は、「もっとも素晴らしい光を浴びて発見されたが、その光はたんに昔から模索をつづけてきたわたしの思考だけでなく、わたしの人生の目的までも、そしておそらく芸術の目的さえも不意に照らし出した」。創造的主体を獲得し創作に打ちこもうとようやく決意するマルセルは、就寝劇で朗読された小説が幼児期からの自らの変容の軌跡を集約するものであることに気づきます。就寝劇で朗読された『捨て子フランソワ』は『失われた時を求めて』全編の展開を予告する序曲ですが、巻末にふたたび現れて、今度は『失われた時』の主要な展開を記憶によってマルセルに明示します。巻頭から展望へと、また巻末からの回顧へと向けられるふたつの照射によって、間隔をおいて断続的に反復されてきたいくつかの名付けの場面はたがいにつながります。また、母親が巻頭のおいて朗読で行ったことを、今度はマルセルがその創造性を独自の形に増幅させて巻末において実践しようとしていることになります。

 

@ 孤立する姓や称号

  成長の軌跡を描くこの教養小説 ― 外部からの働きかけを受けた主人公の内面の発展を描く長編小説で、ビルドゥングス・ロマンともいわれる ー には、その流れに逆らい抵抗する人物たちも描かれます。慣例に従い固定化され不動のものと思いこまれてきた大きな姓のほうは、そこに近づくうちに、姓に含まれていた魅力を次第に失ってゆきます。たとえば、憧れていたゲルマント公爵夫人も画家エルスチールをひどく嫌い、最後には自分の名前さえ失うように書かれています。ゲルマント公爵夫人はそっけない性格を露呈するだけでなく、アルベルチーヌが共感を寄せる元売春婦が女優として評価され、「ラシェル」という新たな名を得ても、その新しい名前を無視し、「あの淫売」、「ユダヤ女」などとかたくなに侮蔑的に言いつづけます。大ブルジョワジーのサロンを取り仕切るヴェルデュラン夫人も、自分のサロンの軽薄な常連だった「ビッシュ」あるいは「ティッシュ」が画家「エルスチール」となって成功しても、ビッシュを「エルスチール」と言い換えることを拒みます。ヴェルデュラン夫人は三度目の結婚によって対立関係にあったゲルマント家に嫁ぎ、姓をあっさり置き換え、いつのまにか「ゲルマント大公夫人」になりますが、あいかわらずサロンを取り仕切ります。また、ブロックは姓も名前も「ジャック・デュ・ロジエ」にひとりで勝手にすっかり置き換え、貴族のサロンに足繁く通います。イギリス紳士然として振舞い、一見成功した劇作家に見えます。しかし、彼はその実マルセルの著作を剽窃をする出世主義者にすぎません。

  登場人物が名前を新たにもらい成長する場面は、小説全篇を通して間歇的に変奏されつつ反復されてゆき、脇筋もそこに加わり大きな広がりが編まれてゆきます。その一方、貴族などの姓や称号の慣例によって不変と見なされてきたものの魅力は、そこに近づくにつれ相対化され次第に色褪せたものになってゆきます。恋愛や社交界のような大きな場面のあいだに挟まれたような所で演じられる名付けの寸劇は共通する展開を見せ、たがいにつながり、声量を増し舞台前面にせり出してきますが、一方それとは逆にそれまで舞台中央を占め、安定し不動とも思われてきた大きな姓のいくつかは固定されたまま変質し、その立場をあやうくしてゆきます。称号のついた姓などの社会上の立場のゆらぎにもわれわれは立ち会うことになります。称号と姓の継承には何かしら痛々しいものが感じられる、とプルーストは書いています。なお、主人公マルセルの姓はついに明らかにされません。

 

@ 芸術作品

この小説では芸術作品が重要な役割を演じます。芸術は受容と創造性との関係性において描かれ、しばしばジャンルを越えて描かれる作品は創造的主体によって実践され、それを受容する者によってさらなる創造性は、この小説特有の構成に従って追求されるものとして表現されます。

その創造性は、芸術家個人の独創として発揮されるものではなく、また偶発的にもたらされる天啓のようなものでもありません。

 

@ 顕微鏡と望遠鏡

名をもらい、それに応えて数次にわたって脱皮し自己変容する一連の人物たちを追うためには、微視だけでなく巨視も必要となります。プルーストは最終巻『見出された時』で、顕微鏡だけでなく望遠鏡も使って『失われた時を求めて』を読んでほしいと読者に呼びかけています。

細部の表現にも特有の輝きを放つ小説ですし、細部の描写を読んでいるとまるで投げた投網をたぐる時のような手応えをおぼえることもできます。しかし、同時に人物群が時間とともに変容し展開されてゆくのを大きく俯瞰するような視座からながめることもできるのです。これはこの小説が与えてくれる大きな、そして稀有な楽しみでもあります。  

以上                    

                                               

  『失われた時を求めて』の翻訳について論じることは、このブログの主旨ではありません。しかし、せっかくの機会でもあるので、仏語論文で引用した『失われた時』の原文だけに限り、その翻訳がはらむ問題点についても触れておきましょう。

  就寝劇が『失われた時』の序曲であり、そこで演じられる劇が小説全編にわたってライト・モチーフともなって次第に大きく展開されてゆくことは論文で詳述しました。しかし、既訳のひとつではこの就寝劇(drame du coucher)が「就寝の悲劇」と訳されています。この小説全体の調子を予告する劇が「悲劇」であるという解釈には違和感をおぼえざるをえません。

  また、豊かな芸術的感性に富む母親も祖母も、上述したように、愛称で主人公を呼び、受け身の彼を創造的受容へと導きますが、この際に繰り返される愛称が一部訳されていない邦訳があります。その後も反復される特徴的な呼びかけなので、省略することなく訳出するべきだったのではないでしょうか。

また、ジョルジュ・サンドの小説『フランソワ・ル・シャンピ』の題名は、champiという普通名詞をそのまま訳し、『捨て子フランソワ』としたほうがプルーストの意図が伝わる邦訳になったのではないでしょうか。最終篇『見出された時』のなかで、執筆しようとしている小説についてマルセルはこう語っています ― 「小説のエッセンスは、『捨て子フランソワ』という名前に含まれている」。名もない捨て子に里母が「フランソワ」という名を与え、そのフランソワは成長してゆきますが、こうした展開は基本において『失われた時』全体の展開さえ暗示しています。ちなみに、サンドのこの小説のタイトルは既訳ではchampiが訳されていて、『棄子のフランソワ』と訳されています。

  また、主人公の名はマルセルではなく、全篇を通し一貫して無名でありつづけると主張する邦訳もあります。アルベルチーヌが主人公に「マルセル」と呼びかける第五篇『囚われの女』の三箇所は、これをすべて削除するべきだ、プルーストがもう少し生きながらえていたら自身の手でこの「マルセル」はすべて削除されていたはずだという主張です。この大胆な<主人公無名説>は長いあいだ流布しました。しかし、その後広範に集められた当該箇所の草稿群の調査研究によってこの無名説は否定されることになりました。

わたしも以下の仏語論文において生成研究とは異なった観点 ― つまり小説の全般的展開の多面的考察 ― からこの<主人公無名説>を再検討しました。その結果、上記のレジュメでもお分かりのように、この<主人公無名説>は否定せざるをえませんでした。この<主人公無名説>では、調査した草稿類がかなり限られたものであったし、またとりわけ小説全般における根源的な展開が考慮に入れられていないからです。

 

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 Nommer dans A la recherche du temps perdu

      Version refondue             

                                         Akio Ushiba

                                        Université Keio

 

   Les noms employés dans la Recherche ont souvent fait l’objet d’analyses[1] ; Proust s’attache en effet minutieusement à marquer la distinction des trois l’âges — celui des noms, celui des mots et celui des choses — et tente d’utiliser les noms propres pour structurer la Recherche[2]. Notre étude tente d’apporter un nouvel éclairage sur ce problème : il nous semble qu’il y a une série de scènes de nomination qui, tout en s’esquissant sur la toile de fond du récit, deviennent au fur et à mesure explicites dans la Recherche et invitent les personnages de progresser spirituellement.

   Prenons, tout d’abord, le cas d’Elstir ; lorsqu’il fait son apparition dans le roman, il est sans nom : dans le salon de Mme Verdurin, on l’appelle tout simplement le « peintre » et , fidèle du salon, il est surtout connu par ses bouffonneries. On sait ensuite que Mme Verdurin l’appelle ensuite « Monsieur Biche »(I, 200[3]).

   Mais, Monsieur Biche change encore une fois de nom : lors du voyage à Balbec, la grand-mère fait découvrir au héros la beauté des Lettres de Mme Sévigné et lui rappelle que le grand peintre Elstir est de la même famille que Mme Sévigné (II, 14). C’est donc par l’intervention indirecte de la grand-mère que Monsieur Biche change de nom et qu’il devient cette fois Elstir. En effet, il s’avère que la grand-mère considère Elstir comme un des plus grands artistes de son temps (II, 189). Et le héros finit par se rendre à son atelier sur les vifs conseils de sa grand-mère : « Je dus finir par obéir à ma grand’mère avec d’autant plus d’ennui qu’Elstir habitait assez loin de la digue » de Balbec (II, 190). Dans l’atelier d’Elstir, « laboratoire d’une sorte de nouvelle création du monde »(II, 190), le héros regarde longuement Le port de Carquethuit, son chef d’œuvre, et il finit par comprendre que son art consiste justement à « nommer » : « Mais j’y pouvais discerner que le charme de chacune [des toiles] consistait en une sorte de métamorphose des choses représentées, analogue à celle qu’en poésie on nomme métaphore et que si Dieu le Père avait créé les choses en les nommant, c’est en leur ôtant leur nom, ou en leur donnant un autre qu’Elstir recréait » (II,191). La peinture d’Elstir consiste à donner de nouveaux noms aux choses. Les œuvres d’Elstir, au lieu de simplement faire l’objet d’une description ou d’une contemplation esthétique, indiquent une voie vers les relations créatrices qui relient les éléments qui les composent et participent activement au récit[4]. D’ailleurs, Elstir donne dans une autre œuvre un nom nouveau à son modèle : il nomme Odette « Miss Sacripant » dans le portrait qu’il fait d’elle (II, 203-205).    

Ce pouvoir de nomination ne se limite pas à ses œuvres : il donne dans son atelier également les noms des jeunes filles de Balbec, : « Elstir me dit qu’elle s’appelait Albertine Simonet et me nomma aussi ses autres amies que je lui décrivis avec assez d’exactitude pour qu’il n’eût guère d’hésitation » (II,200). Dans le cas d’Albertine, elle n’était jusqu’alors connue que comme une « cycliste », une «golfeuse » (II, 199) et ensuite sous le nom de « Mlle Simonet », mais Elstir y ajoute pour la première fois le prénom « Albertine » et la présente au héros dans son atelier.

