新しい母恋い (1/2)  谷崎潤一郎 ー 音曲の活用

 谷崎潤一郎の作品群ではしばしば母恋いのテーマが展開される。これは評論家江藤淳も指摘することである ― 「(谷崎潤一郎)氏の心の底には、幼いうちに母を喪ったと感じさせる深い傷跡が刻印されていたはずである。そうでなければ「母を恋い慕う子」というライト・モチーフが、谷崎氏のほとんどすべての作品に一貫するはずがない」(「谷崎潤一郎」「江藤淳著作集 続2」所収)。江藤淳自身、4歳の時に実母廣子を失い、晩年に美しい「幼年時代」を著した母恋いの人であり、晩年に長い谷崎論執筆を準備していただけに、この指摘は鋭い。
 抱擁してくれるはずの母親は外出を好み、その不在は常態化し、乳母とふたりで寝る谷崎は悲しみを抱え込んだ。いつしか、母の不在は自分の過ちによって引き起こされるのだと思い込む。悲しみは精神的外傷(トラウマ)となり、刷り込まれた傷を谷崎はマゾヒステックに受け入れ、その傷はさまざまな形で表現されることになる。実際、谷崎の母は育児を乳母に任せて外出することを好み、彼は「乳母日傘」で母 ― 神経質でもあった母 ― の帰宅を長く待ちわびる幼年期を送った。
 谷崎は関東大震災後、江戸情緒が消えた日本橋を嫌い上方に移住するが、主にその後期の作品において作風は変化し深まる。関西移住後、マゾヒスティックなものへの惑溺から脱し、谷崎は狭いその密室を少しずつ押し広げ始める。その傾向は前期においても、例えば小説「母を恋ふる記」(大8)からその一端ならうかがうことができる ― そこでは母を亡くした「私」の見た夢の話が語られるが、彼は食事の支度するひとりの老婆に出会い、老婆に「お母さん」と少年の「私」は呼びかける。しかし、老婆に<お前は私の息子ではない>と言われて、追い払われてしまう。しかし、道を行くうちに、海の絶景からかつて東京日本橋で乳母に抱かれて聞いたことのある三味線の音が聞こえてくる。三味線を弾くその若く美しい女に近づき、姉を持つことに憧れる少年は、「姉さん」と呼びかける。すると、若い女は自分は実は少年の母だと明かす ― 「母は喜びに顫える声でかう云った。そうして私をしつかり抱きしめたまゝ立ちすくんだ」。子供を抱きしめる母には妖艶な若い美女が重なっていて、この場面からでも母を性愛の対象としても描く谷崎らしさがうかがえる。ようやく回帰した母の背後には生なましいまでの若い美貌の妖婦、その前ではマゾヒステックにひざまずくしかない妖婦が潜んでいる。ここからは不在の母の帰宅を待ちわび、不在を喪失としか思わざるをsなkった谷崎、しかし不在の母を思慕し続けた谷崎自身の姿が彷彿としてくる。
 しかし、この母子再会の場面で注目したい点は、妖婦と化す母が新内流しの三味線を弾き続けていることだ。7、8歳頃まで羽振りが良く、潤一郎も「乳母日傘で」暮らした谷崎の家は、実際日本橋の真ん中にあり、その界隈を練り歩く新内流しの二丁の三味線はしばしば家とその周囲に響いた。母子再会の場面で母が弾き続ける三味線は、妖婦ともなる異性の母だけではなく、母を取り巻く当時の賑やか日本橋界隈も同時に少年に思い出させている。零落する以前の家と震災で瓦解する以前の日本橋という活気に満ちた街を想起させている。新内流し(音源参照)の三味線は、母とふたりきりで閉じこもる密室だけでなく、周囲の家郷とも言える生活の場も喚起している。なお、二人1組の新内流しは、客の請われると、街角で艶っぽい話も語った。

模写 鏑木清方 新内流し(部分)



新内流し


1900年頃の日本橋界隈


新内節の代表作「蘭蝶」(お宮口説)(部分)


「蘭蝶」お宮口説 歌詞

 谷崎の代表作のひとつ「春琴抄」(昭8)においても、やはり矯激になる師匠の春琴が弾く三味線は、弟子の佐助のマゾヒスティックな忍従に追い込むだけでない。家の周囲でも交わされる芸事習得の活動をも呼び醒ます ― 大阪道修町の傾き始めた薬種商の娘の琴は、美貌だけでなく三味線と琴の才能にも恵まれていたが、その腕前が世に知られると春琴と改名する。しかし、九歳の時に失明。春琴に献身的に仕え、自らも三味線を自習しはじめ、手ほどきを乞う丁稚の佐助にたいして春琴はその驕慢さと嗜虐性でもって激しい体罰を加える。撥で殴りつけ、「阿呆、何で覚られへんねん」とののしる。見かねた春琴の両親は佐助を丁稚の任から解き、春琴の三味線の相弟子と見なすことにする。両親はふたりに結婚も勧めるが、春琴はこれを拒絶する。一緒に暮らし始めた佐助によく似た赤子を産むものの、春琴はその子を里子に出してしまう。春琴に執着し、容れられなかった弟子の雑穀屋の利太郎にも激しい稽古をつけ、このため春琴は利太郎にひどく恨まれることになり、顔に熱湯を浴びせかけられ大火傷を負う。春琴の美しかった顔を永遠に脳裏にとどめようと、佐助は自らの手で両目を針で突き、盲目となる。盲人となった佐助はとぎすまされてゆく音感や三味線をつま弾く時の触感を介して、春琴の音楽がさらに深まってゆくのを感じ取る。ふたりは三味線の音を通して互いを高め合うようになる。春琴は佐助に琴台という号を与え、門弟の稽古をすべて引き継がせる。春琴は作曲の才も発揮するようになる。春琴が作曲した名曲を佐助 ― いや、春琴によって号を与えられ師匠にも任じられた琴台 ― は夜中でも三味線を爪弾き、その音に導かれて春琴をさらに深く愛する。
 佐助はひたすらマゾ的な姿勢で春琴にただ奉じ続けるのではない。春琴もサディステックな態度で佐助にあたり続けるのではない。彼女は反面、佐助の三味線の上達を導き、琴台という新たな師匠としての号を与え、佐助を師匠として世間にも認めさせる。ふたりは三味線を通して相手を、そして弟子たちを教導する役割もになうようになる。激昂して室内で衝動的に行われるサド・マゾの行為だけでなく、芸事の教授や習得のやり取りによって活性化される春琴の家郷の生活ぶりも描かれている。伝承が弟子たちの手によって受けつがれる長い時間も土地という空間も広がる。
 「春琴抄」にしろ随筆「陰翳礼讃」(昭8)にしろ、充実した創作期の作品を読むと、関東大震災後(大13)による関東圏崩壊を避けて関西に移り住んだ谷崎は、まだ生活において親しまれていた音曲などに親しむだけでなく、それを自らの作品に取り入れ、重要な役割をになわせるようになった。芸術としてただ鑑賞されて終わるのではない。芸事という、他者とのやり取りで成り立つ動的な面が加えられた作品は、サド・マゾという性の一時の密室内の秘事に限定された狭いものではなくなり、身近な活動でありながらも家郷という広く深い土地を獲得することになった。
 谷崎にとって大阪の女の声は、「浄瑠璃乃至地唄の三味線のようで(・・・)其の声の裏に必ず潤いがあり、つやがあり、あたたか味がある。(・・・)東京の女は女の感じがしないのである」(随筆「私の見た大阪及び大阪人」昭32)。三味線は、琴や鼓といった楽器とともに作中に取り入れられ、主に伴奏楽器として使われ、その楽音は登場人物たちの反応を触発し呼び醒まさますようになった。
 谷崎というと、変態とも言われ、とりわけそのマゾヒスムが着目されることが多いが、性に関する描写は実は詳しいものではない。独自のその<母恋い>は、意外なほど広い射程に達する。
 三味線や、琴や、人形浄瑠璃(「蓼食う虫」(昭3)や、初音の鼓(「吉野葛」)の音に誘い出されて、佐助などの人物たちもその楽の音に応えて関心を広げはじめる。三味線や琴や鼓の音を耳にする佐助たちは、それをただ受動的に受け止めるだけでは満足していない。彼らもそれに触発される形で新たな積極性が自らのうちにきざすのを感じたはずだ。谷崎も幼年期に刷り込まれたトラウマをただ繰り返しなぞるだけではなくなる。
 代表作の長編小説「細雪」(昭16−23)でも、四女妙子は大阪船場の旧家薪岡家の子女にしては型破りの人物で、赤痢にかかるだけでなく、あちこちで恋愛遍歴を重ね死産も体験するし、スキャンダルも引き起こす。しかし、船場の郷土芸術である山村流の地唄舞いを ― 一度は姉の幸子が口ずさむ口三味線に合わせて ― 何度か踊るうちに、その舞いに強く惹かれるようになる。その時、土地の流行り歌である地唄も思い出した妙子にも幸子にも、「二十年前の船場の家の記憶が鮮やかに甦って来、なつかしい父母の面影が彷彿として来るのであった」(「細雪 上巻」)。妙子は舞いを個人の趣味の域にとどめるのではなく、「名取の免状を貰って」、船場という家郷を盛り立てその文化を継承するために役立てようと決意し、「最も純粋な昔の型を伝えるする山村流の稽古場」に通うようになる。三味線や地唄や舞いが、妙子に眠っていた意外なまでの一面を覚醒させ、社会性とも言える自覚をうながす。相変わらず失敗を犯すが、三味線に導かれるようにして妙子は新たな活動範囲を発見することになる。脇役と思われてきた妙子は人形作りにも才能を発揮するし、洋装を学びにフランス行きを計画するような新しいタイプの女性に変容しようとする。変容する、と言えば、小説巻頭では妙子は「こいさん」と呼ばれたのだから、一度すでに変容しているとも言える。一方、三女雪子の場合、縁談話はようやくまとまるものの、長編小説巻末の下痢騒動の場面からでもうかがえるように、美貌に恵まれ病気知らずでもあった雪子は巻末において健康を害す。婚約相手は、フランスとアメリカに留学しているが相変わらずブラブラしていて定職は決まらず、嫁ぎ先の元貴族御牧家の家運も ― 四姉妹の実家薪岡家も同様に ― 戦後に傾き始めることが暗示される。無口だが病知らずで、見合いを繰り返すがそれなりに安定し、主役とも思われてきた三女雪子と、不安定だった脇役妙子という明暗は、最後になって逆転し、妙子のほうが前景化し照明を浴び、反対に雪子が舞台の奥へ引き込もうとしている。こうした大きな巻末での反転は、姉が口ずさむ口三味線の声(音)にうながされて妙子が踊った舞い ― 郷土芸術山村流の舞い ― によって引き起こされたとも言えるのである。


地唄「雪」(部分)