Une fois nommée, Albertine commence à jouer, à son tour, un rôle plus actif dans le récit. Par exemple, devant l’église de Marcouville-l’Orgueilleuse, petite église de Normandie visitée en automobile avec le héros, Albertine n’en apprécie pas la restauration qui ne sait échapper au « fétichisme attaché à la valeur objective » (III, 402). Elle préfère à cette restauration « la transfiguration de l’église dans le couchant » (III, 402-403). Sous l’influence d’Elstir, s’élevant contre la restauration trop fidèle, elle manifeste ainsi pour la première fois la sûreté de son goût en architecture, changement qui étonne son entourage.

A propos du nom de lieu, Marcouville-l’Orgueilleuse, elle s’exprime ainsi : « [...] j’aime son nom d’Orgueilleuse. Mais ce qu’il faudra penser à demander à Brichot, c’est pourquoi Saint-Mars s’appelle le Vêtu. » (III, 403). Dans la plupart des cas, les étymologies de Brichot font souvent disparaître la poésie des noms, mais Albertine s’intéresse ici à un autre processus de transformation historique des nom des lieux : celui qui appose au nom de Marcouville l’épithète substantivé « l’Orgueilleuse » et à Saint-Mars « le Vêtu ». Brichot, professeur à la Sorbonne, que Swann tient pour « pédant »(II, 752), explique les étymologies des noms « à la prière d’Albertine »(III,484) et Albertine y devine la possibilité de renommer les noms de lieu et de découvrir un autre merveilleux de l’étymologie. Lorsque Albertine interroge Brichot dans le train de Balbec sur ce processus de transformation de Marcouville en « l’Orguilleuse » en disant « Oui, j’aime beaucoup cet orgueil, c’est un village fier », celui-ci confirme cette intuition en disant : « (...) Dans presque tous les noms qui se terminent en ville, vous pourriez voir encore dressé sur la côte, le fantôme des rudes envahisseurs normands » (III, 484). Et de continuer que dans « Hermonville », en fermant les yeux, on pourrait voir l’illustre Herimund, chef norois. Ici, lors de son troisième et dernier discours, Brichot ne réduit plus que simplement les noms de lieu à leur détermination historique par un plat discours rationaliste, mais insinue aussi une possibilité de redonner une poésie et même une possibilité d’humanisation par une nouvelle nomination. A propos de l’étymologie de Brichot, Antoine Compagnon remarque : « l’étymologie participe [...] bien à la désillusion au même titre que la découverte de la réalité des lieux» [5].

   Parmi d’innombrables Albertine — « Unique, croyez-vous ? elle est innombrables devant nos yeux qui l’aiment, [...] »(IV, 85)[6] — , il y en a donc une qui, après avoir été renommée par Elstir, se métamorphose et se montre sous un nouveau jour, ayant progressé intellectuellement.

Et cette fois c’est à Albertine que revient le rôle de nommer  les autres et de les inviter ainsi à se transformer. A Balbec apparaît un jeune homme anonyme, gommeux et fêtard, joueur de baccara et de golf. Une de ses expressions favorites le fait surnommer « Dans les choux ». On s’étonne de son ignorance et de ses jugements péremptoires sur Mme de Cambremer. Mais, c’est à partir du moment où Albertine, une des amies de « Dans les choux », commence la première à le renommer « Octave »(II, 233) que celui-ci se métamorphose d’un coup en un dramaturge de talent dont les œuvres sont rapprochées des ballets russes[7]

 

   L’unicité d’Albertine s’émiette en multiples facettes. Elle apparaît parfois une créature perverse dont le héros jaloux doit traquer sans cesse par l’imagination les secrets coupables. Mais, Albertine n’est pas seulement un objet d’amour-maladie ; elle a aussi pour rôle de faire découvrir au héros une poésie créatrice jusqu’alors inconnue de lui. Dans La Prisonnière, Albertine tente de nommer par son prénom trois jours de suite le héros et c’est à partir de là qu’elle lui donne accès, ce nous semble, à une vie intérieure plus élevée. Après avoir reçu le prénom dans ces situations, le héros accède à des activités spirituelles jusqu’alors inconnues.  

Lors du premier ensemble de journées de La Prisonnière, non seulement elle commence à s’occuper de dessin et de ciselure (III, 576), mais elle montre aussi un goût raffiné pour ses toilettes d’intérieur (III, 571). Elle a la manie des mentir et ses récits sont suspects, mais le héros permet aussi à Albertine de sortir de sa médiocrité et d’enrichir son langage et sa culture. Devenue soudain intelligente, elle joue aussi de la musique au héros : « les soirs où cette dernière ne me lisait pas à haute voix, elle me faisait de la musique ou entamait avec moi des parties de dames, ou des causeries que j’interrompais les unes et les autres pour l’embrasser. Nos rapports étaient d’une simplicité qui les rendait reposants » (III, 575). Et c’est dans cette situation qu’en se réveillant, elle appelle réellement le narrateur par son prénom, même si le prénom n’est pas donné de façon directe: « Elle retrouvait la parole, elle disait : « Mon » ou « Mon chéri », suivi l’un ou l’autre de mon nom de baptême, ce qui, en donnant au narrateur le même prénom qu’à l’auteur de ce livre, eût fait : « Mon Marcel », « Mon chéri Marcel »(III, 583) [8].

   Et ici aussi, la nomination --- ne serait-ce qu’encore une tentative de nommer dans ce passage --- entraîne un changement profond du héros :  

 

Et pourtant, à ce désir honorant d’un « ex-voto » la jeunesse, aux souvenirs aussi de Balbec, se mêlait dans le besoin que j’avais de garder ainsi tous les soirs Albertine auprès de moi, quelque chose qui avait été étranger jusqu’ici à ma vie, au moins amoureuse, s’il n’était pas entièrement nouveau dans ma vie. C’était un pouvoir d’apaisement tel que je n’en avais pas éprouvé de pareil depuis les soirs lointains de Combray où ma mère penchée sur mon lit venait m’apporter le repos dans un baiser »(III, pp.584-585).

 

   Albertine qui appelle le héros par son prénom se transforme donc et devient quelqu’un qui, ayant « un pouvoir d’apaisement », tente de conduire le héros vers un autre monde. La nomination du héros ouvre donc une scène où Albertine révèle au narrateur une nouvelle dimension de lui-même.

Durant le deuxième ensemble de journées de La Prisonnière, le héros, jaloux, soupçonne un sens caché aux paroles et aux regards d’Albertine et constate amèrement son impuissance : « J’avais beau questionner, c’était moi qui répondais, je n’apprenais rien de plus » (III,592) ; « L’amour lui-même ne permet aucune communication »(IV,137)[9]. Mais le soir, Albertine couchée interpelle le héros qui sort : « « Mais où tu vas comme cela, mon chéri ? » et en me donnant mon prénom, et aussitôt se rendormait »(III, 622). Cette tentation de nomination provoque, dans cette scène aussi, un changement radical : « De même que les yeux clos donnent une beauté innocente et grave au visage en supprimant tout ce que n’expriment que trop les regards, il y avait dans les paroles non sans signification, mais entrecoupées de silence, qu’Albertine avait auveil, une pure beauté qui n’est pas à tout moment souillée, comme est la conversation, d’habitude verbales, de rengaines, de traces de défauts » ( III, 622). Et le héros sent une autre Albertine qui « soustraite à tout, non pas seulement matériellement mais moralement, était le pur chant des Anges » (III, 621). Attisant l’imagination, la nomination va conduire le héros et Albertine elle-même vers une nouvelle possibilité de relation ; cette scène se déroule finalement sous le signe de la métaphore de l’interprétation artistique : « Seul son souffle était modifié par chacun de mes attouchements, comme si elle eût été un instrument dont j’eusse joué et à qui je faisais exécuter des modifications en tirant de l’une, puis de l’autre de ses cordes, des notes différentes » (III, 620)[10].

   Chez Proust, des scènes importantes se répètent souvent à plusieurs reprises avec des variations. Il en est ainsi de la scène de la nomination. Ce qui se déroule ainsi durant les deux premières soirées de La Prisonnière se rejoue encore une fois pendant la troisième journée. Ce jour-là, le héros sent renaître sa jalousie et décide d’empêcher Albertine de sortir revoir Léa au Trocadéro. Il est pourtant obligé de reconnaître qu’il lui est impossible de posséder les autres. Mais, Albertine fait porter au héros un billet, lui annonçant son retour prochain, où le prénom « Marcel » est écrit deux fois :  «

 

 Mon chéri et cher Marcel, j’arrive moins vite que ce cycliste dont je voudrais bien prendre la bécane pour être plus tôt près de vous. Comment pouvez-vous croire que je puisse être fâchée et que quelque chose puisse m’amuser autant que d’être avec vous ? Ce sera gentil de sortir tous les deux, ce serait encore plus gentil de ne jamais sortir que tous les deux. Quelle idées vous faites-vous donc ? Quel Marcel ! Quel Marcel ! Toute à vous, ton Albertine» (III, 663).

 

 Le héros y voit une Albertine, qui le ramène à un monde différent de celui du désir. Et attendant son retour dans « la confiance en sa docilité », le héros, nommé « Marcel » par Albertine plusieurs fois de suite, commence à jouer au piano la sonate de Vinteuil, ce qui l’aide à redescendre en soi-même : « (...) je pouvais disposer de ma pensée, la détacher un moment d’Albertine, l’appliquer à la Sonate » (III, 664). En trouvant enfin sa voix propre, le héros nommé Marcel continue : « Non, prenant la Sonate à un autre point de vue, la regardant  en soi-même comme l’œuvre d’un grand artiste, j’étais ramené par le flot sonore vers les jours de Combray --- je ne veux pas dire de Monjouvain et du côté de Méséglise, mais des promenades du côté de Guermantes --- où j’avais moi-même désiré d’être un artiste » (ibid.). « Marcel » finit par saisir un des secrets de Vinteuil qui, développé, lui permettra d’élaborer sa propre vision de l’art et de réfléchir sur l’« unité essentiel » des grandes œuvres du XIXe siècle. Jusqu’alors individu quelconque et simple dilettante, le héros, une fois nommé Marcel par Albertine, commence ici à formuler sa vision enfin saisie et à s’approcher de l’écriture. En donnant le nom « Marcel » au héros, qui, ne serait-ce qu’encore passagèrement, se montre prêt à devenir le narrateur du roman, Albertine lui révèle avant Le Temps retrouvé ses capacités et l’amène jusqu’à une vie intérieure enrichie et féconde[11].

Albertine, que les œuvres d’Elstir et de Vinteuil ont éveillée, invite par la vivacité et la richesse de ses réactions le héros à lui-même se tirer son profit spirituel de ces œuvres. Il finit par saisir enfin l’essentiel de Vinteuil, « communication des âmes »(III,763) après le concert du septuor de la troisième journée ; il ressent « quelque chose si grand » à l’écoute de la musique qui réunit Albertine et lui-même. Ce n’est pas seul qu’il approche de la maturité, mais c’est en répondant à l’appel d’Albertine qu’il se métamorphose et élabore sa propre vision qui lui permettra lui-même d’écrire[12].