地唄「雪」歌詞

 意外な結末かもしれないし、実際この結末に驚く読者は多い。しかし、長編小説ではこのような展開は起きるのであり、この巻末は「失われた時を求めて」のそれを思い起こさせる。マルセル・プルーストの長編小説巻末においても、王家とも姻戚関係にある押しも押されぬゲルマント公爵家は急速に傾き、公爵は名誉職も失うし、パリの貴族の街フォーブール=サンジェルマンから立ち退かざるをえなくなり、マチネ(午後の集い)では人前で老残ぶりもさらす有様となる。主人公が若い時に憧れ、美貌と機知を誇っていた公爵夫人も秘めてきた冷酷さを最後にあらわにし始める。公爵の弟シャルリュス男爵も才能に恵まれていたにもかかかわらず、それを発揮することなく、血まみれになってマゾヒススムの快楽を追い求める。しかし、それとは反対に、田舎町コンブレ出の作家志望の主人公は長く意思薄弱だった末にようやく創作のヴィヴジョンを、母親たちからの度重なる呼びかけに応える形で獲得し、創作に取りかかることを決意する。ゲルマント公爵家のサロンはすでにその栄光をかげらせるが、その隣りの図書室とも称される小さな控室において主人公は語り手マルセルとして創作を決意する・・・。巻末における残酷でもある光と影の反転。長編小説の場合、細部のエピソードだけではなく、巻頭から巻末に至るまでの大きな展開を俯瞰するもうひとつの大きな目も必要になるはずだ。
 日本橋界隈や上方に根づく音曲によって活性化される家郷 を谷崎は作品に取り入れた。三味線の音には母の声だけでなく、生活の現場で交わされる人の声も混じっていた。音曲を芸術作品と見なし、そこに自己同一するかのような審美的な鑑賞の姿勢はここには見られない。三味線を芸術作品として、それを偶像崇拝視するような受動的な受容も書かれていない。
 後期の傑作に登場する主要人物たちは、音曲などによって交わされるやり取りに深く耳を傾け、そこから密室内だけには限定されないものが幅広く響くことを感じたはずだ。その時空間の広がりに参加するように誘われた。谷崎もその音に深く耳を傾けることによって、母の喪失が起因となったトラウマへの固着から少しずつ離れることができた。
 日本文学では、「源氏物語」以降、母恋いのテーマはさまざまな作家を表現へ誘ってきた。「潤一郎源氏物語」(昭14−26)の訳者でもある谷崎は、その主題を知悉していたはずだ。しかし、谷崎は母恋いの原型を知りつつも、そこに独自に音曲やそれにまつわる活動を盛り込んだ。従来の舞台を広げ、人物たちも幅広く活動させた。そうすることでこの古くからのテーマに現代的な新しい装いを加えた。かつて描かれなかったような<母恋い>が多彩に繰り広げられることになったのだ。

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クリスマス(2/2)  ザルツブルグ

 ザルツブルグ在住の友人に招かれて、クリスマスを一緒に過ごしたことがあった。パリから夜行列車に乗って約8時間だったか。パリに比べてアルプスの北に位置するオーストリアだから、金髪で長身の人が多いはずと思って駅に降り立ったが、意外にも北に来たという感じがしない。イタリア人のような南ヨーロッパの人を思わせる体型の人が多い。長くザルツブルグに住む友人に聞くと、中世の頃ローマ帝国が南からアルプス越えをして侵入してきてザルツブルグに長く居座ったからだ、ローマの遺跡もいくつかあると言う。人口は15万人で、こじんまりとしている。夏にはフェスティバルに参加する音楽巡礼者も多いはずだ。店の看板の中には昔のものに手を加えたものが使われているものもある。
 ザルツブルグのクリスマス・イヴは、街全体が祝祭的な雰囲気を楽しもうとしているようで、素晴らしかった。夕食後、友人たちと連れ立って街を歩く。まず大きな教会の扉を開けてみる。とたんに、中から声量豊かな大合唱が溢れる。教会の厚い石の壁でもって閉じ込められていたものが、一気にはじける。バッハのクリスマス・オラトリオだ。教会内で反響していたいくつかの声部がどっと外に広がる。
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 オラトリオは二時間半は続く長大なものなので、途中で街に出て、また街を歩くことにする。あちこち家の窓辺に赤いローソンが立てられ、火が灯されている。部屋によっては内部がすっかり見える。家は個人のプライバシーを守る所ではなくなり、今夜はとても開放的だ。
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広場には有名なクリスマス・マーケットが設けられていて、賑わっている。何も買わないでひやかすだけだが、それだけでも楽しい。どうやら、今歩いているのは、ザルツブルグの市民たちだけに知られている恒例の<クリスマス・ロード>らしい。市民たちは毎年そのコースに繰り出すらしい。墓地にも入る。自由に中に入るコースが整備されている。雪で覆われた墓石に赤いローソクが、二本ずつだったか、立てられている。闇の中で雪の白とローソクの炎の赤が鮮やかなコントラストを描き出している。墓地まで祝祭に参加させようとする市民の心配りが、暖かい気持ちにさせてくれる。生者たちも、生者に呼び出される死者たちも、ともにイヴを祝おうとしているようだ。
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 街の人たちと一緒になって<クリスマス・ロード>をぶらついているうちに、ふたつ目の大きな教会の前に着く。大きな扉を開ける。先ほどの教会で演奏されていたバッハのオラトリオの声部が、同じように響き渡り、どっと溢れる。何本かのトランペットのひときわ高く鋭い音も、ティンパニーの音も、石の壁を突き破るように外に響き出る。声量にまたしても、圧倒される。
   
 そのクリスマスから二年経った頃だったか、留学生活を終え、私は東京に戻った。いくつかの大学で不安定な非常勤講師の生活を始めた。そのうちのある冬の夜、思い立って、バッハのクリスマス・オラトリオのCDを、歌詞カードや楽曲解説がケースに付けられているのを確かめたうえで買った。なにしろ、私にとっては思い切った、大きな買い物なのだ。アパートの狭い一室でCDをラジカセに入れ、最初から聞いてみる。第1部第1曲を合唱隊が高らかに歌い始める。私はCDに付けられていた歌詞カードで歌の日本語訳を追った ― 歓呼の声を放て、歓び踊れ・・・。

Instagramでバッハのクリスマスオラトリオの冒頭(一部)が流れます。

 すると、ラジカセに応えるようにして、ザルツブルグで聞いたオラトリオの豊かな声量が甦ってきて、東京の安アパートの一室に溢れた。東京の小さなラジカセで聞くオラトリオと、ザルツブルグのふたつの教会で耳にしたオラトリオが響き合うように重なった。
 このクリスマス・オラトリオは、1734年のイヴにバッハ自身の指揮で初演されている。バッハもライプティヒのふたつの大きな教会を往復しながらオラトリオを指揮した。バッハはひとつ目の教会でイヴの早朝に指揮を始め、午後にふたつ目の教会に合唱隊とともに移動して、第一部後半を指揮している。バッハはその後もライプツィヒのふたつの教会を合唱隊と一緒に行き来しつつ指揮し続ける。全6部の指揮を終えたのは翌一月六日だった。初演が行われたドイツのライプツィヒも、シューマンメンデルスゾーンが名曲を作曲したヨーロッパ有数の音楽の街で、この点でもザルツブルグと重なり合う。
 ライプツィヒザルツブルグというふたつの音楽の街にあるそれぞれふたつの教会で、イヴにオラトリオが演奏されたことになる。ふたつの演奏が、二百四十年くらいの時間差を乗り越えて、またドイツとオーストリアのあいだの国境もまたいで、互いに類似する場面において行われていたことになる。私はそのことに、CDに付けられていた「楽曲解説」を読んで、はじめて気づいた。
 聞いたこともないオラトリオの初演の音が耳の奥で鳴り始めた。ザルツブルグで聞いたオラトリオの音が、私の想像上での初演再生に音をつけてくれる。CDで聞くオラトリオが、ザルツでイヴに実際に聞いたオラトリオを呼び戻し、さらには沈黙していた初演まで呼び出そうとする。沈黙する初演の演奏に息が吹き込まれ、歌が広がろうとする。
 ザルツとライプティヒの音は混ざり、賑やかな曲となり、東京のアパートの一室にまで届く。場所と時間を変え、オラトリオは変奏され、東京にまで帰ってこようとする。ザルツブルグでの響きはバッハの初演に祝祭性を与える。声部にさらに声部が加わり、響きはさらに広がろうとする。私がCDを再生したことが引き金となり、初演時の音響までが立ち広がろうとする。

 オラトリオは教会のあいだを巡回しながら歌う聖歌隊のものではなくなり始めている。記憶が薄れて不鮮明になりかけているからか、オラトリオは、ふたつの教会のものでも聖歌隊のものでもなくなり始めている。
 歌声はふたつの教会からはみ出し始め、まるで音漏れするようになって外の街に広がり出ようとしている。今や、街や市民たちが歌い始めている。街そのものまでが歌を歌う。そういえば、クリスマス・オラトリオはもともとは世俗音楽として作曲されたのだ。街中で演奏され、合唱されてもおかしくないはずだ。教会にしたところで、本来そこは周囲の世俗的な街と隔絶された狭く閉ざされた場ではないはずだ。語源からして、教会は「呼び出された者たちの集い」のことであり、その集会は街中のあちこちにおいても行われたのだ。
 歌声は広がり始め、新たに他の歌を呼び醒ます。ザルツブルグでの演奏は、街の境界さえも乗り越えて広がり始める。街からさらに外へとはみ出ようとする。歌声は場所や時間という制約を越え、他の街にまで呼びかけている。
 国境を越え時間を越えて増幅されるオラトリオは、CDを再生している私の小さなラジカセにも歌いかけてくる。遠くから呼びかけてくる合唱に共鳴しようと、私の小さなラジカセも懸命に音量を上げている。私のラジカセは、彼方から響いてくるいくつもの歌声に応えて、小さいながらも全身で歌を歌い返そうとしている。アパートの狭い一室のラジカセは、繰り返し大波になって押し寄せてくるオラトリオのいくつもの歌声に、必死になって自分の歌でもって歌い返している。
私はただラジカセの再生ボタンを押しただけだった。しかし、CD音源は、ザルツの祝祭の歌を呼び醒ますだけでは満足しなかった。呼び醒まされた歌声は、初演の歌にだけでなく、反転して、今度は私のラジカセにも呼びかけてくる。他のまだ眠っている歌声まで呼び醒まそうとして、いつのまにか積極的な立場に立っている。東京の小さなラジカセに、もっと歌えと迫ってくる。
 CDから流れる歌を聞くうちに、私も思わず小声でもって口ずさみ始める ― 🎵 歓呼の声を放て、歓び踊れ・・・。

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クリスマス(1/2)  パリ

 パリに留学していた時、クリスマス・イヴにシャルトル大聖堂に向かった。真っ暗な麦畑を友人の車で一時間走った。やがて遠くに何か黒々としたものが屹立するように見えてきた。実のところ、大聖堂で行われていたはずの深夜ミサは、まったく記憶から消えてしまっている。でも、ステンド・グラスを見上げた時におぼえた不思議な感覚は今でも鮮明に甦ってくる。
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 大聖堂は日常生活とは異なる聖なる異界なのだから、中に入れば私のような無信仰の者でも霊の高みの一端に触れることができるかもしれない、それに今夜はクリスマス・イヴなのだ、などと勝手に期待をふくらましていた。
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 しかし、感じたのは、薔薇窓(写真参照)と称される大きな円形のステンド・グラスが深夜にもかかわらず、はるか上部で青く光り輝いていることだった。見上げるほどの高さから、巨大なステンド・グラスは多彩な彩りを含みながら、シャルトル・ブルーと言われる青い光を大聖堂内部に降り注いでいた。形の中でもっとも完璧なのは円形だとされているが、青い円が宙に浮いていた。大きな森の木漏れ日のようだ。シャルトル大聖堂以前のロマネスク建築様式の聖堂は石を積み上げて作られていて、暗くずんぐりとしていたのに・・・、それに、先ほど走ってきた周囲の麦畑はあんなにも濃い闇に包まれていたのに、堂内の薔薇窓は明るい・・・。
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 後から知ることになったのだが ― シャルトル大聖堂のようなゴシック建築では長い石柱が何本も立てられ、重い石の天井を支える上げることができるようになり、それ以前のロマネスク建築様式の厚く窓のない壁は取り払われることになった。樹木の幹を思わせる石柱を立てることで、大きな高窓を作ることが可能になり、そこにステンド・グラスがはめ込まれた。こうして、たとえ微光であっても外部の光が採光され、薔薇窓を通して大聖堂内部に光が注がれるようになった。
 これは一種の先祖返りだ。ローマ帝国が侵入するまでは、フランス人の祖先ガリア人はうっそうとした森の中で暮らしていた。当時の樹木に囲まれた生活の記憶が、その後に広まったキリスト教の中心である大聖堂内にも立ち返ってきたのだ。作家シャトーブリアンも、フランス人の祖先であるガリア人は背の高いナラの森の中で生活し、そこで彼らの神々を崇めたが、12、3世紀に建立された大聖堂内にもそうした生活の記憶は表現されていると書いている(「キリスト教精髄」1802年)。確かに、シャルトル大聖堂には高い樹木を思わせる石柱が立ち並び、花や葉や家畜などだけでなく農耕の年中行事等までが聖人たちの彫像に寄り添うように彫られている。壮麗で霊的でもある大聖堂にも、周囲の世俗的生活の要素が取り入れられている。聖堂内に長くいると、次第に身近な生活感覚が見て取れるようになった。

 そういえば、フランスではクリスマス・イヴに暖炉に普段では使われないような太い薪をくべる慣わしがある。森で暮らした以前のガリア人の生活の一断片が、<イヴにくべる太い薪>となって現在でも今なお思い出されていることになる。

ビュッシュ・ド・ノエル  bûche de Noël
 クリスマスには、フランスでは ― 最近では日本でも ― ビュッシュ・ド・ノエル bûche de Noël「クリマスの薪」というケーキが売り出される(写真参照)。この「クリスマスの薪」もかつてのガリア時代の生活から派生したものということができるはずだ。(なお、日本ではこの「薪」の発音表記が、「ブッシュ」になっている。しかし、このカタカナ表記では「薪」ではなく、「口」boucheになってしまう。できれば「ビュッシュ」と改めたい。老婆心ながら、ひとこと。 ところで、イギリスではクリスマスプディングが作られるが、レシピを読むとなんと牛脂を入れるし、家庭によっては生姜まで加える!)
 シャルトル大聖堂では三方向に大きな薔薇窓が開けられ、こうして採光に工夫が施され、集光が追求されたが、この光へのあくなき執着はフランス人が以前森に住んでいたということだけでは説明がつかないだろう。当時のフランス人はまた聖書においては光が神だとされていることを知ったはずだ。光を神と思い、その来訪を希求したのだ。

 はじめに神は天と地を創造された。地には形はなく、虚しく、闇と神の霊が水面を覆っていた。神は、「光あれ」と言われた。すると、光が現れた。神はその光を見て、「よし」と言われた(「創世記」、「新約聖書」所収)。

 今では人口の約10%しか信者としての務めを行なっていないが(ピエール・ノラ「カテドラル」「記憶の場」所収)、フランスは「バチカンの長女」と呼ばれ、カトリック信者が多いことで知られている。このため、クリスマスに関連する言い伝えや慣わしが多く、クリスマスは教会内だけではなく、家庭や街でも広く祝われるものとなっている。
 例えば、イヴにはブーダン・ブラン(写真参照)という白いソーセージを食べる家庭が多い。普段食べるブーダンノワールに比べ、ブーダン・ブランのほうはトリッフや香料でもって風味が加えられている。

ブーダン・ブラン  Boudin blanc

 また、日本ではイヴに枕元に靴下をぶら下げれば、翌朝そこにプレゼントが入っていると言われるが、フランスでは靴下は枕元ではなく、暖炉の脇にぶら下げるものとされている(写真参照)。次のような言い伝えがあるからだ ― 貧しい家の前を通りかかったサンタクロースはその家の煙突口から金貨を投げ込んだ。すると、その金貨はその煙突につながる暖炉に掛けてあった靴下に入った、と語り継がれているからだ。
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暖炉に飾る靴下 Chaussettes et porte-chaussettes de Noël

 よじ登るサンタ・クロース(動画参照)は最近の新商品だ。20年くらい前からは家の外壁にぶら下げる大きなビニール製サンタ人形が売り出された。クリスマスが近づくと、パリの街でもあちこちの外壁にこの大きなサンタ人形がぶら下がる。


窓をよじ登るサンタ père noël grimper dans la fenêtre

 生活や町のさまざまな所に自然に溶け込みながらクリスマスは祝われているが、大聖堂内でも聖なる日にはクリスマス・イヴ限定とも思われる<行為>が行われることがあるらしい。いつか、イヴにパリのノートルダム大聖堂の深夜ミサにまたしてもこっそり参加した。つめかけた立ったままの信者たちの数は多かったが、日頃、東京の雑踏にもまれている私は、聖堂内の人の群れをすり抜け、いつのまにか祭壇の目の前まで出た。フランスでの人混みはどこかゆったりしていて、人と人のあいだには間隔が空いている。そのうちに、パイプオルガンが大聖堂を揺るがし、腹の底まで響き渡るような大音響を響かせ、深夜ミサがおごそかに始まった。あれはミサが終わった時だったか、それともミサが始まる前のことだったかもしれない、堂内の薄暗がりの奥から人影がゆっくりと現れる。まさにしずしずと、式服に威儀を正して、外見からして明らかに高位の聖職たちが、ひとりずつ祭壇に歩み寄ってくる。先頭は、真っ黒な衣装に身を包んだギリシャ正教の代表者らしい。続いてかなりの間をあけて、カトリックの、またプロテスタントの聖職者。4、5人の、それぞれのキリスト教の宗派を代表するような高位聖職者たちが祭壇前で出会う。何も語らない。動作も挙手もしない。しかし、圧倒的な精神的な存在感。犯しがたいオーラが沈黙の中に広がる。ミサには加わらない、ただ出会う。宗派間には多くの問題や対立さえ横たわる。しかし、カトリックはその語源からして、普遍的なものを目指す宗教だ。何かを解決することなどできないし、実りある結果にもつながらない、儀礼的な出会いでしかなく、祭儀でもなく、記録にも残されない。一部の有志による自発的な行為なのだろう。でも、クリスマスを機に、抗争を越え、出会うことだけはしておきたい・・・。そうした多様な宗派の聖職者同士の出会いは、また他の機会においてもさまざまな形で試みられてきた。このことは、歴史書でも確かめられている。
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書評 芳川泰久「謎とき『失われた時を求めて』」新潮社2015年

 本書「謎とき」の前半と後半で論じられている二点に絞って、感想を述べたい。本書の後半で著者は、主人公と母親がヴェネチア滞在中に訪れる洗礼堂の場面(第6篇「逃げ去る女」)に注目する。このサン=マルコ寺院では、母親は聖母のイコンとして描かれ、母の聖別式も行われたと著者は主張する。また、聖別された母親のモデルを実際に当地に出向いて探した著者は、それを洗礼堂内で突き止め特定することができたと主張する。
しかし、先を急がずに、まずは母と息子のヴェネチア滞在の場面の最後の文を引用しよう。

 いまその洗礼堂とモザイクを思い浮かべると、ひんやりとした薄明かりに包まれて私のかたわらにひとりの婦人がいたことを無視するわけにはゆかない。それを大切に思う時が今ややってきた。ヴェネチアにあるカルパッチョの描いた「聖ウルスラ物語」のなかの年とった婦人のように、うやうやしくも熱狂的な心をこめて喪服に身をくるんだ彼女は、頬を赤くして、悲しげな目つきで、黒いヴェールを垂らしている。(・・・)まるでモザイクと化したように、そこに彼女用の不動の席が確保されているのだから、今でもサン=マルコ寺院に行きさえすればかならず彼女に再会できるだろう。この婦人は、私の母なのだ。

カルパッチョ「聖ウルスラ物語8:巡礼者たちの殉教と聖ウルスラの埋葬」(部分)