Ainsi, Albertine et Marcel, inventent-ils un nouveau mode d’échange, partiel mais riche en avenir, pour tenter de dépasser l’échec initial de leur relation affective. Ici par un renversement profond, la solitude et la détresse s’effacent et suscitent des échanges réciproques. Certes, cette nouvelle situation n’est encore que passagère, mais elle est importante et annonce déjà les conditions de la révélation finale du Temps retrouvé. « [...] cette femme n’a fait que susciter par des sortes d’appels magiques mille éléments de tendresse existant en nous à l’état fragmentaire et qu’elle a assemblés, unis, effaçant toute lacune entre eux, c’est nous-même qui en lui donnant ses traits avons fourni toute ma matière solide de la personne aimée » (IV,85).

   Pendant cette troisième journée, mise en appétit par les appels des petits marchands ambulants de Paris et non contente d’être simplement consommatrice, Albertine, enthousiaste pour « les nourritures criées », fait montre de créativité littéraire en se livrant oralement devant Marcel au vertige de la description des glaces. D’habitude peu loquace, Albertine devient créatrice, faisant preuve d’une riche imagination visuelle : elle a plaisir à « convertir [...] les monuments de framboise ou de vanille en fraîcheur dans [son] gosier » (III,636-637). Non exempt d’un arrière-plan sexuel ambigu, cet bel exercice joue comme un stimulant pour Marcel qui n’est encore qu’un jeune esthète qui peine à s’engager dans une œuvre ; non seulement elle cite Esther de Racine si bien que Marcel la surnomme « Albertine-Esther » (III, 606), mais ses paroles « montrèrent en effet combien d’intelligence et de goût latent s’étaient brusquement développés en elle depuis Balbec » (III, 635) : « Albertine, même dans l’ordre des choses bêtes, s’exprimait tout autrement que la petite fille qu’elle était il y avait seulement quelques années, à Balbec »(III,528). Jacques Dubois écrit : « Soyons plus sensibles à ce qu’a de rafraîchissant chez Albertine ce don de soi, ce mouvement vers l’autre. Et tenons compte de ce que le monde de la Recherche est marqué par un grande lésine affective avec laquelle contraste la présente générosité »[13].

   Pendant les quatrièmes journées, elle joue au piano des pièces pour que Marcel les comprenne mieux ; tout en gardant ses secrets, elle dialogue longuement avec Marcel au sujet de la créativité artistique (III,878). Et ce dialogue connote l’idée d’un échnage constructif.

   Dans Albertine disparue aussi, l’amour pour Albertine reste pour Marcel la limitation d’un individu par un autre, mais, reconnaissant «un enrichissement de qualités » (IV, 81) d’Albertine, il se fait la réflexion à propos de ses nouvelles qualités poétiques : « Mais j’admirai aussi comme la cycliste, la golfeuse de Balbec, qui n’avait rien lu qu’Esther avant de me connaître, était douée et combien j’avais eu raison de trouver qu’elle s’était chez moi enrichie de qualités nouvelles qui la faisaient différente et plus complète » (IV, p.51)[14].

 

   Ces petites scènes répétitives déclenchées par la nomination se déroulent ainsi les trois premières jours consécutifs de La Prisonnière. Mais le scénario de ces scènes est en réalité présent en germe lors du drame du coucher au début de Du côté de chez Swann. Les deux passages partagent plusieurs aspects communs. D’abord, ces deux débuts --- du 1e tome et du 5e tome La Prisonnière --- ont ceci de commun que le héros ressent dans les deux cas d’abord de la jalousie, parce qu’il a peur qu’en le délaissant, la mère du drame du coucher et Albertine aillent en secret retrouver loin de lui des plaisirs partagés avec d’autres. Dans la cas d’Albertine, il craint qu’elle n’ait avec Léa en cachette des rencontres amoureuses, tandis qu’à Combray il a peur que sa mère, trop occupée à accueillir Swann, n’aille rejoindre les plaisirs de la table dont il est exclu. De même qu’à Combray l’enfant craint de perdre un amour qu’il croyait absolu, de même à Paris devenu adulte le héros doute de l’amour d’Albertine. D’ailleurs, le baiser refusé d’Albertine est un reflet lointain de celui de Combray ; « Mais ce soir son baiser, d’où elle (Albertine) était elle-même absente, et qui ne me rencontrait pas, me laissait si anxieux [...]. Comme jadis à Combray, quand ma mère m’avait quitté sans m’avoir calmé par son baiser[ ...] » (III,619). L’accès à l’intériorité profonde de ces êtres désirés est interdit dans les deux cas.

   Comme Albertine, la mère appelle par son nom --- des diminutifs dans ce cas --- le héros enfant pour le calmer et l’amener vers le monde de la littérature en lui lisant François le Champi : tard le soir, après le départ de Swann la mère entre dans la chambre du héros en pleurs et lui adresse pour la première fois dans le roman la parole : « Mon petit jaunet », « Mon petit serin » (I, 38). Après l’avoir appelé par ces diminutifs, la mère sort François le Champi du paquet que la grand-mère avait acheté comme cadeau pour l’anniversaire du héros et lui en fait la lecture avec une voix dont le narrateur souligne la qualité musicale : «[...] elle fournissait toute la tendresse naturelle, toute l’ample douceur qu’elles [cette bonté et cette distinction morale] réclamaient à ces phrases qui semblaient écrites pour sa voix et qui pour ainsi dire tenaient tout entières dans le registre de sa sensibilité. Elle retrouvait pour les attaquer dans le ton qu’il faut, l’accent cordial qui leur préexiste et les dicta, mais que les mots n’indiquent pas »(I, 42). Certains mots employés dans cette citation, « phrases », « registre », « attaquer », « tons », « accent », peuvent en effet être en même temps lus comme des termes musicaux. « Elle insufflait à cette prose si commune une sorte de vie sentimentale et continue »(ibid.) en faisant entrer la marche des syllabes dans un rythme uniforme ; grâce à cette lecture le héros est non seulement calmé, mais se laisse aller à la douceur de cette nuit. Chez la mère, on peut relever un sens plus créateur et plus musical qu’imitatif et contemplatif. Tout en étant une « lectrice admirable » de François le Champi, elle est donc en même temps une « lectrice infidèle »(I, 40). Le héros, qui souffre de la perte de l’affection maternelle exclusive, se sent non seulement calmé par cette lecture « infidèle » faite par la mère, mais il découvre le sens et le goût créateurs de sa mère : la lecture est une véritable initiation à la littérature pour l’enfant qui n’a « jamais lu encore de vrai roman »(I,41)[15]. L’appel direct de sa mère produit déjà un autre moi qui devient capable de trouver les signes du spirituel à travers la perte de l’amour.

En effet, dans « Combray II » qui commence juste après ce drame du coucher situé à la fin de « Combray I », le héros, conduit déjà à un niveau spirituellement plus élevé grâce à la lecture faite par sa mère, arrive à apprécier les œuvres de Bergotte et les pièces de théâtre. Le drame du coucher commence certes par rompre le lien absolu qui existait entre la mère et son fils, mais cette scène finit par recréer une nouvelle relation créatrice entre eux. D’ailleurs, Proust écrit dans « Journées de lecture » que la lecture peut produire « ce miracle fécond d’une communication au sein de la solitude » (PM, 174). Conçue moins comme « une idole immobile »(PM, 183)[16], la lecture sert pour lui à fortifier et mettre en marche l’esprit des lecteurs : Proust met en valeur le rôle d’incitation et de stimulation que tient la lecture.

   Le drame du coucher est donc une sorte de pierre d’attente et ses échos se font aussi entendre dans la vie du héros avec Albertine. Lorsqu’il l’embrasse dans La Prisonnière, celle-ci lui fait en effet ressentir une « douceur quasi familiale »(III, 585) : « Tel tout mon passé depuis des années les plus anciennes, et par delà celles-ci le passé de mes parents mêlaient à mon impur amour pour Albertine la douceur d’une tendresse à la fois filiale et maternelle »(III, 587). Certes, la mère prend finalement une sorte de distance avec le héros et dévoile pour la première fois son altérité, mais pour calmer la détresse du héros, elle annonce déjà une dimension du futur.   

Bien que la mère préserve dans un sens l’esprit conservateur de Combray (III,415), une sorte de continuité se crée entre la mère et Albertine, entre amour maternel et amour passionné qui, en se superposant, perdent leur identité. Le drame du coucher est donc une scène primitive et matricielle pour l’apprenti-écrivain[17]. Cette scène en apparence anodine, qui commence par la nomination du héros par la mère, entame une série de métamorphoses et d’apprentissages dont les conséquences s’étendent à l’ensemble de la Recherche[18].

   Il nous semble que l’acte de nommer provoque de même un renversement de situation lors de la dernière scène de la réminiscence de la grand-mère (III,148-177). Pendant son deuxième séjour au Grand Hôtel de Balbec, la présence de la grand-mère qui était avec lui durant son premier séjour est rendue au héros lorsqu’il se déchausse le soir de son arrivée. Certes ce phénomène réalise un bouleversement de toute sa personne, mais il ressent ici plutôt du remord pour les chagrins qu’il lui a affligés lors de son premier séjour. Après un petit somme, lui reviennent les souvenirs de sa grand-mère lors de son premier séjour ; en particulier, il se rappelle l’expression « Ne t’agite pas, petite souris »(III, 160) et de nouveau la cloison de la chambre résonne à la façon d’un instrument de musique : « un piano où ma(sa) grand-mère aurait joué et qui vibrerait encore de son toucher » (III,159). En effet, lors du premier séjour, après avoir échangé des coups avec le héros à travers le mur, la grand-mère vient dans la chambre du héros et l’appelle directement « mon pauvre choux », «sa[ma] petite souris »(II, 30). Et cet emploi des diminutifs est étroitement lié avec « la symphonie par le dialogue rythmé de mes trois coups (...) où elle savait transporter l’âme de ma grand-mère tout entière »(ibid.).

Le héros se sent d’abord isolé et dépaysé dans cet hôtel de luxe aménagé pour une clientèle fortunée. Mais le souvenir de l’emploi du diminutif par la grand-mère renverse la situation et déclenche ensuite une nouvelle scène où le héros est appelé à progresser spirituellement ; la sorte de musique qui commence avec cet appel incite le héros à s’élever spirituellement. Comme c’était le cas avec Albertine et la mère, la grand-mère appelle d’une façon enjouée le héros par son nom et l’inspire par la musique qui s’associe à cette dénomination. Le caractère au fond dialogique et théâtral de cette scène, qu’ouvre cette nomination, va briser en quelque sorte la solitude du héros. Au lieu de se contenter de rapporter les souvenirs par un retour direct au passé, Proust développe le scénario en deux temps : d’abord nomination après la visite qui a lieu dans une situation critique et développement sous une forme dialogique et musicale ensuite[19].

D’ailleurs, la grand-mère est tellement semblable à la mère que le héros en viendra à prendre sa mère pour une « apparition » (III, 513) de sa grand-mère et que toutes les deux forment une figure double de la maternité. Après la mort de la grand-mère, la mère devient « son successeur ressemblant, le continuateur de sa vie interrompue » (III,166) et adopte sa manie de citer les Lettres de Mme de Sévigné. Ces citations permettent à la mère et à la grand-mère de donner du poids aux exhortations adressées au héros. Il arrive dans la Recherche qu’en s’affranchissant des limites de l’individualité personnelle, le personnage devienne le lieu d’une transmigration en lui de ses ascendants[20].