 「謎とき」の著者は、この箇所を前後に渡って長く引用し、またプルースト自身による実際のヴェネチア滞在記録やそれに関する個別研究論文も踏まえたうえで、このサン=マルコ洗礼堂内にいる「ひとりの婦人」である主人公の母親は、洗礼堂内の「イコン」として見なされるべきであり、さらには洗礼堂という「聖域」では、母親を神にささげて「聖なるもの」にする「聖別式」が行われていると結論づける。母はここにおいて超越的で絶対的な存在に収斂され、聖母にまで高められることになる。
こう解釈した著者は、「矢も盾もたまらなくなり」、そのイコンを実際に探し出し、この目で見て確かめようとヴェネチアへの旅を思い立つ。そして当地で母である聖母が、洗礼堂祭壇のモザイク画に描かれている聖母のことだと断定する。
 しかし、このあたりで文章が突然旅行記の調子に変わってしまい、現地でのやや性急なモデル探しには少しばかり客観性が欠けている。モデルを特定する根拠が十分ではないこともあり、説得力も不足気味に思われる。
 急ぎ足のモデル探しに立ち会う前に、少し立ち止まって考えたい。そもそも母親はイコンに回収され、聖母として崇められるような存在なのだろうか。 主人公が母親を聖母と同一視するとしたなら、主人公はここで作者プルーストが避けてきた偶像崇拝の見方をあえて肯定することになるし、プルーストに反して、作品に求心的に自己同一してしまう態度をとることになるのではないだろうか。
 まずは、ヴェネチア滞在中の母の描写を読み返してみよう。母はたしかに洗礼堂内で喪服を着て敬虔な態度でいるが、母の演じる役目はそれだけではない。母は他方で、すでに取り掛かっている主人公の仕事が進捗するように多方面に気をくばっている。自らカルパッチョの絵画「ウルスラ物語」 ― 洗礼堂ではなく、アカデミア美術館に展示されているー に描かれた婦人に例えられるようになり、その芸術作品としての高みに主人公が注意を向けるようにうながしてもいる。また、洗礼堂内のモザイク画に見入る主人公の肩にショールを掛け、彼の芸術受容の姿勢の継続を励ましてもいる。(同様の仕草はそれ以前にも書かれている)。母をイコンや聖母に昇華させることはできない。
 洗礼堂自体は、なるほど元来聖別式が執り行われる場所でもあるが、プルーストはここをたんなる「歴史建造物」とは見ていない。むしろコンブレでの生活を思い起こさせる所であり、俗なる生活にも開かれた場所としても描いている。寺院は聖域として内部に閉じるのではなく、周囲の海と「分割できない生きた全体」を形作っている。聖なる内部は俗なる外部と隔絶されることなく、その間には豊かな相互浸透が起きている。
 この洗礼堂の場面の直後に、「祭壇の彫刻」の美について考察がめぐらされている。そこでもその立派な祭壇彫刻固有の「永遠の美」だけが描かれてはいない。むしろ、地方の古びた教会の木製の祈祷台につけられた名札から教会の周辺にいる「ぴちぴちした田舎娘たちの顔を想像する」楽しみのほうが述べられている。
 母も祖母も篤い信仰の持ち主としては描かれていない。プルーストキリスト教の熱心な信者ではなかったし、第一、母親はユダヤ人なのだ。なるほど、母は祖母をいたんではいるが、ここで母は過去にだけ意識を固着させてはいない。母は同時に同行する息子に働きかけて、その精神上の成長を願っている。母は誘うという役も演じていて、未来へ向かう利他的な行為も行なっている。   
 このエピソードの最後の文において、主人公は洗礼堂内の自分の脇にいる婦人についてこう言う ― 「この婦人は私の母だ」。これは重要な発言だ。ヴェネチア滞在中に母が主人公に投げかける芸術的な活動への誘いや勧めを主人公はここにおいてようやく聞き止める。祖母からの影響もあり、自らも活発な精神活動を行うが、それを今度は主人公に届けようとする存在としての母を ― 幼児期の自分を保護してくれる絶対的な母性としてではなく ― 芸術的な実践へとうながしてくれる新しい母として再認したのだ。そして、その出会い直した存在を、「私の母だ」と新たに名付け直したのだ。洗礼堂にいるひとりの婦人は、イコンでも聖母でもないはずだ。彼女は、社交界に出入りし恋愛においては嫉妬に苦しんできた主人公に新たな実践を呼びかけ続ける母なのだ。そのことに気づいた主人公は、小説巻頭の就寝劇以来母や祖母から直接間接繰り返し発せられてきた声を芸術的なるものへのうながしとしてようやく受け止め、自らもそれに応じようとする。作家志望という漠とした夢から目覚め、言葉を得て創作を意識する語り手に脱皮しようとする。そして、自らも言葉を ― まだ一時的な覚醒ではあるが ― 現在形や未来形の動詞も使いながら発する。無名だった主人公は、恋人アルベルチーヌから「マルセル」という名を与えられ、ここでは母と新たに創造へ向かう関係を築き、主語という実在を得て、動詞を繰ろうと試みている。言語の獲得は、主人公ひとりの意思によって得られるものではなく、他者たちによってうながされて形成されてゆくものなのだ。
 母は祖母の死をいたみ、また同時に主人公の自覚をうながすという、過去と未来に向かう役割を演じるだけではない。主人公を導くものの、その反面、それとは対照的な面もいくつか見せる。ヴェネチアのドリニィのプールの描写は、主人公が逆に母親に対してまだ時おり胎内回帰という密かな幼児性の願望を抱くことがあることを物語っている。彼は成長どころか幼児期に退行する危惧をまだ抱かせる人物でもあるのだ。また、洗礼堂の場面後の第6篇「消え去る女」巻末では、ピュットビュス男爵夫人の小間使いにかつて覚えた性的欲望が主人公に再燃する。ヴェネチアを離れパリに帰ろうとする母親に逆らい、母に同行することを拒んでヴェネチアにひとり残り、小間使いと性的な快楽にふけろうとする。コンブレの就寝劇前半で見せた母への攻撃性と反抗が甦りそうになる。しかし、葛藤を覚えつつも、そうした危機や試練を主人公は最後になってかろうじて乗り越え、母と一緒にパリに戻ることにする。主人公は次の最終第7篇「見出された時」においてふたたび創作へと誘う母親と向かい合い、そしてコンブレの就寝劇で耳にした母の朗読の声 ― そこからはヴァントゥイユの音楽も聞こえる ― に自らも応えようと決意することになる。これは小説巻頭の就寝劇に対応する展開だが、こうしたスケールの大きな構成は、母親がイコンや聖母に固着されてしまうと、起伏に富む動的なものとしては機能しなくなってしまう。母親も祖母も多面的存在だが、潜在的レベルで一貫して主人公に働きかけ、その創意を呼びさまそうとし続ける存在であるはずだ。主人公の心理や意識を追うだけでは十分ではない。他者からの働きかけに応じようとする存在の根底における情動の変化にこそ立ち会わなくてはならない。

 ヴェネチアの洗礼堂の場面の前に、それに類似するもうひとつの場面が先行して書かれている。「心の間歇」(第4篇「ソドムとゴモラ」)と題された一章がそれだ。「心の間歇」では、母の分身である祖母の最後の日々も描かれる。パリで瀕死の状態に陥った祖母の荒い呼吸音は、主人公に祖母の真の心情を伝える「歌声」となって呼びかけていた ― 「私たちに言うべきすべてのことが、さながら祖母からあふれ出てくるようだった」(第3篇「ゲルマントのほう」)。祖母はその時「長々と熱をこめて、私たちに心情を吐露しているようだった」。そして、その歌声は、部分によっては作曲家ヴァントゥイユの音楽のように聞こえてきた。また、臨終の祖母は、「中世の彫刻家」によって彫られた「若い娘」の姿ともなっていて、これも強い印象を読者に残す。
祖母も作曲家ヴァントゥイユや中世の彫刻家の作品を体する存在となり、その芸術作品によって主人公をうながそうとしていた。パリの主人公一家のアパルトマンの一室においても、祖母は死の苦しみさえも乗り越える創意に富む精神の働きかけを枕元にいた主人公に届けようとしていたのだ。それは「私にしか読めない言語」で書かれていたが、存在の根底から発せられるその言語を無意識的記憶(「心の間歇」)によって受け止め、触発される主人公は、それに応えて今度は自自身も言葉を発しようとする。
 「彼女は私の祖母であり、私は彼女の孫なのだ」。これもすでに自らが語り手になることを自覚する発言であり、この時の目覚める「私」は、一時的な変貌であるにせよ、すでにそれまでの寡黙な主人公ではない。この発言は、上述した洗礼堂内で母親に向けて主人公が語り手のように言った、「この婦人は私の母なのだ」と同工異曲のものなのだ。作家志望でありながらその夢を実現する術を見出せなかった主人公は、こうして時に母や祖母に話しかけるように言葉を話し、まるで語り手のように変貌(メタモルフォーズ)をする。主人公はここでたんに親子関係の血筋を確認しようとしているのではない。喪失や忘却の淵に沈みこみそうになりながらも、創意によって新たな関係性を母とも祖母とも築こうとしている。主語になり、言葉をすでに獲得しようとしている。
 「失われた時を求めて」では利己的な愛、またそれに伴う嫉妬も長く描かれるが、それは利他的な愛と切り離せないものなのだ。母や祖母とふたりに向かい合う主人公は、互いに創意をもって働きかけ合う実践の関係によって結ばれ直される。
 主人公の私は自己完結していないし、ただ独白をする独我論の私ではない。他者と創造へ向かう関係性を新たに作ろうとする私だ。「失われた時を求めて」の出発点は、「サント=ブーヴに反論する」の母との対話にあるのだ。
 この長編小説では、母親と祖母と主人公は、巻頭から巻末にいたるまで、複数の糸がより合わさるように、互いに密接に絡んでゆく。当初はテーマが明示されなくても、それは間歇的に変奏されることで、重要なものとなってゆく。このようなテーマ形成は、長編小説をプロセスととらえる総体的な理解が得られていないと十分には把握できない。
 「謎とき」の著者が注目するヴェネチアの洗礼堂の一場面の解釈も、反復や記憶や変貌といったものが描く軌跡を長く追う読みこみが行われてはじめて説得力に富むものになるはずだ。時間を止めて登場人物をモデルに還元するのであれば、長編小説は狭く限られた展開しか示すことができず、暗示され示唆されているものは顕在化されないままになるかもしれない。

 この書評で取り上げる第二の点は、「謎とき」前半で長く論じられている隠喩のことである。プルーストが重視する隠喩表現を、著者はさまざまな描写に認め、それらが互いに「描写のネットワーク」を形成してゆくとする。隠喩表現を言語の個別研究の枠にとどめておくのではなく、隠喩がネットワークのように互いに動的につながってゆく、それも広範囲にまで広がると指摘する。この見方は興味深い。たしかに、描写には行為が潜んでいるということを、プルーストフロベールなどから学び取っていた。
 例えば、著者は第二編「花咲く乙女たちのかげに」で、バルベックに向かう汽車の車窓両側から見たふたつの「朝の光景」と「夜の村」がプルーストによって同じ画面に「並置」されると指摘し、これは異なるものの「共存」であり、隠喩だとする ― 「異なるものどうしを等価性によって結ぶこと、つまり隠喩」。この隠喩は、バルベックに登場する画家エルスチールのものの見方の根本を表現する隠喩でもあるとする。
 著者は長い引用を数多く羅列してゆくが、突然、原典の文末脚韻の手短な分析に取り掛かったりするので、いささか驚く。正直言って、どこか腑に落ちないし、釈然としない思いが残る。プルーストの言う隠喩は、著者の言う隠喩とは微妙にズレているのではないだろうか。著者によれば、プルーストが重視する隠喩は同じ画面内での「並置」であり「共存」であり。異なるもの同士は互いに積極的に関与せず、静止した状態で並べられているだけとなる。
 しかし、プルーストの言う隠喩の場合、異なるもの同士の関与はより動的に行われるはずで、異なる両者を隔てる境界線は取り払われ、両者からはそれまでになかった新たなものが発掘され、発見されようとしている。プルーストは、隠喩は「メタモルフォーズ」だとする。つまり第三のものが創出され、「再創造」されようとする ― 「海が陸に食いこみ、陸がすでに海となる」ような絵画だ。
 著者はエルスチールの代表作の海景画を、「海を陸に、陸を海に見せる」「錯視」がその基本となる絵画だとする。しかし、エルスチールが描いたのは、海と陸がその双方から境界線を越えて混じり合うような、より躍動感溢れる絵画であるはずだ。たち騒ぐ港湾全景の活動から生気に富むものが現出されてくる ― そんな光景が想像される。海や陸はすでにその個別の固有性を失っているだろう。最終篇「見出された時」でプルーストは隠喩の重要性についてまとめている ― ふたつの感覚に共通な特質を見つけ、それらをひとつの隠喩のなかで結び合わせる。そして、「それらに共通する本質」を引き出すこと、そこからは真実が生まれる、と。
 従来の言語学の隠喩解釈が、修辞レベルにおける一方から他方への全的な置き換えや代入にとどまっていたのに対して、プルーストはその枠を広げ、隠喩には新たなものを発見する可能性があることを指摘した。
繰り返すようで恐縮だが、平均的な小説の十倍もあるこの長大な長編小説の場合、引用や個別研究(モノグラフィ)や訳註は、小説の総体的な把握や理解がなされてこそはじめて説得力に富むものになるだろう。そして、それは読者をさらなる受け身ではない積極的な作品受容へうながすことになるはずだ。

 (なお、著者は「失われた時を求めて」の主人公「私」が無名であることを繰り返し指摘している。しかし、この、<主人公無名論>は現在では否定されている。この点についてはすでに本ブログ(「マルセル・プルースト失われた時を求めて』を通読する」2021・6・25)ですでにくわしく述べているので、そちらのブログを参照されたい。)

カルネの表紙(手帳 1908年夏以降に書かれた断片的創作メモ)
       