 

    Par ailleurs, l’amour avec Gilberte annonce celui avec Albertine ; il se déroule en contrepoint avec celui d’Albertine : « Ainsi mon amour pour Albertine, tant qu’il en différât, était déjà inscrit dans mon amour pour Gilberte » (IV, 483. III, 111). Leurs noms se ressemblent tant que le héros confond leurs écriture et leurs signatures. Et toutes les deux sont amies intimes d’Andrée et de Léa, gomorrhéenne. De même que Gilberte et Bergotte, qui est son ami, vont ensemble visiter les vieilles villes, les cathédrales, les châteaux (I,98) et qu’elle « peignait dans la chapelle du château »(IV, 266-267), de même Albertine apprend à apprécier les églises en compagnie d’Elstir (III, 402-403). Lorsque le héros est amoureux de Gilberte, elle lui offre  « une brochure » de Bergotte, jouant ainsi pour lui, à sa manière, le rôle d’initiatrice. Bien qu’à la différence d’Elstir et de Vinteuil, Bergotte n’arrive pas finalement à deviner le secret de l’art, chacun des deux grands cycles d’amour avec Gilberte et avec Albertine[21] est associé respectivement aux artistes.

   Le lecteur apprend les noms de Gilberte et d’Albertine de la même façon : elles apparaissent toutes les deux sans nom, puis sont ensuite appelées d’abord par leur patronymes : respectivement « Mlle Swann » (I,98-99) et « Mlle Simonet » (I,158-159). Et finalement la première est appelée « Gilberte » à Tansonville par Mme Swann, sa mère, comme Mlle Simonet « Albertine Simonet » par Elstir à Rivebelle. Cette ultime nomination de « Gilberte » (I,140-141) a lieu devant la haie des aubépines de Tansonville qui sont comparées avec des œuvres artistiques : « Alors me donnant cette joie que nous éprouvons quand nous voyons de notre peintre préféré une œuvre qui diffère de celles que nous connaissions, ou bien si l’on nous mène devant un tableau dont nous n’avions vu jusque-là qu’une esquisse au crayon, si un morceau entendu seulement au piano nous apparaît ensuite revêtu des couleurs de l’orchestre, mon grand-père m’appelant et me désignant la haie de Tansonville, me dit : « Toi qui aimes les aubépines, regarde un peu cette épine rose ; est-elle jolie ! » (I,137). Cette mise en scène emprunte d’une atmosphère artistique est tout à fait comparable avec celle où Mlle Simonet dans l’atelier d’Elstir, lieu hautement artistique, est prénommée Albertine par celui-ci. Ainsi la description des tableaux d’Elstir et celle des aubépines sont-elles liées étroitement avec le récit dans les deux cas. Tout en étant subalterne et secondaire par rapport à celui d’Albertine, l’amour de Gilberte le préfigure déjà.

   Une fois nommée, Gilberte tente cette fois-ci, même si sa tentative est maladroite, d’appeler le héros par son prénom, encore une fois comme Albertine. Aimable mais distante, elle lui propose dans le jardin des Champs-Elysées de s’appeler par leurs prénoms au lieu de se vouvoyer : « en tout cas moi, je vous appellerai par votre nom de baptême » : « Pourtant elle continua encore un moment à se contenter de me dire « vous » et comme je lui faisais remarquer, elle sourit, et composant, construisant un phrase comme celles qui dans les grammaires étrangères n’ont d’autre but que de nous faire employer un mot nouveau, elle la termina par mon petit nom » (I, 396). Le nom prononcé du héros n’est pas transcrit ici, mais cette nomination donne au héros adolescent un plaisir inconnu : « Mais au moment même, je ne pouvais apprécier la valeur de ces plaisirs nouveaux. » (ibid.). Bien qu’il y pressente avec « ces plaisirs nouveaux » la possibilité de l’apparition d’« un autre moi », il n’arrive ni à poursuivre cette possibilité ni à les approfondir. Le jeune héros joue ici plutôt une scène de procrastination, comme il le fait souvent. Mais, cette courte scène de nomination manquée lui annonce déjà une possibilité d’accéder à une autre dimension. Et à la fin du roman, ayant hérité du physique de sa mère, Gilberte éveille chez Marcel des souvenirs de Combray et le pousse à écrire.

   Mme Swann, la mère de Gilberte, apparaît, elle, d’abord sous plusieurs noms différents qui dessinent le personnage : la dame en rose chez l’oncle Adolphe ; la dame sans nom, en blanc, de Tansonville qui nomme pour la première fois « Gilberte » une fillette qui est devant le héros ; Odette de Crécy, femme du « demi-monde » du XIXe siècle ; Miss Sacripant d’après le titre qu’Elstir donne à son portrait ; Mme de Crécy ; Mme de Forcheville. Elle est antidreyfusarde et espère se faire admettre dans la haute société. Mais, les noms bourgeois et aristocratiques qui la désigne successivement brouillent les distinctions entre les classes sociales : personnage composite elle aussi, elle reste en dehors des conventions sociales.

Elle fait son ultime apparition au Bois de Boulogne, sous le nom de « Mm Swann » ; c’est ainsi que l’appellent les promeneurs du Bois : « Vous savez qui c’est ? Mme Swann ! Cela ne vous dit rien ? Odette de Crécy ? ( --- ) Je crois que vous ferez bien de ne pas le lui rappeler. Elle est maintenant Mme Swann (--- )» (I, 413). Et, bien qu’elle soit jusqu’alors une femme de réputation douteuse et qu’elle ne cesse de tromper Swann, c’est en réalité ce nom de « Mme Swann » qui lui convient le mieux et qui regroupe en quelque sorte toutes ses identités précédentes. En effet, dans Le Temps retrouvé, à l’époque où elle est devenue la maîtresse de M. de Guermantes, regrettant Swann, elle avoue finalement : « Pour M. Swann, c’était parce que je l’aimais follement »(IV, 598). 

   Au Bois, Odette, désignée sous le nom de « Mme Swann » déploie un charme vestimentaire qui est un petit chef d’œuvre : en effet, lors de cette apparition dans l’Allée des Acacias du Bois qui se situe à la fin de « Noms de pays : le nom » de Du côté de chez Swann, Mme Swann incarne et réalise « des chef-d’œuvre de l’élégance »(I, 416), et lors de la deuxième apparition au Bois, le charme de sa toilette est de nouveau souligné : « tout d’un coup, sur le sable de l’allée, tardive, alentie et luxuriante comme la plus belle fleur, et qui ne s’ouvrirait qu’à midi, Mme Swann apparaissait, épanouissant autour d’elle une toilette toujours différente mais que je me rappelle surtout mauve ; puis elle hissait et déployait sur un long pédoncule, au moment de sa plus complète irradiation, le pavillon de soie d’une large ombrelle de la même nuance que l’effeuillaison des pédales de sa robe. » (I, 625). De surcroît, dans l’épanouissement de son charme vestimentaire, les mille détails de la chemisette de Mme Swann, « femme peinte », sont comparés avec « ces parties d’orchestre »(I, 627). Ici aussi, la double ultime apparition épiphanique dans cette scène exaltée a lieu presque en même temps qu’une nouvelle nomination : « Mme Swann ».

   Jusqu’alors le héros ajourne ses projets littéraires et prend conscience peu à peu de l’impossibilité de son amour pour Gilberte. Mais le sentiment d’échec amoureux est en partie effacé et compensé par ces deux apparitions poétiques de Mme Swann. Et dans les deux cas, le héros, ébloui par ses charmes, finit par dialoguer avec elle. Elle éclipse en quelque sorte l’histoire d’amour malheureuse du héros, et compense les déceptions affectives par un éclat même de sa toilette élevée au niveau d’une œuvre d’art.

 

Le héros se montre parfois agressif avec sa grand-mère en buvant exprès de l’alcool devant elle, ou avec tante Léonie par exemple lorsqu’il vend ses meubles à une maison de passe ; la profanation est en effet l’un des thèmes de la Recherche. Tout en voulant devenir écrivain, il est incapable de définir le sujet de son œuvre. Même lorsqu’il ressent une émotion profonde face à la nature, il n’arrive pas à l’élucider ni à l’exprimer par écriture. De là vient qu’on lit souvent ces phrases, signes d’une impasse qui le conduit à la procrastination : « Je ne savais pas alors  que --- », « je ne pouvais comprendre que --- ». De plus, il essuie plusieurs échecs amoureux. Incarnant de la précarité, il reconnaît lui-même qu’il manque de constance : « j’avais trop expérimenté l’impossibilité d’atteindre dans la réalité ce qui était au fond de moi-même » (IV,455).

   Cependant, c’est un personnage qui en même temps progresse spirituellement de façon intermittente. Le moi qui apparaît au début d’A l’ombre des jeunes filles en fleurs se contente un peu comme Swann de rechercher des expériences sensuelles et de se livrer au dilettantisme érudit. Mais, lors du second séjour à Balbec, « [les] yeux  instruits par Elstir à retenir précisément les éléments que j’écartais volontairement jadis » (III,179), il découvre le mouvement dynamique de la mer. Lorsqu’il pénètre enfin dans l’hôtel de Guermantes, il n’oublie pas la leçon de l’atelier d’Elstir qu’il continue à entendre « chanter » (II,714) en regardant des tableaux d’Elstir accrochés dans le salon. Il fait des expériences identiques lors de la visite chez la princesse de Guermantes qui a lieu deux mois après ; à la différence de M. et Mme de Guermantes qui avouent finalement ne pas aimer les œuvres d’Elstir, il se souvient des sollicitations et des appels adressés par ses œuvres (III,414)[22].

Après avoir été appelé plusieurs fois de suite du nom « Marcel » par Albertine dans La Prisonnière, il reconnaît lui-même, dans Albertine disparue, qu’une transformation radicale a lieu dans son esprit lors de la seconde étape de l’oubli d’Albertine : « L’être nouveau qui supporterait aisément de vivre sans Albertine avait fait son apparition en moi, puisque j’avais pu parler d’elle chez Mme de Guermantes en paroles affligées, sans souffrance profonde. Ces nouveaux moi qui devraient porter un autre nom que le précédent, leur venue possible, à cause de leur indifférence à ce que j’aimais, m’avait toujours épouvanté » (III,174). L’apprentissage se fait ainsi en décrivant le processus de la naissance de nouveaux noms.

 Le héros qui restait passif et silencieux devient alors actif et prend la parole. Lors de la troisième journée de La Prisonnière, où Albertine appelle le héros « Marcel », celui-ci prend enfin la parole et dit « Tristan !» en mettant une partition de Wagner sur celle de Vinteuil et en jouant lui-même la sonate au piano. En prononçant le nom de « Tristan », Marcel donne une sorte d’authenticité artistique à l’œuvre de Vinteuil.

Cette nouvelle attitude contraste avec celle de Swann qui, tout en entrevoyant le vrai message de Vinteuil dans une situation identique lors de la soirée Saint-Euverte, n’arrive pas pourtant exprimer son émotion artistique : « Par là, la phrase de Vinteuil avait, comme tel thème de Tristan par exemple, qui nous représente aussi une certaine acquisition sentimentale, épousé notre condition mortelle, pris quelque chose d’humain qui était assez touchant » (I, 344). Mais, la phrase de Vinteuil lui reste toujours « inconnue » (I,219). Lorsque Swann écoute la petite phrase de Vinteuil lors de la soirée Verdurin, il ne peut pas, ici non plus, « nommer » les impressions que lui donne cette phrase : «  Et cette impression continuerait à envelopper de sa liquidité et de son « fondu » les motifs qui par instants en émergent, à peine discernables, pour plonger aussitôt et disparaître, connus seulement par le plaisir particulier qu’ils donnent, impossibles à décrire, à se rappeler, à nommer, ineffables [...] » (I, 206). A la différence de Marcel qui entend l’appel de la vocation et qui nomme « Tristan ! » [23], Swann ne joue pas de piano ni ne saisit la phrase, qui reste pour lui une passante inconnue « qu’il aime déjà et dont il ignore jusqu’au nom » (I ,219)

Par ailleurs, le charme de Venise se trouve d’abord contenu dans son nom. Mais l’image de la Venise idolâtrée s’efface à la fin du séjour et la ville perd son âme (IV,233). Mais juste avant cette constatation amère, en regardant Le Patriarche di Grado exorcisant un possédé de Carpaccio à l’Académie, Marcel prononce le nom du peintre : « Carpaccio que je viens de nommer était le peintre et qui était le peintre auquel, quand je ne travaillais pas à Saint-Marc, nous [la mère et Marcel] rendions le plus volontiers visite, faillit un jour ranimer mon amour pour Albertine » (IV,225). Marcel est d’abord frappé par le manteau porté par un compagnon de la Calza dans un tableau de Carpaccio et le nom et l’œuvre de Carpaccio ont ainsi pour rôle de ranimer l’image d’Albertine : « Sur le dos d’un des compagnons de la Calza, reconnaissable aux broderies d’or et de perles qui inscrivent sur leur manche ou leur collet l’emblème de la joyeuse confrérie à laquelle ils étaient affiliés, je venais de reconnaître le manteau qu’Albertine avait pour venir avec moi en voiture découverte à Versailles, (...) » (IV,226). Lors de cette dernière promenade en voiture avec le narrateur avant sa fuite et sa mort, Albertine manifeste son élégance vestimentaire en portant le manteau de Fortuny, qui lui a été donné par Marcel. Ainsi Marcel donne le nom de Carpaccio au manteau de Fortuny et y ajoute une nouvelle valeur artistique : il exalte ainsi la présence d’Albertine.    La leçon d’Elstir qui consiste à « nommer » est mise en œuvre ici aussi : « [...] c’est en leur (aux choses) ôtant leur nom, ou en leur donnant un autre qu’Elstir recréait » (II,191). Ce d’autant plus que c’est Elstir qui introduit le charme des robes de Fortuny dans la Recherche (II,253). Le manteau, les peignoirs et les robes que Marcel a offerts à Albertine sont ceux de Fortuny, et ils évoquent Venise et l’Orient (III,871), mais dans cette scène à Venise le manteau de Fortuny est valorisé par ailleurs par celui du personnage de Carpaccio[24]. Ici aussi nous pouvons participer à un processus de nominations multiples. On pourrait aussi remarquer qu’une sorte de réciprocité entre Albertine et Marcel se rétablit enfin, bien que cette scène soit de courte durée.

Emmanuel Levinas écrit :

 

 Marcel n’aime pas Albertine, si l’amour est une fusion avec autrui, extase d’un être devant les perfections de l’autre ou la paix de la possession. [...] Mais ce non-amour est précisément l’amour, la lutte avec l’invisible, ― la possession, cette absence d’Albertine ― , sa présence. Par-delà, le thème de la solitude chez Proust acquiert un sens nouveau. Son événement réside dans son retournement en communication. Son désespoir est une source intarissable d’espoirs [25].

 

   Françoise, cuisinière de la tante Léonie, se montre parfois cruelle, jalouse et ignorante. Mais il arrive qu’elle manifeste un autre aspect de son caractère et apparaisse créative en faisant son « bœuf mode », petit chef-d’œuvre culinaire appréciée par Norpois : elle est alors qualifiée de « Michel-Ange de notre cuisine » (I, 449-450). De même, lorsque se termine le déjeuner du dimanche à Combray à la préparation duquel elle a consacré tout son talent, on peut lire ce passage : « Quant tout cela fini, (...) une crème au chocolat, inspiration, attention personnelle de Françoise, nous était offerte, fugitive et légère comme une œuvre de circonstance où elle avait mis tout son talent. Celui qui eût refusé d’en goûter en disant : « J’ai fini, je n’ai plus faim », se serait immédiatement ravalé au rang de ces goujats qui, même dans le présent qu’un artiste leur fait d’une de ces œuvres, regardent au poids et à la matière alors que n’y valent que l’intention et la signature. Même en laisser une seule goutte dans le plat eût témoigné de la même impolitesse que se lever avant la fin du morceau au nez du compositeur » (I,70-71). L’œuvre de Françoise est comparée ici à la peinture et à la musique. D’autre part, son « génie linguistique à l’état vivant » (III,134) est un autre de ses dons : elle dit, selon le narrateur, « « faire réponse » comme  Mme de Sévigné » (II, 323) et emploie le verbe « plaindre » dans le même sens que La Bruyère (II, 326). A travers son parler, on peut ainsi avoir accès à plusieurs strates de la langue française.

A la fin du roman Marcel reconnaît le caractère proprement artistique de son talent culinaire et il déclare: « ne ferais-je pas mon livre de la façon que Françoise faisait ce bœuf mode ( ... ) » (IV, 612). Témoin de l’ardeur créatrice du narrateur dans Le temps retrouvé, Françoise en devine l’essentiel grâce à son intuition artistique et colle ses « paperoles » avec la même adresse que quand « elle mettait des pièces aux parties usées de ses robes » (IV, 611). Et c’est au moment où elle déploie ainsi pleinement, dans Le Temps retrouvé, une activité créative d’ordinaire cachée que Marcel lui donne enfin son patronyme, « Larivière » (IV, 424), bien qu’il s’agisse ici plutôt celui de ses cousins : « c’est avec un enfantin plaisir et une profonde émotion que, ne pouvant citer les noms de tant d’autres qui durent agir de même et par qui la France a survécu, je transcris ici leur nom véritable : ils s’appellent, d’un nom si français d’ailleurs, Larivière » (IV, 424). Sans qu’aucune logique ou nécessité romanesque ne puisse être décelée, une nouvelle nomination de Françoise a soudain lieu[26] ; c’est parce qu’elle se montre désormais créative qu’un autre nom lui est ainsi donné, comme si elle était investie d’une importante nouvelle fonction dans le roman. Ainsi Marcel donne-t-il de l’éclat et de la présence profonde aux personnages dont le rôle paraissait jusqu’alors secondaire.

Il en est de même pour Théodore, qui est un autre personnage de Combray. Bien que Théodore soit mauvais sujet, « Françoise sentait d’ailleurs si bien en lui un pays et un contemporain »(ibid.). Lorsque l’article qu’a écrit le jeune héros sur les clochers de Martinville paraît enfin dans Le Figaro, un lecteur nommé « Sautton » écrit à Marcel une lettre de félicitations avec une « écriture populaire, un langage charmant » (IV,170). Ce n’est qu’après coup que ce « Sauttton » est identifié avec Théodore. Dans ce cas aussi, c’est lorsque Théodore se métamorphose et apparaît comme quelqu’un capable d’écrire une lettre avec un langage charmant, qu’il reçoit le nouveau nom de « Sautton » dans Albertine disparue(IV,279). Cette métamorphose contraste nettement avec ce qui se passe avec M. de Guermantes qui, lui, critique l’article, y trouvant « de l’enflure, des métaphores comme dans la prose démodée de Chateaubriand» (IV,169).

Lors de la matinée chez la princesse de Guermantes du Temps retrouvé, Marcel découvre François le Champi dans la bibliothèque. La lecture du titre lui provoque la quatrième réminiscence et lui dévoile aussi « l’essentiel » de François le Champi : « le souvenir de ce qui m’avait semblé inexplicable dans le sujet de François le Champi tandis que maman me lisait le livre de George Sand était réveillé par ce titre » (IV,462). François le Champi, apparu d’abord sans nom comme le héros de la Recherche, suit lui aussi un itinéraire de formation et va finalement se marier : il reçoit ainsi plusieurs noms. Or, l’enfant sans nom de Combray que fait réapparaître ici le titre François le Champi lu par Marcel, fait, lui aussi, des apprentissages comparables et à la fin accède à la parole créatrice après avoir reçu lui aussi plusieurs noms. Marcel trouve ici, à la différence du héros enfant de Combray, la force de se rappeler le roman entier et comprend que la littérature ne coupe pas « toute communication de notre moi présent avec le passé, dont les choses gardaient l’essence, et l’avenir où elles nous incitent à la goûter de nouveau »(IV,464). L’acte de nommer « François le Champi » donne un nouvel éclairage à ce roman et permet à Marcel d’accéder à une appréhension de sa vacation, tandis qu’à Combray la mère ne le lisait que partiellement en sautant les passages qui concernaient l’amour et ce passage est surtout consacré à la description de la technique de lecture de la mère.

 Ce passage crucial du Temps retrouvé est donc déclenché par la lecture du titre François le Champi par Marcel lui-même. Et ce moment de la révélation fait partie de la série de nominations qui commencent dès le début du roman et qui se répètent tout au long de la Recherche.

 

Elstir, la grand-mère, Albertine, Françoise aident ainsi le héros à se frayer un chemin vers la réalisation de sa vocation. Leurs voix exhortent spirituellement celui qui les écoute pour l’amener à un monde jusqu’alors inconnu et cette exhortation est d’autant plus efficace qu’ils sont d’ordinaire peu loquaces.

Mais ces personnages ont par ailleurs comme point commun le fait de rester plus ou moins à l’extérieur des institutions sociales : il s’agit d’êtres qui n’appartiennent ni à une classe sociale ni à la hiérarchie mondaine. Leurs voix viennent en quelque sorte de l’extérieur et leur façon d’appeler les autres n’est pas conventionnelle. Lorsque Elstir a atteint sa maturité artistique et qu’il apprend au narrateur le prénom de Mlle Simonet, il ne fréquente plus le salon de Mme Verdurin, mais se trouve dans son atelier de Rivebelle situé de l’autre côté du Grand Hôtel de Balbec, importante station balnéaire. Les « splendeurs » (II,64) de Rivebelle ne plaisent pas à Mme Verdurin, qui restant dans le château des Cambremer loué pour la saison, déclare au héros dans son salon : « Je ne sais pas du tout ce qui peut vous attirer à Rivebelle, c’est infesté de moustiques » (III, 360).