                                           編集協力  KOINOBORI8

                               
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「失われた時を求めて」第1篇「スワン家のほうへ」を読む

 「失われた時を求めて」の第1篇「スワン家のほうへ」を読む愉しみはどこにあるのだろうか。第一部の田舎町コンブレや第三部のパリの平凡とも見える日常の描写にも魅力は潜んでいる。その生活描写には実は主人公を創造行為へと誘い導いてゆく力が底流となって潜んでいる。読者は推理や記憶を刺激され、共感をおぼえながら創造へと向かう長いプロセスを追い始める。
 「スワン家のほうへ」冒頭からエピソードをいくつか選び出し、それらがどのように反復されつつ長編小説全般におよぶ底流を形成してゆくかを見てみよう。(なお、邦訳では第一篇のタイトルが「・・・の方へ」と訳されることが多いが、ここではひらがな表記を使用したい。第一篇の仏語タイトルは、Du côté de ・・・であり、これは地方特有の話体表現だからであり、これを生かすにはひらがな表記のほうが適しているからである。)

 第1部 コンブレ
 「スワン家のほうへ」冒頭近くで、母親に勧められて紅茶に浸したマドレーヌ菓子を口にした主人公は、その味と香りに刺激され、かつて少年時代に同様にマドレーヌ菓子を勧めてくれたコンブレのレオニ叔母の寝室を思い出す。有名な無意識的記憶の場面。以下に引用するのは、思い出された日曜日のレオニ叔母の部屋の描写だ。なんでもない散文のようだが、そこではコンブレの人物たちがその後に起きる無意識的記憶を連携を取りながらすでに準備している。複数人による活発な実践の場面は、その後に母親によって引き起こされる無意識的記憶が、レオニ叔母の寝室の延長で起きたのだという印象を読者に与える。

 女中のフランソワーズが叔母の紅茶を淹れるが、叔母は気がたかぶっていると感じると、紅茶ではなく、例のハーブ・ティーを欲しがる。そんなときには、菩提樹の花を薬袋から必要なだけ取り出し、皿に載せ、それを熱湯に入れるのは、私の役目だった。(・・・)やがて、叔母は枯れた葉やしおれた花の風味を十分に味わってから、その沸騰したハーブ・ティーにプチット・マドレーヌを浸し、それが十分にやわらかくなると、それを私に差し出すのだった。

 無意識的記憶は、主人公一人の内面に特権的な瞬間となって前後関係もなく一回性の偶発となって啓示や救済のようにもたらされたものではない。上の引用文でも明らかなように、レオニ叔母や、女中フランソワーズや、まだ幼かった主人公までが参加して、実践し協力しあうコンブレの活発で感覚豊かな場が無意識的記憶の前座として組まれていた。いわば、お膳立てがなされていた。
 また、無意識的記憶によって思い出される過去は叔母の寝室にはとどまらずに、「コンブレ全体」にまで広がってゆくが、これもレオニ叔母の部屋が、コンブレという町のさまざまないとなみを事前に取り込み、外部の諸活動を集約し、さらにはそれらを賦活させる場になっていたからなのだ。なにしろ、叔母の部屋には「果物が果樹園を離れたあと、(・・・)絶品の透明なゼリーとなって戸棚にしまわれた匂い」が漂うだけでなく、季節の香りも「家具と化して家の一部」となり、村の大時計も「暇そうだが、几帳面な匂い」となって部屋の中にまで浸透する。部屋はコンブレの聖なるもの俗なるものが匂いとなって充満し、「汲み尽くせない巨大な詩の源泉」となって高められ、人を養う場であるかのようになっていた。外部のさまざまなものが集約され、それらの中心である菩提樹の薬袋のほうにわれわれの関心はまず向かう。
 コンブレの香りは寝室におとなしく収納されたままにはならない。部屋に来るコンブレの人たちによって、さらに付加価値をつけられ、次の人に手渡されてゆく。まだ幼い主人公もすでにその活性化作業に参加する。レオニ叔母に言われて、コンブレの菩提樹のハーブ・ティーの薬の袋をあけ、その花を取り出し、皿に載せ、熱湯の中に入れる。そして、「駅前大通りに植っているような正真正銘の菩提樹の茎」にぶら下がっている「小さな金色の薔薇に似た花が、はっきり浮き出る」のを熱湯の中に認める。衰えているものの、その薔薇色の花を、「なかばまどろんでいる」生命の色だとみなす。主人公は干からびた菩提樹の花を枯れたとは思わず、「まどろんでいる」と思う。消滅したものなのに、すでに隠喩を使って再活性化しよう、賦活しようと試みている。レオニ叔母も、コンブレのさまざまな香りをただ収納にしまい込むだけではない、菩提樹の枯れた花や葉がふたたび放つ風味を味わう。そればかりか、そこにマドレーヌ菓子を浸し、やわらかくなるのを待って、それを主人公に差し出す。叔母も彼女特有のやり方で消滅したものをふたたび生動させ、その後に引き起こされる無意識的記憶をすでに同様の手順で演じていた。部屋に閉じこもり、寝たきり状態とも言えるレオニ叔母も、母親と同様、意外にも主人公をより積極的な活動へとうながしていた。無意識的記憶は、個人の内面にだけ起きる一回性の特異な現象ではない。この記憶が甦るためには、その前段階において叔母をふくめた幾人ものコンブレの人たちや事物たちの積極的な関与が必要だったのだ。
 甦ってくるコンブレは、日本の水中花のプロセスにたとえられる。折り込まれていた水中花の和紙は、瀬戸物の茶碗の水につけられると広がり、「はっきり花や家や人たちだとわかる」形を取り始め、「コンブレすべてとその周辺」が一杯のお茶から出てくる。水中花が花開く過程は、干からびて煎じ茶の袋に入れられていた菩提樹の花がレオニ叔母と主人公によって熱湯に入れられることによって花ひらいたプロセスの再演なのだ。乾いて収縮していた花の再生は、その後に今度は母親からうながされた成長した主人公によって実現されるが、それ以前にすでにレオニ叔母によって試みられていた。彼女はそこでマドレーヌ菓子を幼い主人公に与え、彼を「養う」役割をすでに演じている。
 最終篇「見出された時」において主人公が作家としての使命を自覚すると、レオニ叔母の寝室が主人公の寝室の中に転入してくるように描かれている。彼女の寝室は、主人公の創作を予告するものでもあったのだ。

 無意識的記憶の前に就寝劇が演じられる。その就寝劇後半で母親は、おやすみのキスが与えられずに泣きぬれる幼い主人公に、ジョルジュ・サンド「捨て子フランソワ」を創意に富んだ独自の調子で読み聞かせ、主人公を落ち着かせる。その時、原文に忠実ではない創意に富む朗読の描写には音楽用語が多く用いられているし、のちに主人公を導くことになる作曲家ヴァントゥイユの曲の描写に使われる表現も一部そのまま使われている。母親の朗読の声には「一種の生命」が吹き込まれていて、幼い主人公の苦悩は鎮まり、彼は母の朗読の声によって得られた嬉しさに身をまかせる。
 こうまとめてしまうと、就寝劇後半の朗読の場面も母親と主人公のふたりだけで演じられているように見える。しかし、ここでも就寝劇が演じられる以前に、コンブレのもうひとりの登場人物 ― 祖母 ― が この朗読劇を準備している。この祖母も無意識的記憶の場面におけるレオニ叔母と同じように、母親がはたす重要な役割の前座をつとめている。
 父親とは異なる教育方針の祖母は、主人公の誕生日プレゼントを買うためにコンブレ近郊の村に二度も足を運び、「隠喩が含まれている」ジョルジュ・サンドの小説を四冊も購入し、その袋包みを主人公の部屋に贈答の袋として置いておく。サンドの小説が祖母によって選ばれたのは、そこに隠喩が使われていたからだが、この隠喩はのちにバルベックで画家エルスチールの創作の秘密として主人公が学び取ることになる造形性に富む重要な概念だ。その隠喩をすでに小説冒頭から祖母がとりわけ好んでいたことがわかる。その隠喩が多く使われているサンド「捨て子フランソワ」を、今度は就寝劇の晩に母親が引き継ぐことになる。母は原文に忠実な読み方でなく創意に富む調子で主人公に朗読し、隠喩の重要性を読み伝えたことになる。祖母は母親の分身であり文学上の好みも共通していて、二人とも隠喩を評価する。隠喩とは、従来の類似性の中に新たな側面を見出し発掘しようとする創意ある姿勢である(佐藤信夫「レトリック感覚 ことばは新しい視点をひらく」)。主人公もそうした母親や祖母の態度に導かれ、自らも隠喩表現を用いる創作態度を重視するようになり、母親による「捨て子フランソワ」の朗読に応えるようにして自らも創作を始めることを最終篇巻末において決意する。したがって、祖母が外部から取り入れた隠喩は、母親によって実際に使われ、それを受容する主人公は隠喩 ― 類似に基づく造形性の創出 ― を自らの創意の基本に据え、創作に取りかかろうとする。3代に渡る時間の流れにおいて、隠喩がふくむ造形性が受容され、そこからはまたさらに新しい創作が試みられてゆく。
 レオニ叔母や祖母が外部の生活から取り入れたものは、コンブレの人たちの協力もあって高められるが、その活動的な実践の姿勢は最後は母親から主人公に伝えられる。こうした演出は、無意識的記憶や就寝劇の場面に共通するものとなっている。

第3部 土地の名・名
 主人公の初恋の相手ジルベルトとの愛は成就されることなく終わるが、彼女の場合も上記で確かめた大きな展開に沿う形で主人公を導くことになる。ジルベルトもまた外部から受け取ったつつましくもある事物 ― この場合、主人公が彼女に書き送ったプチ・ブルー (気送郵便) ― を周囲の外部の人たちを巻き込む形で光輝あるものに高める術を知っていて、そうして魅力あるものにされたプチ・ブルーを主人公に手渡し、彼に実践をうながすという役目をやってのける。
 「それは、昨日まではなにものでもなく、小さなプチ・ブルーでしかなかったのだが、私が文面をしたため、それを配達人がジルベルトの門番に届け、召使いが彼女の部屋まで運んだことによって、値がつけられないほど価値のあるもの」に変容する。当初こそ、主人公がプチ・ブルーの宛名欄に書いた「ジルベルト・スワン」という字は「空虚で孤独な線」でしかなかったが、そこには外部を経由するうちに郵便スタンプが押され、配達人による走り書きが書き加えられ、召使によってジルベルトに手渡され、それを彼女から見せられることによって、プチ・ブルーは「私の夢に加担し、それを維持し、さらに引き上げ、私を喜ばしてくれた」。さらには、主人公がそのプチ・ブルーで貸してくれるように頼んでおいた作家ベルゴットの著作を入れて封蝋が押されリボンがかけられた小包 ― これも外部を集約する豊かな包み ― をジルベルトは主人公に手渡す、「ほら、これでしょ、あなたが私に頼んだものは」。そして、主人公はベルゴットの著作を読み、そこからやはり隠喩の重要性を学び取ることになる。
 のちに、彼女は主人公にゴンクールの日記も貸し、彼の文学観形成に貢献する。またサン=ルー侯爵と結婚することによって、貴族社会における爵位や階級制の恣意性を明らかにするし、またコンブレにおける二つの「ほう」が貴族とユダヤ人の所有地を狭く厳密に仕切る確定されたものではなく、二つの「ほう」は実は隣接していて交通が可能であることもあばく。いずれ、ジルベルトへの愛は、アルベルチーヌへのより深い愛に発展的に受け継がれることになる。ジルベルトとの恋は、アルベルチーヌとの恋と同様に実ることなく終わるが、ジルベルトが主人公を作家ベルゴットへ導いたのに対して、アルベルチーヌは画家エルスチールや作曲家ヴァントゥイユの世界へと主人公を導くことになる。この三人の芸術家の作品には、主人公を創作活動へと誘う表現が多くふくまれている。
 ジルベルトの母親のオデットは当初、名も教養もない大部屋女優だ。オデットも、結婚する以前はスワンの嫉妬をかきたてるが、その本当の姿は心理分析だけでは見えてこない。ボワ・ド・ブーローニュに隣接する自宅内で身を飾る見事なファッションがまず描かれ、その高級娼婦としての性的なものが秘められた魅力や主人公の父親の「意味のない言葉」にたちどころに「繊細な加工を施す」巧みな話術も語られる。しかし、それらはただ室内で輝くものではなくなる。当時、日曜になるとブーローニュの森は近くの高級住宅地の婦人たちが自慢のファッションで身を飾り、馬車に乗って「ピクニック」に繰り出し、その斬新なモードに立ち合おうとしてボワの沿道には庶民たちが集まった。パリのベスト・ドレッサーのひとりオデットがこうした<見る見られる>双方向の視線が交わされる華やかな公開ファッション・ショーの機会 ―  日曜の朝のアンペラトリス通り、5時の湖水一周、金曜の競馬場・・・ ― を見逃すはずがない。「女性のエレガンスの数々の傑作」が室内だけでなく、休日のボワという開かれた華やかな場においていっそう見事に披露されることになる。オデットは森で主人公とも親し気に会話を交わす。オデットの室内に隠されてきたセンスが、ここにおいても外部にも発揮される。モードという新しい傑作群も、ボワという、また「1878年万国博覧会」という外部によってさらに若々しいものに昇華されるかもしれない。そんな予感も最後は漂う。オデットのモードは、いずれアルベルチーヌにもさらに発展された形で受け継がれてゆくことになる。