   Albertine, « pauvre et orpheline » (II, 849), séduite par le grand air, est aussi quelqu’un qui vient de l’extérieur. Même lorsqu’elle partage l’existence du héros à Paris, l’image de sa première apparition devant la mer à Balbec continue à être attachée à Albertine. Sa chambre, apparemment espace clos et lieu de repli, peut s’ouvrir et rentrer en contact avec le monde extérieur(III,575-577, 914-915). Dans La Prisonnière, lors de l’« ouverture pour un jour de fête », la chambre devient en un lieu d’échange entre l’intérieur et l’extérieur. Déjà dans Du côté de chez Swann, la chambre offre à l’imagination « le spectacle total de l’été »(I,82). Issue de la nouvelle classe moyenne de la bourgeoisie qui commence à ébranler l’aristocratie, Albertine est du point de vue social aussi un des personnages qui perturbent les classes sociales. A propos d’Albertine, Jacques Dubois écrit : «Elle n’est pas tributaire davantage de l’hérédité aristocratique ou du besoin bourgeois de conquête et de pouvoir, ces deux références dont le héros est tout imbu quand il la rencontre. Le plan de la vie qu’on lui devine, Proust l’a voulu beaucoup plus fluctuant [27]».

La grand-mère maternelle, elle, joue surtout un rôle important lorsqu’elle reste à l’extérieur de Combray et de Balbec. Comme nous l’avons déjà constaté, c’est lorsqu’elle est dans le train qui va à Balbec, c’est-à-dire lorsqu’elle n’est ni à Combray ni à Balbec qu’elle donne, ne serait-ce qu’indirectement, à un peintre appelé Bische le nom « Elstir » et c’est toujours dans le train qu’Albertine s’intéresse vivement à la possibilité de renommer certains noms de lieu[28]. A la surprise générale, dans la salle à manger du Grand-Hôtel, elle ose enfreindre les règles tacites en ouvrant les fenêtres pour faire profiter à son petit-fils de l’air de la mer : « [...] tandis que nous [grand-mère et le héros] déjeunions et que, de la gourde de cuir d’un citron, nous répandions quelques gouttes d’or sur deux soles qui bientôt laissèrent dans nos assiettes le panache de leurs arêtes, frisé comme une plume et sonore comme une cithare ― il parut cruel à ma grand-mère de ne pas sentir le souffle vivifiant à cause du châssis transparent mais clos qui, comme une vitrine, nous séparait de la plage [...] » (II,34). S’opposant à tout ce qui est figé et conformiste, c’est dans un lieu ouvert à l’extérieur qu’elle fait acte de ses talents. Comme l’indique Jean-Pierre Richard, elle est intimement liée à l’« extériorité active, salubre, bénéfique[29] ». D’autre part, elle prépare le drame du coucher de Combray en allant deux fois à Jouy-le-Vicomte pour acheter François le Champi ; cette scène s’ouvre donc aussi sur l’extérieur et déborde le cadre plus ou moins fermé de Combray. D’ailleurs, la grand-mère n’est pas de Combray  où « les bourgeois d’alors se faisaient de la société une idée un peu hindoue et la considéraient comme composée de castes fermées [...] » (I,16) ; « elle [grand-mère] avait apporté dans la famille de mon père un esprit si différent que tout le monde la plaisantait et la tourmentait »(I,11).

   Comme d’autres personnages qui conduisent le héros vers la maturité spirituelle, Françoise est aussi quelqu’un de l’extérieur : étant donné qu’il semble y avoir en elle « un passé français très ancien, noble et mal compris »(I, 28), elle n’obéit pas facilement au code de Combray. Elle perturbe même les habitudes de Combray en allant le samedi plus tôt que d’habitude au marché de Roussainville[30]. Et en exil à Paris, dans l’appartement de l’hôtel de Guermantes de Paris, elle se sent toujours dépaysée. 

 

Il y a chez Flaubert des personnages évolutifs qui changent eux aussi de noms au fur et à mesure que le récit se déroule : dans Un cœur simple par exemple, c’est lorsque le neveu sans nom de Félicité commence à jouer un rôle actif dans l’intrigue, qu’il est enfin nommé « Victor » au troisième chapitre de cette nouvelle qui en comporte cinq. Raymonde Debray Genette constate à ce sujet :

 

 On diffère la nomination du neveu, simple présence, simple voix (il tutoie Paul) ; il n’est pas encore entré dans le coeur de Félicité ; une autre l’occupe, Virginie. La nomination du perroquet sera, de la même façon, différée. Quand Virginie partira en pension, Félicité s’ennuiera. « Pour « se dissiper », elle demanda la permission de recevoir son neveu Victor » (...). Il est cette fois nommé, il devient un sujet, le sujet du nouvel épisode[31] .

 

En ce qui concerne ce perroquet, on peut assister à la même stratégie : ce n’est qu’à partir du moment où cet oiseau attire l’attention de Félicité qu’il est enfin nommé « Loulou » et qu’il tient un rôle très important[32]. On peut relever chez Proust une amplification romanesque de la technique flaubertienne : chez Proust la série des nominations est plus fluctuante d’autrui et on peut y poursuivre aussi l’itinéraire de l’apprentissage et de la formation[33].

 

 […]

 

Cependant, il y en a des personnages qui ne participent pas à ce jeu des nominations qui se répercutent comme des échos tout au long de la Recherche. Par exemple, prisonnier de son idolâtrie esthétique et de son dilettantisme érudit, Swann ne prend pas à prendre part au scénario de la nomination. Son idolâtrie consiste à voir dans l’émotion esthétique non un enseignement, mais un plaisir sans signification. En effet, Swann, artiste manqué, continue d’appeler le compositeur de la petite phrase « Monsieur Vinteuil », refusant de voir en lui « Vinteuil », le compositeur de la sonate[34]. Pour lui, Vinteuil ne peut pas être « Monsieur Vinteuil » qui n’est qu’un pauvre professeur de piano de Combray (I,211). De même, lorsqu’il demande à la famille du héros des nouvelles de la fille de cuisine de Combray qui est enceinte, Swann doué d’un talent pour dépister les ressemblances, la nomme soudain « la Charité de Giotto » : « Comment va la Charité ? » (I,80). Mais, le sobriquet « la Charité » ne lui convient pas toujours, puisque cette fille de cuisine incarne plutôt l’obéissance servile sous l’autorité despotique de Françoise. Certes, l’ampleur du vêtement de la Charité de Giotto et la corbeille de fruits qu’elle porte à la main dans la fresque montrent une certaine ressemblance avec cette pauvre fille, mais la nomination de Swann, tirée sur son érudition esthétique, est, ce nous semble, trop recherchée, sinon abusive. Bien qu’il ressemble dans un sens au héros, Swann, un des célibataires de l’art (IV,470), continue à voir dans les œuvres d’art  des objets d’idolâtrie et est incapable d’approfondir les impressions qu’elles lui procurent. Il garde « un remords d’avoir borné sa vie aux relations mondaines, à la conversation » (I,219).

   Il en est de même pour Mme Verdurin qui refuse, à tout prix, de reconnaître les différentes métamorphoses du moi des personnages de La Recherche. Lorsqu’Odette se marie avec Swann, elle avoue son incapacité à l’appeler « Mme Swann » : « Oh ! mon Dieu, je n’arriverai jamais à dire Mme Swann » (I,591).   Dans Le Temps retrouvé, elle continue d’appeler obstinément Elstir « Monsieur Biche », ou « Monsieur Tiche » (IV,298) : pour elle, il doit rester un peintre fidèle de son salon, même s’il devient le grand peintre Elstir dont elle n’arrive toujours pas à réellement apprécier les œuvres. De peur de perdre l’emprise qu’elle a jusqu’à présent maintenue sur ce peintre, la patronne ne se résout jamais à changer sa façon de l’appeler et à utiliser « Elstir ».

Dans son salon, bien qu’elle encourage parfois des artistes, on voit : « siéger, comme une véritable fée, ignorée jusqu’à ce jour de l’aristocratie, Mme Verdurin » (III,140). Après la mort de son mari, cette riche bourgeoise se remarie rapidement et s’affiche dans le Gotha sous le nom de « Sidonie, duchesse de Duras, née des Baux »(IV,533). Veuve à nouveau, l’argent aidant, elle épouse en troisième noce le prince de Guermantes et, en effaçant sans peine ses anciens noms, finit par trôner comme une des reines du Paris en guerre au milieu du Faubourg Saint-Germain sous le nom de princesse de Guermantes (IV,384).

   Toujours dans la soirée chez la princesse de Guermantes, Bloch apparaît sous le nom de Jacques du Rozier, auteur dramatique à succès, adepte du « chic anglais », arriviste visant à être reçu dans les salons aristocratiques. Mais l’apparence est fragile. L’effacement complet de l’identité précédente est perçue par Proust comme une dégradation spirituelle et morale : Bloch se sert d’articles de Marcel pour les siens (IV, 611).

    Plus tôt, Le héros rencontre dans un bordel une prostituée juive qu’il nomme alors « Rachel quand du Seigneur », surnom tiré d’un passage de La Juive de F. Halévy. Devenue la célèbre actrice Rachel, elle initie à une culture supérieure Saint-Loup dont elle ouvre l’« esprit à l’invisible ». Albertine montre une certaine sympathie envers Rachel et reconnaît son rôle positif auprès de Saint-Loup. Sous son influence, Saint-Loup arrive à faire d’intéressantes remarques stratégiques et à tenir des propos sur la beauté des raids aériens nocturnes qu’il compare avec La Chevauchée des Walkyries de Wagner. Mais, Mme de Guermantes, sauf dans Le Temps retrouvé, réprouve sa liaison avec Saint-Loup. Faisant fi de la réputation qu’elle se fait et l’appelant simplement « juive » sans utiliser le nom Rachel, les Guermantes disent d’elle : « Cette gueuse le tuera, et en attendant elle le déshonore »(II,141) et la traitent aussi de « grue » (II,139).

  

Au début du roman, l’imagination emplit le nom des Guermantes de rêves et de légendes : le duc et la duchesse de Guermantes à Combray sont « toujours enveloppés du mystère des temps mérovingiens et baignant comme dans un coucher de soleil dans la lumière orangée qui émane de cette syllabes : « antes » »(I,169). D’après la légende, il y a, à l’origine de la famille Guermantes, une nymphe fécondée par un divin oiseau. Et le roman est sorti de quelques grands noms. Le nom prestigieux des Guermantes en est un bon exemple : « C’était, ce Guermantes, comme le cadre d’un roman » (II,314). 