        ボワ・ド・ブーローニュのパリジェンヌ
        作者:フランソワ・ゴルゲ(1862-1927)

 こうして、当時新しく価値が認められつつあったモードとか料理とか工芸も、従来の大芸術に次ぐ芸術の作品群として、その豊かな可能性が描かれる。アール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸家エミール・ガレの作品も小説の中に登場する。レオニ叔母の女中フランソワーズにしても、主人公の母親によってもかわいがられ、「失われた時を求めて」巻末ではその途方もない料理の腕だけでなく、その芸術的センスそのものが高く評価される。創作を決意する主人公も、執筆しようとしている作品をフランソワーズがブフ・モード ー ニンジンなどを添えた牛肉の蒸し煮 ー やドレスを仕立てるようにして書いてゆこうと語る。その創作を手伝うフランソワーズは、一方では妊娠中の下働きの女中をいじめたりするのだが・・・(牛場暁夫「料理女フランソワーズ」「『失われた時を求めて』交響する小説」所収)。
 たとえ罪深く、過失を犯したとしても、創意に富む活動を実践することによって人はいずれ変貌するかもしれない。そんな贖罪の可能性さえ最後には感じられる。コンブレに住む、のちに大作曲家になるピアノ教師ヴァントゥイユの娘の同性愛の女友だちも同様に創造的な活動を行うことによって自らがかつて犯した悪をあがなうことになるかもしれはい。この女友だちも、ヴァントゥイユが生前に書き残した作曲の草稿を解読して譜面に起こすという創造的実践に取りかかり、その結果彼の作曲家としての名前を不朽のものにする。ヴァントゥイユ嬢との同性愛にふけることによって音楽家の晩年を暗いものにしたが、女友だちが犯した、同性愛という当時過誤とみなされていた行為は、音楽家によって作曲された作品をまとめあげるという創造的行為を行うことによってつぐなわれるという可能性が示唆される。

第2部 スワンの恋
 3部構成の中でこの第2部「スワンの恋」だけ、三人称で執筆されている。スワンは貴族のサロンにも出入りする粋人だが、オデットと出会ったパリのヴェルデュラン夫妻のサロンこそ最高だと判断し、その「小さな核」にこそ真の価値があると思うようになる。そして、審美主義者で偶像崇拝者 ― 「芸術家たちが陥りがちな知性の罪」(「模作と雑録」「サント=ブーヴに反論する」所収)― であるスワンは、その美的教養の知識から愛人オデットをボッティチェリのチッポラと同一視してしまう。「オデットに会うという楽しみが、彼自身の美学的教養によって正当化される」のを喜ぶ。また、サロンでヴァントゥイユのソナタが演奏されても、全曲を聞くことなく、その断片を一義的に恋の「国歌」だと思い込み、恋をそこに還元し固定してしまう。
 見てきたように、第1部や第2部ではプッチット・マドレーヌにしても、プチ・ブルーにしても、また就寝劇において母親から呼びかけられる主人公の名前にしても、それらはいずれも愛称なり通称なり、ファースト・ネームであり、いずれも親しみが感じられる呼びかけであり、うながしだ。しかし一方、スワンのほうは名前を大芸術作品名と取り替える代入作業のような命名を行う。また、第1部や第3部で描かれるものの魅力は、まずその潜在力が多角度から集められたうえ、それらが数次に渡って増幅され、多声構成の作品に造形され高められてゆく。しかし、第2部「スワンの恋」ではスワンはひとりで完結する世界にとどまり続けるので、物事が時間をかけて共同で形成されてゆくプロセスに読者は立ち会うことができない。
 オデットの日常生活に好奇心を抱き、彼女の動向を探ろうとするとき、スワンは「字義通りの知的価値を有する、まさに真実の追究にふさわしい科学的な調査方法」を一方的にあてはめようとする。また、オデットの心変わりを追求するようになった時は、彼女を「症状が悪化した」「病人」のようにみなす。スワンの場合、分析的知識が先行するため、多くの観点や記憶を呼び寄せて時間というプロセスの中で集約するような「時間の中の心理」に立ち会うことができない。
 嫉妬に駆られてオデットの不実をあばこうとするスワンによる恋愛心理の分析は精緻なものだ。しかし、プルースト自身は知的ではあったが、知的であることだけでは十分ではないことをわきまえる知性の持ち主だった。心理分析だけではたどり着くことのできない存在そのものの未知で広大な領域を、時に夢や性や悪の淵源をのぞき込むように探究した。彼は古典的な知性を駆使して十七世紀のモラリスト風表現を組み立ててみせる。例えば、ポルトレと呼ばれたモラリスト風の機知に富む人物・性格描写も描いてはみせる。しかし、アルベルチーヌのような何度も変貌を繰り返す人物はポルトレには回収されず、そこからははみ出してしまう。むしろ、プルーストドストエフスキー ― プルーストは「白痴」を「もっとも美しい小説」と書簡で評した ― やフロイトなどによって切り開かれていた精神の奥深い領域における動きに、また創造という存在の根源的な働きに時間をかけて迫ろうとした。
 人はけっして他の人を知りつくすことはできないことをプルーストは知っていた。「出来事や人物や事物は絶対的な非決定性のうちにとどまる」し、「しばしば分析に付加されていた「説明」もかならずしも私たちを満足させるものではない」。「定義された現実がその定義を逃れてゆくこのような運動、それがプルースト的現実に浸透した神秘をまさに形づくっているのだ」(エマニュエル・レヴィナスプルーストにおける他者」)。
 他者のいない自己完結する世界にいたスワンも、しかしオデットの愛を失いパセティックな思いにかられる時に、サン=トゥーヴェルト侯爵夫人のサロンでヴァントゥイユのソナタを聞き、はじめて感動して、涙が頬を伝わる。恋ははかなく消えてゆくが、その時になって、はじめて創造に向かい多元的に構成される世界を認めることになる。ソナタは一義的な意味に回収され定着されるものではなかった ― 「われわれが一人でいるときの嗚咽ではなく、むしろ友だちといるとき、友だちの中に似たような感動でほろりとなっている別の自分を認めて、もらい泣きをするときのような嗚咽だった」。スワンが初めて聞き留めたのは「知性をもってしては入り込むことはできない」が、ピアノとヴァイオリンが「創造に向けて対話」を交わしていた世界だった。それは、創造に向かう「切々と心に訴えてくる何かしら人間的なもの」の呼びかけであり、うながしだった。それまでの独我論的な狭さは乗り越えられた。聞こえてきたのは、オデットとの対話では立ち会うことが稀だった、創造へ向けてうながし合うような対話だった。
 創造に向かう中にあって建設的なものが多元的に交わされ合う瞬間は、やがてスワンに代わり、主人公がヴァントゥイユのソナタや七重奏曲から聴取することになる。 メロディーよりも多彩なハーモニーが、そして祝祭的な賑やかさが、ソナタからよりも七重奏曲からより明確な形を取って展開され、広がり出てくるのだ。
 この点では、スワンは主人公の精神上の成熟をすでに予告し準備している。また、こうした創作活動は、コンブレの人たちがすでに実践していたことでもあり、コンブレの生活はすでに主人公を先導していたと言えるだろう。、
 「失われた時を求めて」の独訳を試みたことのある哲学者ベンヤミンは、個々人の孤立を越えて、民衆たちが創造する主体になる可能性を構想した。創造には、集団的で多元的なプロセスがその過程に組み込まれることになると主張して、新しい芸術創造の必要性を説いた(「技術的複製可能性の時代の芸術作品」)。
 登場人物の性格や名前の固定的な自律性や、また小説における語りの単線の直進性といった技法は、近代小説の構成を支える普遍的なものとされてきたが、そうした慣例は、見てきたように、プルーストの長編小説においては再検討に付されている。
 創造へ向かう集団によって形成されるプロセスのあいだには、罪をあがなう贖罪の作用も働く。ディストピアや生きづらさや喪失といったテーマがしきりに扱われる現代の文学の中にあって、「失われた時を求めて」全7篇は、珍しく「幸福な書物」(アントワーヌ・コンパニョン「時間」「プルーストと過ごす夏」所収)である。そして、第一篇「スワン家のほうへ」には、長い時間の中を幸福に向かってのびようとする萌芽が多彩にはらまれているのだ。
       
                                           編集協力  KOINOBORI8

                               