   Mais, au fur et à mesure qu’on s’approche d’eux, la poésie des noms s’évanouit peu à peu de « ces petits ballons » (II,312), ou bien des « petits tubes dont on se sert pour peindre » (II,311). Bien que souvent comparée avec une « fée » (I,60,166,173), l’image de Mme de Guermantes « dépérit si nous nous rapprochons de la personne réelle à laquelle correspond son nom » et « si nous restons auprès d’elle, la fée meurt définitivement et avec elle le nom » (II, 311). La poésie des noms et le charme des accents du terroir ― « un vrai musée d’histoire de France par la conversation » (III, 545) ― ne peuvent pas résister à l’expérience réelle, qui sert à démystifier la mythologie des Guermantes. Le héros sait qu’elle se moque de l’église de Combray et qu’elle « détestait la peinture d’Elstir »(II, 790). Elle ne salue pas Mme Swann et ressent de l’antipathie pour Gilberte ; elle ne parle plus à l’imagination du héros (III, 138). Il se dit : « C’est cela, ce n’est que cela, Mme Guermantes ! » (I, 172). Bien qu’il pénètre dans l’hôtel des Guermantes, espérant trouver la femme de la lanterne magique dans ce salon aristocratique, il s’aperçoit à la fin que Geneviève de Brabant, ancêtre des Guermantes, ne s’y trouve plus et que le nom de Brabant n’existe plus non plus. Le duc de Guermantes confie : « si quelqu’un a été bête dans ce mariage, c’est Gilbert d’avoir justement épousé une si proche parente du roi des Belges, qui a usurpé le nom de Brabant qui est à nous » (II, 877).

 

[. . .]

 

Ce qui est contenu dans les grands noms se perd ainsi au fur et à mesure et n’occupe plus toujours le devant de la scène. Par exemple, le jeune héros croit d’abord trouver le parfum d’un bouquet de violettes chez la princesse de Parme, par la magie de son nom, mais il trouve finalement qu’elle manque de personnalité et qu’elle reçoit très mal la mère du héros (IV, 176-177). Le nom du prince von Faffenheim-Munsterburg-Weinigen, premier ministre allemand, garde au début l’image d’« une petite ville d’eaux allemande où tout enfant j’avais été avec ma grand-mère (...) et des vignobles (...) » (II, 553). Mais Marcel se rend compte finalement qu’il n’ est qu’ambitieux.

Combray, Balbec et Venise font partie de ces grands noms qui, tout en charmant au début le héros dans ses rêveries, le déçoivent dans la réalité : « la race de Combray [...]  semble presque éteinte »(II,105) ; le désir initial du jeune héros est de voir à Balbec une église baignée par les flots, mais avant de rencontrer Elstir, il devient incapable d’apprécier Balbec(II,19-22, III,493-497), « l’âme de Venise s’en était échappée » (IV, 233) .

La mise en cause des grands noms va cependant plus loin que la simple affirmation réaliste du primat du récit sur l’imagination.   L’éclipse de la poésie du nom des Guermantes alterne presque avec les apparitions prémonitoires d’Elstir et d’Albertine. Une sorte d’opposition et de renversement profond va se dérouler à propos des noms : contrairement à l’usage des prénoms, surnoms et diminutifs qui donnent souvent une occasion d’apprentissage au héros, les grands noms de l’aristocratie finissent par sonner creux.

Le patronyme du héros, lui, n’est pas dévoilé dans la Recherche. Proust esquive, ce nous semble, les occasions de lui  donner son patronyme. Lorsque le héros arrive à l’entrée de l’hôtel de Guermantes pour assister à la soirée, l’huissier lui demande son nom, mais celui-ci n’est volontairement pas transcrit : « L’huissier me demanda mon nom, je le lui dis aussi machinalement que le condamné à mort se laisse attacher au billot. Il leva aussitôt majestueusement la tête et, avant que j’eusse pu le prier de m’annoncer à mi-voix pour ménager mon amour-propre si je n’étais pas invité, et celui de la princesse de Guermantes si je l’étais, il hurla les syllabes inquiétantes avec une force capable d’ébranler la voûte de l’hôtel » (II, 38). Lors du deuxième séjour à Balbec, un jeune chasseur du Grand-Hôtel répète le nom de famille du héros, mais le patronyme n’est pas ici non plus révélé : « ( ... ) il ne me connaissait pas encore, mais ayant entendu ses camarades plus anciens faire suivre quand ils me parlaient le mot de monsieur de mon nom, il les imita dès la première fois avec l’air de satisfaction » (III, 170). Si le patronyme du héros est ainsi à chaque fois évité volontairement, c’est sans doute parce qu’il a pour rôle de définir et de fixer le héros du côté paternel et à le réduire à son être social et conventionnel. Chez Proust, l’œuvre est le produit du moi composite du personnage évolutif qui est différent du moi que modèlent et fixent les habitudes et les conventions sociales[35].

 

 Dépouillés d’une valeur immuable et d’une valeur psychologique déjà décidée[36], les personnages importants acquièrent successivement une identité évolutive et composite : « chacun de nous n’est pas un, mais contient de nombreuses personnes »(IV,100). Il n’y a ni génie inspiré d’avance par la nature ni transcendance abstraite dans le roman.

Le « Je » proustien ne reste pas isolé ; il subit une perception toujours fluctuante d’autrui ; il se meut en étroite relation avec les autres. « Notre personnalité est une création de la pensée des autres »(I, 19). Son art ne relève pas du solipsisme. On peut assister dans la Recherche au processus intersubjectif de la formation de l’identité. Les petites scènes de nomination servent en quelque sorte de tremplin pour l’initier à sa vocation. En s’élevant au-dessus de la conscience individuelle, celui qui  nomme commence à prendre un rôle créateur.

   Ces scènes de nomination se dispersent et se répartissent tout au long de la Recherche et, différentes selon les circonstances mais identiques sur le fond, elles ne renforcent pas tout de suite la causalité narrative. Mais, ce qui commence et est joué en sourdine de façon inaudible en toile de fond et dans l’arrière-scène se répète et s’enrichit de répercussions amplifiées[37]. Et ces enchaînements et ces échos qui commencent à voix basse s’amalgament au récit en soulignant les étapes de l’apprentissage[38]. Au lieu de se contenter des procédés déjà acquis, Proust cherche à en rendre la signifiance plus puissante et plus vive.

   Apparemment les conversations de la noblesse et de la grandes bourgeoisie tiennent le devant de la scène , mais elles risquent de devenir frivoles et superficielles. A une chute et à une perte des grands noms, à une usure du temps font pendant les redressements créatifs provoqués par des séries de petites nominations qui, en faisant appel à la compétence du lecteur, s’effectuent sous une forme dialogique et constructive. Soumis à l’ensemble du roman, ils concourent à la naissance du nouveau moi : le « moi œuvrant» [39] .

 

 

[1] Michihiko Suzuki, « Le « je » proustien », BSAMP, n°9, 1961. Roland Barthes, « Proust et les noms », To honor Roman Jakobson, essays on the occasion of his seventieth birthday, Mouton, La Haye, 1967. Gérard Genette, « L’Âge des noms », Mimologiques, Seuil, 1967. Jean Milly, « Sur quelques noms proustiens », Littérature, n°14, 1974. Claudine Quémar, « Rêverie(s) onomastique(s) proustiennes à la lumière des avant-textes », Littérarure, 28, 1977. Gérard Genette, Palimseste : la littérature au second degré, Seuil, 1982. Eugène Nicole, « Genèses onomastiques du texte proustien », Cahiers Marcel Proust, 12, 1984 et «La Recherche et les noms », Cahiers Marcel Proust, 14, 1987. Marie Miguet-Ollagnier, « Repentir et choix onomastique », Bulletin Marcel Proust, 39, 1989. Michael Finn, « Réflexions sur quelques noms proustiens », Bulletin Marcel Proust, 47, 1997. Bernard Côme, « Noms de marque : les Noms », Bulletin Marcel Proust, 50, 2000.

[2] Dans la lettre du juillet 1913 adressée à Louis de Robert, Proust lui écrit : « Aimeriez-vous comme titre : Jardins dans une tasse de thé, ou L’Age des noms pour le premier. Pour le deuxième : L’Age des mots. Pour le troisième : L’Age des choses. », Correspondance de Marcel Proust, XII( 1913), Plon, 1970-1993, p.232.

[3] Du côté de chez Swann, A la recherche du temps perdu, Vol. I, Paris, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade, 1989. Les références suivantes seront incorporées dans le texte.

[4]  Dans « Journées de lecture », Proust écrit : « les peintres nous enseignent à la façon des poètes », Contre Sainte-Beuve, précédé de Pastiches et Mélanges et suivi de Essais et Articles, Bibliothèque de La Pléiade, Gallimard, 1971, p.177.

 La technique d’Elstir de métaphore s’explique aussi par la métamorphose. Chez Proust, la métaphore, prise au sens large, consiste en double conception : donnée empirique de la réalité et produit de sa transformation par la force de l’esprit.

[5] Antoine Compagnon, « Brichot : étymologie et allégorie », Proust entre deux siècles, Seuil, 1989, p.239.

[6] « chacun de nous n’est pas un, mais contient de nombreuses personnes »(IV,110).

[7] Les noms de Jean Cocteau et de Marcel Proust sont cités parmi des modèles d’Octave dans « Dictionnaire des personnages de la Recherche », Marcel Proust I, Quid de Marcel Proust, 1987, Bouquin, p.192.

[8]  « [...] Dans La Prisonnière, ces mentions du prénom de l’auteur, loin d’être des vestiges d’un état antérieur du roman, sont des additions tardives. En témoigne une note, au folio 71 r° du Cahier 61 : « Albertine à moi : Mon chéri Marcel. » Cette note a été suivie des trois additions en question, dans les cahiers du manuscrit ; le Cahier VIII pour la première, au folio 39 r°, substitution supralinéaire : « Mais, comme en se réveillant elle m’avait dit : « Mon Marcel », « Mon chéri Marcel », il ne fallait pas que le visiteur fût quelque parente qui me rappellerait qu’en famille on m’appelait : « chéri », etc. » Les deux suivantes sont dans le Cahier IX, l’une sur un béquet collé au bas du folio 14 : « [Elle] entrouvrait les yeux, me disait d’un air étonné --- et en effet c’était déjà la nuit --- « Mais où tu vas comme cela Marcel ? », et la dernière, qui n’est pas différente du texte final, dans la marge du folio 34. Enfin, dans les dactylographies, une restriction a été apportée à chacune des deux premières mentions du prénom de ce narrateur, respectivement par une incidente --- « en donnant au narrateur le même prénom qu’à l’auteur de ce livre » --- et une parenthèse --- « et en me donnant mon prénom ». on voit bien que cette démarche, chez Proust, est tout le contraire d’une suppression de l’autobiographie, suppression d’ailleurs déjà accomplie, mais plutôt le désir de souligner à la fois la proximité et l’éloignement de l’auteur du roman par rapport à son narrateur », « Notes et variantes » de La Prisonnière, Bibliothèque de la Pléiade, III, p.1718. note1. Cf. III, p.583.

[9] Alain de Lattre écrit : « Chez Proust, l’éventualité d’un amour réciproque est à peu près inexistante ». Le personnage proustien, J. Corti, 1984, p.136. Dans la Recherche il y a en effet plus de scènes d’angoisse et de soupçon que de déclaration et de passion romantiques.

 

[10] Analogue à un instrument musical, la voix des jeunes filles de Balbec émet un « son unique » qui exprime son individualité(II,261-262).