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街を歩く フィレンツェを有元利夫と

 ローマやヴェネチアよりも、私はフィレンツェの町を歩くのが好きだ。ローマには、ローマ帝国の威容を誇る巨大な建造物が多いし、遺跡群も規模が大きい。そのためか生活の匂いがするようなおもしろい街角や広場を見つけることがややむづかしい。哲学者ベンヤミンも、ローマよりもパリの室内の感覚にも触れることができるパサージュのほうを好んでいる。ヴェネチアはどうか。確かに素晴らしい。でも、ヴィスコンティ監督の名画「ヴェニスに死す」から受けた印象が強く、その余韻がまだ消えないでいるので、私のヴェネチアには、19世紀末豪華ホテルの時間が止まったような爛熟した雰囲気がたちこめている。有名なサン・マルコ大聖堂も重々しく、権力を誇示するような所が見えてくる。なるほど、プルーストヴェネチアを魅力ある町として描いたのだが。
 ローマもヴェネチアルネサンスに興隆期を迎えるが、フィレンツェは、小さいながらも、ルネサンス誕生期に初々しい文芸の華をいちはやく咲かせた。私はそうしたフィレンツェにもっとも惹かれる。
 フィレンツェにも周囲を圧倒する背の高い宗教建造物もそびえ立つが、二十歳代の頃から何度かフィレンツェを訪れてきた私には、むしろ三階までの低い世俗の邸宅のほうにこの町の魅力を見い出す。邸宅では、中庭が高いアーケイド風列柱のよって取り囲まれ、その開放的な造りは邸宅が外の町につながっていることを示している。邸宅は個人のプライバシーを囲い守るものではなく、住人は周囲の市民たちと同じ関心を共有しながら生活していたことがうかがわれる。豪商にして文化活動のパトロンで有名なメディチ家の邸宅も、なるほど家門の威光を示す紋章などで飾られてはいるが、中庭はやはり外部の都市空間とつながっていて、行事の際などは市民たちの集会場としても使われていた。
 また、町の周囲に広がる小高い丘にはトスカナ地方の穏やかな風が通うが、そこに造られたヴィラ(別荘)の中には、方列状に並べられた無数の噴水からいっせいに水が噴き出る驚異の庭もある。独特の形であれ、ヴィラにおいても外部の自然のいとなみが、内部の庭にまで取り込まれている。
 こうして、フィレンツェでは家屋と外部の都市空間がつながり、相互浸透が起きるのだが、この町では時間も、単線的に一方向にただ流れてゆくものではない。時間はいくつかの面となり、重層的に積み重なってゆく。つまり、町の市街地の中心には、古代のローマ時代遺跡がそのまま残され、現在の自治都市の構成要素のひとつのとして生かされている。また同時に、中世の時代も感じ取ることができる。古代、中世、現代は、関連を持たずにただ別々に置かれているのではなく、互いにつながっている。例えば、画家ジヨットの描く人物は平面的で無表情で、その表現は中世的だが、それは同時に次に来るルネッサンス誕生期特有の表現 ― 演劇的身振りや奥行き ― を予告するものともなっている。
 こんな風にして、私は成功した文化都市に潜む魅力を追い求めながらフィレンツェを歩いた。そして、私の関心は次第に、50はあるといわれる広場で繰り広げられていた多様なアトラクションや、そこに観客として参加したはずの市民たちの歓声を追うようになった。当時、市民たちの識字率は上昇し、公立図書館まで設けられた。
 そんな頃だった。たまたま入った東京の画廊で、アリモト・トシオという若い画家の絵画を見て、そこに強く引き込まれた。画廊に置かれていた画家紹介のパンフでもって、この画家アリモトも若い時にフィレンンツェを訪れ、町のフレスコ画に惹きつけられ、それ以降計四回はフィレンツェを訪れたことを知った。アリモト特有のフレスコ画は、フレスコ画の宝庫でもあるフィレンツェを私に思い起こさせた。
 岩絵具にトルコ石やイタリアの石などを混ぜ、乳鉢ですりつぶして作った顔料を使うアリモトのザラザラする画布はかすかに乱反射していた。絵が見るだけのものにとどまらず、肌合いをおびていて、その感触や手触り感も伝わってきた。人物やモノは量感をははらんで、堂々と存在していた。視覚というきわめて理知的な感覚は、時にモノの表面だけをなぞり再現するだけで終わるが、アリモトのフレスコ画は、描かれているモノに質感や量感や、時に音感までも与え、そのモノの中にまで入ることを見る者に誘っていた。手でもってもまれナイフで削られた岩絵具の多様な層を通過することによって、人物は無駄なものが省かれ、素の姿になり、ゆっくりと画布の表面に現れてくる。外形のピトレスクな表面だけを見て、それをそのまま受け入れることに慣らされていた私は驚いた。イタリアのフレスコ画の町を思い出したが、光景によってフィレンツェが甦ってきたわけではなかった。理知や知識によるものではなかった。触覚というより原初的な感覚を通して印象がしっかりと刻み込まれてきた。触れるという身体的と言ってもよいような体験となった。
 ここにはフィレンツェの50もの広場で演じられていた当時のアトラクションやイベントが描かれている、と私は思った。探していた肝となるピースが突然見つかったような気がした。たしかに、アリモトの絵に描かれている手品師や、占い師や、楽師や、道化のアルルカンたちは、ルネサンス誕生期のフィレンツェの広場に組まれた舞台の上で自ら幕を引き、芸を演じたアノニムの芸人たち ― まだ芸術家といった立派な呼称はなかった ― を彷彿とさせるものだった。 私のフィレンツェが賦活され、賑やかになった。画家アリモトは私と同じようなものを探しているかもしれない、と無知で傲慢だった私は思った。
 それから、驚くような情報が次々に入ってきた。アリモトは、画壇のシンデレラ・ボーイと言われていた有元利夫で、画壇の芥川賞といわれる安井賞を受賞したが、38歳で他界。1946年生まれだから、私と同年。若くして死んだ、稀に見る才能の持ち主・・・。 
 私は、それ以降有元利夫の絵を見る機会を探り続けるようになった。絵の背後から、フィレンツェの広場の往時の賑わいが立ち広がるかもしれない、と思いながら。
 東京谷中で少年時代を送った有元利夫は、物作りの職人たちが多く住む町で道具や工具の使い方を教わり、根っからの「作りたがり屋」になり、手を使って物を作る工芸の楽しみをおぼえた。このためだろうか、彼の作品には、手を器用にあやつり、驚異的なものを取り出す人物が多く描かれている。手だけのデッサンも多い。その手はトランプや花々だけでなく、光線や楽の音まで指先でやさしく捕まえ、あやつってしまう。忘れないでおこう、フィレンツェでも画家はまた工芸の人であり、彫刻などにもしばしば手を染めた。
 有元の描く「室内楽」や、「手品師」や、「雲のアルルカン」や、「道化師」や、「二人のカードゲーム」などを見ていると、その背後からフィレンツェの50もの広場で市民たちを楽しませた手品師や、ボール投げ師や、ミュージカル芸人たちが透けて立ち現れてくる。フィレンツェには、跳躍自慢の芸人たちもいたし、町の中心である花の聖母マリア大聖堂内の聖歌隊席のための浮き彫り「カントリア」(ドナテルロ作)でも、子供たちは思い思いのしぐさで踊り浮遊しようとしている。中世では不動であるべきで感情表現も慎むべきという制約が課せられてきたが、フィレンツェでは人物は自由で創造的な時空間へと飛翔し始める。有元の絵画でも彫刻でも、芸人たちは軽々と重力から逃れ空中を浮遊する。

           室内楽
(出典はすべて「新装版 有元利夫 女神たち」 美術出版社 2006)


        手品師


      雲のアルルカン


      二人のカードゲーム

 フィレンツェが秘める祝祭的な賑やかさを追体験しようとすると、有元の作品がそこへ導いてくれる。フィレンツェの町を歩けば、有元の作品の理解を深めてくれるヒントが見つかるような気がする。
 有元が早世してからもうすぐ四十年だ。最近、気になっていることだが、彼の回顧展が最近開かれない。東京渋谷の大きな会場で回顧展が開かれることになったが、オープニング直前になってコロナ禍のために開催が見送られることになってしまった。彫刻もふくめた有元の諸作品が、ルネサンス誕生期フィレンツェの初々しい魅力にまた立ち合わせてくれることを願わないではいられない。
 こんなことを言うと、私と同年輩の彼は嫌がるかもしれない。でも、有元は私の私の素晴らしい精神上の兄で同伴者でもある。彼は今もフィレンツェの広場を歩いているはずだ。きっと道案内まで引き受けてくれて、驚異の広場につながる路地をこっそり教えてくれるはずだ。

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(2/2) 「銀河鉄道の夜」続篇創作 「(十、)銀河ふたたび」


 カムパネルラはきっと銀河のほとりで生きているのです。カムパネルラはいつもそうして少し遠くから振り返るようにしてジョバンニを導いてきたし、何かとジョバンニのことを気遣ってくれたのです。カムパネルラの友情に報いなくてはなりません。
 ジョバンニはもう何も云うことができず、家を飛び出し、町のほうへ走りました。そこに立っていた天気輪の柱めがけてです。この前は、その柱を上って銀河鉄道に乗りこんだからです。でも、今度は陽はすでに沈んでいて、太陽柱は現れません。いくら待っても待っても、銀河鉄道の汽車はやってきません。
 しびれを切らしたジョバンニは、今度はみんなが海岸と呼ぶ川の河岸のほうに向かって走り出しました。
 家で病気のために寝ているおっかさんには牛乳を届けることができたし、漁師のおとっつあんも北方へ漁に出て長く留守したあと、ようやく家に帰ってくるはずだ。でも今は家のことよりも、銀河のほとりに上ったカムパネルラのことのほうが気になって仕方ありません。彼に追いつこう、会いに行こう。 
 川の「海岸」は命を育む場所で、そこには多くの生物が生きているはずです。泥岩層に見つかるクルミの実には、まだ生きているものもあるはずです。夏休みにはジョバンニはカムパネルラや友人たちと川で泳ぎ、クルミの殻を拾いました。その殻の中には生が無尽蔵に蓄えられていて、握りしめると、その力に鼓動とも息遣いともつかないものが応えました。さらに握りしめると、ざわめきが手のひらをくすぐります。
 夏のこの時期、天の川が川の川面にその姿を映し出します。天の川は川と重なり一体となっていました。しかし、いきなりどうと風が吹き上がり、川の流れを上流のほうへ青白く逆立て、波立たせてゆきました。栗の木でしょうか、ブナの木でしょうか、あたりは急にざわざわと鳴り、揺らぎはじめました。
 不意に、川面に映っていた天の川が、川面から身をふりほどき、身をもたげ、立ち上がりました。天の川は、突然上空へとまっすぐ舞い上がりました。
 川面には、ホタルの群れが乱舞していたので、ジョバンニは錯覚して、舞い上がるホタルの群れの光を川面の天の川と見間違えたのかもしれません。でも、確かに、川面に映り込み静かだった天の川は、一気に水流となり、上空へ駆け上ります。
 さらに、不思議なことが起きました。
 この海岸には無数のわたり鳥が飛来します。突然、一羽のコハクチョウが川岸のクルミをくわえたまま、川面から勢いよく舞い上がり、上空へと吸い上げられました。ジョバンニには、そのコハクチョウが、カムパネルラの魂をくわえて舞い上がったように見えました。言い伝えに、白い鳥は人の魂をくわえて飛び上がるという話があることをジョバンニは知ってはいましたが・・・。
 確かに、天の川が川から身をふりほどき、立ち上がり、それが周囲に浮力を与え、それにつられるようにして、一羽の鳥が一気に上空へと舞い上がったのです。
 その動きは、もう逆らうことのできないものとなり、あたりは巻き上がる竜巻のようなすごい勢いになり、ついにはジョバンニ自身もまた旋回する風に巻き込まれます。 
 空に向かって一気に吸い上げられ、ジョバンニの全身は強く揺すられます。自分は不意に鳥になって空を飛んでいる、青黒く透き通った冷たい光に自分は包まれている、とジョバンニは感じます。
 さらに上空にまで上昇したのでしょうか、遠くに星くずが集まっていて、それが山の雪嶺のように輝きます。いつのまにか星雲に囲まれます。星が近づいてきては、キインキインと聞いたこともない音をたてながら斜めにかすめます。天の川を渡る舟の櫂のしずくなのか、光が束となって降ってきて、ジョバンニは光のシャワーでもって全身が洗われます。流星群の中にも入りますが、東に西に、北に南にと向きを変えて衝突を避けます。もう、上下だとか、方位だとか、距離だとか、遠近といった尺度などは役に立ちません。ただ天空の中を漂うように進みます。地図とか羅針盤のない世界です。上昇しているということだけが感じられます。
 深い淋しさにとらわれます。銀河のどこかにカムパネルラがいるはずだ、いや、いてほしいという願いがジョバンニを励まし、駆り立てます。いつもは表側しか見せない月が、その裏側までさらしています。その下のほうで、稲妻がツンツンと点滅しています。