[11] Dans « Journées de lecture », Proust compare des gens qui ne font pas de lecture avec un gentihomme qui ne se souvient plus de son nom : « (...) pareils à ce gentihomme qui, partageant depuis son enfance la vie des voleurs de grand chemin ne se souvenait plus de son nom pour avoir depuis trop longtemps cessé de le porter, ils finiraient par abolir en eux tout sentiment et tout souvenir de leur noblesse spirituelle, si une impulsion extérieure ne venait les réintroduire en quelque sorte de force dans la vie de l’esprit, où ils retrouvent subitement la puissance de penser par eux-mêmes et de créer ». Contre Sainte-Beuve, p.179.

[12] « De même ceux qui produisent des œuvres géniales ne sont pas ceux qui vivent dans le milieu le plus délicat [...] , mais ceux qui ont eu le pouvoir, cessant brusquement de vivre pour eux-mêmes, de rendre leur personnalité pareille à un miroir, de telle sorte que leur vie si médiocre d’ailleurs qu’elle pouvait être mondainement et même, dans un sens, intellectuellement parlant, s’y reflète, le génie consistant dans le pouvoir réfléchissant et non dans la qualité intrinsèque du spectacle reflété »(I,545)

[13] Jacques Dubois, Pour Albertine, Proust et le sens du social, Seuil, 1997, pp.170-171.

[14] Dans Le Temps retrouvé aussi, Albertine est dans un sens toujours décrite comme un personnage qui aide Marcel à trouver les signes du spirituel en amour et le conduit vers l’écriture : « on constate de la sorte que le personnage d’Albertine, absente du projet initial jusqu’en 1914, fait l’objet d’additions dans tous les cahiers du Temps retrouvé, où est justifié son rôle pour la création littéraire »(IV, p.1173, « notce » du Temps retrouvé, Bibliothèque de la Pléiade).

[15] Proust écrit dans Carnet de 1908, établi et présenté par Philip Kolb : « Maman me donne|la force de ne pas voir|que par elle », f°21v°, Gallimard, 1976, p.76. Nina Glaser écrit : « Dans la Recherche, l’amour filial rencontre son accomplissement suprême dans le don de la voix maternelle. Sa mère lisant haut François le champi est « une lectrice admirable », et Proust consacre une page exaltée à son interprétation de « ces phrases qui semblaient écrites pour sa voix(I,42) », « Proust du côté de chez Sand : « première nuit d’insomnie et de désespoir » », Europe, n°89, 1993,p.52.

[16] Contre Sainte-Beuve, Gallimard, 1971.

[17] Nina Glaser écrit : « En effet, on ne peut lire la scène de Combray en l’isolant du reste de la Recherche. Elle annonce tant d’autres scènes qui vont la répéter. Et surtout l’amour pour Albertine. Ainsi, bien plus tard, Marcel trouvera dans le souvenir de « la nuit fatale » de son enfance « comme une anticipation de longues souffrances(III,131) » à venir à propos d’Albertine qui aura fait renaître en lui « ce terrible besoin d’un être » « qu’ [il] avai[t] appris à connaître au sujet de [s]a mère » à Combray(III,130) ». Id.,ibid, p.55.

[18] « Dans le Cahier 53, elle(la mère) n’a plus que la fonction modeste de servir de compagnie à Albertine ; c’est cette dernière et Françoise qui se partagent les rôles maternels : apporter Le Figaro auveil, protéger le héros, en ce qui concerne Françoise ; et pour Albertine, accorder ou refuser le baiser du soir, citer Esther, et plus tard dans le « Manuscrit au net », prendre part à la conversation littéraire. ». Jean Milly, « Introduction », La Prisonnière, GF Flammarion, 1984, p.27.

[19] La réminiscence a chez Proust ceci de particulier d’être en rapport avec la créativité. Gilles Deleuze écrit que Proust a fondé « un nouveau lien de se souvenir et de créer », et qu’il « le[nouveau lien] fonde dans un processus de production comme œuvre d’art ». Proust et les signes, Presses universitaires de France, 1964, p.160-161.

[20] Raymonde Coudert écrit que l’importance capitale du rapport mère et grand-mère éclaire celui de la mère et du héros, le rapport-ci étant soit comme un appendice de la relation de celui-là, ou soit comme son avatarProust au féminin, Grasset, 1998, p.25.

[21] Jean Milly indique qu’il y a deux grandes catégories des phrases dans la Recherche : celles de type Vinteuil et celles de type Bergotte. La Phrase de Proust. Des phrases de Bergotte aux phrases de Vinteuil, Larousse, rééd. Slatkine Reprints, 1975.

[22] Non seulement qu’il apprend donc beaucoup de choses en regardant les œuvres d’Elstir, mais il devine aussi l’essentiel de la phrase de Bergotte : il « aurai[t] voulu posséder une opinion de lui, une métaphore de lui, sur toutes choses, surtout sur celles qu’[il] aurai[t] l’occasion de voir [lui]-même »(I,94).

 

[23]  Pourtant le héros n’arrivait pas souvent à nommer les autres si facilement ; par exemple, à la fin d’A l’ombre des jeunes filles en fleurs, le héros à cette époque ressent encore beaucoup de difficulté à nommer Albertine celle dont l’identité lui semble de plus en plus multiple : « ( ...) je devrais plus encore donner un nom différent à chacune de ces Albertine qui apparaissaient devant moi, jamais la même, comme --- appelées simplement par moi pour plus de commodité la mer --- ces mers qui se succédaient et devant lesquelles, autre nymphe, elle se détachait »( II, 299).

[24] Annick Bouillaguet, « Entre Proust et Carpaccio, l’intertextualité des livres d’art », Proust et ses peintres. Etudes réunies par Sophie Berto, Atlanta,GA :Rodopi, 2000, p.95-101.

[25] « Marcel Proust », Noms propres, Fata Morgana, 1976, p.155-156.

[26] « Dans le Cahier 53, elle (la mère) n’a plus que la fonction modeste de servir de compagnie à Albertine ; c’est cette dernière et Françoise qui se partagent les rôles maternels : apporter Le Figaro auveil, protéger le héros, en ce qui concerne Françoise ; et pour Albertine, accorder ou refuser le baiser du soir, citer Esther, et plus tard dans le « Manuscrit au net », prendre part à la conversation littéraire. ». Jean Milly, « Introduction », La Prisonnière, GF Flammarion, 1984, p.27. Les discussions et les argumentations avec « Maman » du Contre Sainte-Beuve perdent un peu de leur aspect dogmatiques et scolaire et remontent vers La Prisonnière.

[27] Op,cit., p.77.

[28] Marie Miguet-Ollagnier indique : « Le train est aussi pour Le narrateur le lieu d’une levée des tabous », Voir « Train », Dictionnaire Marcel Proust, Honoré Champion, 2004, p.1010-1013.

[29] Proust et le monde sensible, Seuil, 1974, p.46. Quant à la mère, elle montrait aussi des traits juifs prononcés dans les brouillons de Contre Sainte-Beuve rédigé vers la fin 1908. B.Brun, « Brouillons et brouillage : Proust et l’antisémitisme », Littérature, mai 1988, p.111.  

[30] Dans le Cahier 9, la servante apparaît comme une adepte de la « vieille loi juive ». Julia kristeva, Proust, Questions d’identité, Oxford : Legenda, 1998, p.18.

[31] « Les figures du récit dans « Un cœur simple » », Métamorphose du récit --- autour de Flaubert, Seuil, 1988, p.272. Mireille Naturel indique que Françoise et Théodore sont nés à partir des deux personnages d’Un cœur simple de Flaubert : Félicité et Théodore. Proust et Flaubert, un secret d’écriture, Rodopi, 1999.

[32] Dans Madame Bovary aussi, ce n’est qu’à la fin de la première partie qu’Emma se nomme « Madame Bovary ».

[33] Balzac, lui aussi, utilise des procédés de renomination qui consiste par exemple à donner plusieurs noms à Vautrin, ce qui lui permet d’échapper à la justice : Vautrin se nomme en réalité Jacques Collin, dit Trompe-la-mort, alias M. de Saint-Estève, William Barker, l’abbé Carlos Herrera... : être protéiforme qui se métamorphose au service du mal.

[34] Cf., Lettre adressée à Lucien Daudet, Correspondance générale de Marcel Proust, t.XII, 1913, Plon, p.259.

[35] « un livre est le produit d’un autre moi que celui que nous manifestons dans nos habitudes, dans la société, dans nos vices. Ce moi-là, si nous voulons essayer de le comprendre, c’est au fond de nous-même, en essayant de le recréer en nous, que nous pouvons y parvenir », « La méthode de Sainte-Beuve », Contre Sainte-Beuve, précédé de Pastiches et Mélanges et suivi de Essais et Articles, Gallimard, « Bibliothèque de La Pléiade », 1971, p.221-222..

[36] « Dans la lettre de peu après le 15 janvier 1920 adressée à Jean de Pierrefeu, Proust écrit : « Malgré tant d’éloges je ne trouve pas entièrement juste l’article de Jacques Rivière qui donne trop d’impression que ma psychologie (puisque psychologie il y a, ce n’était pas mon but, mais la vie) a quelque chose d’immobile (...). Mais je ne vois pas dans ses pages magnifiques, le mouvement de vie qui fait qu’on ne connaît dans mes livres les personnages que comme on le fait dans la vie, c’est-à-dire qu’on se trompe d’abord sur eux, mouvement au cours duquel une autre révolution s’accomplit, celle du personnage autour de lui-même.» Correspondance de Marcel Proust, éditée par Philipe Kolb, t.XIX, Plon, p.77-78.

[37] « Seule l’impression, si chétive qu’en semble la matière, si insaisissable la trace, est un critérium de vérité, et à cause de cela mérite seule d’être appréhendée par l’espoir, car elle est seule capable, s’il sait en dégager cette vérité, de l’amener à une plus grande perfection et de lui donner une pure joie »(IV,458-459).

[38] « Même ceux qui furent favorables à ma perception des vérités que je voulais ensuite graver dans le temple, me félicitèrent de les avoir découvertes au « microscope », quand je m’étais au contraire servi d’un télescope pour apercevoir des choses, très petites en effet, mais parce qu’elles étaient situées à une grande distance, et qui étaient chacune un monde. Là où je cherchais les grandes lois, on m’appelait fouilleur de détails » (IV,618).

[39] « Moréas », Contre Sainte-Beuve, , p.311.

 Proust et Reynaldo Hahn s’éprennent durant 1894-1895 d’un amour passionné, mais leur relation se change en profonde amitié respectueuse jusuq’à la mort de Proust de 1922. Celui l’appelle avec environ 90 noms différents dont « mon enfant », « mon maître », « Bruncht », « Bunibuls » ... dans les environ 600 lettres adressées à R.Hahn contenues dans La correspondance de Marcel Proust, texte établi, présenté et annoté par Philip Kolb, Plon, 1970-1993. Voir « Hahn (Reynaldo) », Kazuyoshi Yoshikawa et alii, Index général de la Correspondance de Marcel Proust, Presses de l’Université de Kyoto, 1998, p.155-158.

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