 でもいったい、コハクチョウとなって舞上げられた自分は、天空のどこに行けばよいのだろう。
 そうだ、銀河鉄道が白鳥停車場で一時停車した時にカムパネルラと連れだって行ったプリオシン海岸に向かって飛んでゆこう、とジョバンニは思いました。
 あの時、プリオシン海岸では大学士と三人の助手たちが、百二十万年も生き続けるクルミを集めていました。あの時、どことなくユーモラスな大学士は、化石という言葉など一度も使わずに、自分たちが取りかかっていた収集作業をまるで植物採集のように説明してくれました。
 カムパネルラだってクルミのように時間を超えて生き続け、プリオシン海岸のどこかで生きているはずだ、誰かによって拾われるのを待っているはずだ。それに海岸ではクルミだけでなく、動物の骨や足跡だって見つけられている。死にあらがい、生を保ち続けているカムパネルラを見出す手がかりだって海岸のどこかにころがっているははずだ。
 ジョバンニはカムパネルラの生の痕跡を見つけ出そうとします。学校の先生だって教室で云っていた、「私どもも天の川の水のなかに棲んでいます」と。そうなんだ、おぼれかけた同級生ザネリを救い出そうとして自らは犠牲となったカムパネルラは、何かの姿になって生まれ変わり、銀河のどこかにいて、そこから光を送ってくる。

 風音に混じって、どこかで聞いた声が近づいてきます。
 
  いまこそわたれわたり鳥
  いまこそわたれわたり鳥

 銀河鉄道に乗って旅をしていた時も、天の川のほとりで赤帽の信号手が青い旗を振りながら、幾組ものわたり鳥に叫んでいました。
 信号手は、天の川流域に飛来するわたり鳥にエサがうまく行き渡るように、あれこれ工夫をこらしていました。わたり鳥たちの交通整理をする信号手という人が流域にいても不思議ではないのです。なにしろ秋から冬にかけて、流域にはオオハクチョウが二百羽も、コハクチョウが百二十羽も飛来してきます。
 赤帽信号手は、川筋に打ち込まれた杭の列に明かりを灯しながら、渡り鳥たちに指示を与えています。この声は自分を導いてくれる声だ、とジョバンニは思いました。そして、みおつくしのような杭の列をたどり、自分たちコハクチョウのために割り当てられた星入り水場に着水することができました。そこには自然に仲間たちも集まってきます。

 銀河を飛び続けると、苹果や野茨の匂が追いかけてくるように漂ってきます。車窓の両側に広がる農地を上から見渡していると、銀河鉄道で乗り合わした鳥捕りが、河原で働いているのが目に止まりました。商店を構え、捕まえた鳥を保存食にして、通りかかる町の人たちに鳥を売っています。
 「寄ってらっしゃい! 栄養満点だよ!」
 自分の商店の屋号を染め抜いた法被を羽織っていました。鳥捕りの大将が鳥を捕まえていたのは、奇妙な暇つぶしなどではなかったのです。銀河鉄道に乗りこんできたときは、どこか不思議な人だと思い込み、鳥捕りの饒舌を半信半疑で聞いたことを思い出し、ジョバンニはその時の自分の思い込みを悔やみました。土地の気のいい働き者の鳥捕り大将が銀河鉄道の車内で乗客たちに勧めていた食べ物は、お菓子などではなく、実は地方の重要なタンパク源だったのです。
 それに鳥捕りは車内でジョバンニの切符を見ながら、「切符」と云わずに、もっと有効区域の広い「通行券」と云ってくれました。ジョバンニの銀河への今回の二度目の旅が自由に飛び回る旅になることを密かに予告し、また励ましてくれてもいたのです。
 「おや、こいつは大したもんですぜ。どこでも勝手に行ける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、いろんな所まで行けます。こんな銀河鉄道なんか使うよりも、もっとどこまででも行ける筈でさあ。大したもんです」。鳥捕りの大将は、鉄道切符が、実はどこにでも行けることを保証する通行手形であることを請けあってくれたのです。

  あかいめだまの さそり
  ひろげた鷲の つばさ
  あをいめだまの 子いぬ

 星めぐりの歌が聞こえてきました。風に運ばれてきて、切れ切れになっていました。ジョバンニはその透明な声の歌をたがいにつなぎ合わせようとします。ふた子の星が向かい合い、銀笛を吹き交わしています。そのうちに、ひとつの星が、虹を飛ばして遊ぼう、ともひとつの星にもちかけます。いつしかジョバンニも遊びの輪に加わります。
 星は物質の塊りですが、歌を作ってはそれを歌うし、他のいろんな物とも交信を交わします。生きているとは見えない物の奥にも、歌が、そして命が潜んでいる。それに、銀河鉄道蒸気機関車だって、「新世界交響曲」をあたりに奏でていました。
 ジョバンニは楽しくなって、歌を聞くだけでなく、それを身体でもって表現しようとします。まわりの動きに合わせた動きが、身体の奥から自然に湧いてきます。
 銀笛の音を聞くうちに、ジョバンニは思い出しました。たしか銀河鉄道の車中でもカムパネルラがこれと同じ曲を口笛で歌ってくれた。アルバイトのために銀河祭りに参加することができなかったジョバンニのために、カムパネルラは楽しい音楽を口笛で吹いてくれた。今もこうして、その口笛の音を聞かせるだけだけど、カンパネルラは僕の目の前に現れようとする。

 「おほぉっ、おほぉっ」、奇妙な声が応えます。奇妙な、でも、生き物の自然に発せられる声です。声変わりの時の 声の変調ではありません。そうでした、ジョバンニはコハクチョウニに変身しているのです。
 でも、とたんにジョバンニはカムパネルラに会えない淋しさに胸を締めつけられます。星めぐりの歌の調子が快活なものだっただけに、またふたたび襲ってきた悲しみは強烈なもので、ジョバンニの心は強く締めつけられます。
 水死したカンパネルラの姿が目に焼きついて離れず、深い悲しみにとらわれます。でも、ジョバンニは気持ちを強くもって銀河上空を飛び続けます。
 なんといっても、鳥捕りの大将が、銀河鉄道の切符が実はどこにでも飛んで行ける通行手形であることを請けあってくれたのです。この通行券をくわえたまま飛び続ければ、銀河のほとりで生きているカムパネルラを見つけ出せるはずだ。ジョバンニは羽根を懸命に羽ばたかせます。自分には周囲を大きく鳥瞰できる目がそなわっているのだ。
 大きく旋回して、ふたご座の所に来ました。ふたご座は船の航行を守ってくれる、船が嵐に遭うと、嵐をしずめる火を送ってくれる、とカムパネルラは、以前彼の家に遊びに行った時に教えてくれました。
 そのとき、彼は家の奥から一枚の絵の複製を取り出してきて、「これは僕の好きな絵なんだ」と言って、それをジョバンニに見せてくれました。ゴッホの「星月夜」でした。
 「なんだか、見る人によっては、とってもこわい絵だと言う人もいるけど・・・」。
 大きく描かれた夜空が、青暗くうねる渦となり、星々がその中に吸い込まれてゆくように見えて、確かに不気味な絵でした。ふだんは直立したまま動かない糸杉も、餌を探すイソギンチャクのようにゆらぎ、黒くて不吉なものでした。
 「でも」、とカンパネルラは続けました、「僕は、この青黒い渦に負けまいとして光を放つ星々や、下に広がるゴッホのオランダの故郷の寒村に光る小さな窓がとても好きなんだ。すべてを吸い込もうとしている暗い夜空の、青黒い渦巻きを前にして、斑点のような星や窓はそこで暖かい生活の光を放っている。自分たちの差し迫った消失とか消滅に逆らい、自分たちの生活を保とうとしている。圧倒するような夜空の底知れない渦の中に取り囲まれても、小さな星や寒村の窓たちは、その荒い黄色のタッチだけで闇の中に輝こうとしている。

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 それに、もう少しで、朝なんだ。この時、ゴッホは東のほうを向いていて、朝日が上るのを待っていたんだ。星のひとつは、明けの明星と呼ばれる金星で、日の出を告げている。その星をゴッホはとても大きく描いている。
 ゴッホは、画家ゴーガンたち画家仲間を集めて、共同制作に励もうとして南仏アルルに黄色い家を借りる。その黄色の家のベッドも、ひまわりも、ゴッホは生活を表す黄色を分厚く使って描いてゆく。
 「黄色い家」と題された絵には、画家仲間を乗せたと思われる蒸気機関車まで描かれている。それも黄色い家に汽車が直接到着するように描かれている。黄色い家は、ゴッホにとって、みんながやって来るはずの停車場でもあったんだ。まもなく到着するはずのみんなを待ち受けるゴッホの、子供のような喜び・・・。そんな楽しげな蒸気機関車を、ゴッホはほかの絵にも描き足している。
 ゴーガンだけが黄色い家にようやくやって来るけど、結局ふたりは衝突する。激昂したゴーガンがパリに帰ろうとすると、ゴッホのほうは精神のバランスを狂わせ、錯乱する。カミソリで自分の耳をひとつ切り落とす・・・。
 黄色い家での芸術家コロニー建設の夢などは空中分解してしまい、いっさいが砕け散る。
 これですべては終わった、ゴッホも終わった、という人もいる。でも、僕にはそうは見えない、精神錯乱のしるしを嗅ぎつけようとする人は多いけど。
 だって、この事件の後に描かれたこの絵「星月夜」を、もう一度よく見てごらん。星も寒村の窓も小さくて、暗黒の巨大な渦に取り囲まれ、溶かされてしまいそうだ。けれど、実は星や窓は、懸命に生活の黄色を光らせ続けている。黄色は、荒いタッチでしかないし、破片でしかない。だけど、実はとてもたくまくて、生き続けている。
 きっと、この星や窓の黄色は、芸術家コロニーの夢が砕け散つたあとの、空間や時間に飛び散った黄色い家の破片なんだ。残骸でしかない。でも、ゴッホはあきらめない。ゴッホは、破片となってしまった黄色い家を必死にまた集め直そう、拾い直そうとしている。荒いけど、黄色の斑点は、残された共同生活の、安らぎの、生のしるしであり続けている。
 カンパネルラの話に、ジョバンニはただ黙って聞き入るばかりでした。
 同級生だった少年カンパネルラが今やすっかり青年に脱皮しようとしていることに気づき、ジョバンニはまるでまぶしいものを見るようにして、彼を見つめ直しました。
 ジョバンニは、ゴッホの「星月夜」の黄色のタッチは、荒く小さなものだけど、まだ生きていて、とても遠くからでも呼びかけてくるものだと思いました。そして、それが川の「海岸」や銀河のプリオシン海岸で見つけたクルミの実に少し似ているな、と思いました。

 ふたご座の所にまで来ると、銀河の彼方に大きな白鳥座が浮き上がりました。ふたご座と白鳥座は、学校で先生が云ったように、天の川という「巨きな乳の流れ」によってつながっています。白鳥座はふたご座の父親と言われてますが、ジョバンニには天の川を抱えるようにして悠然と飛ぶ白鳥座が、むしろふたご座の母親のように見えてきました。
 星々は、孤立していたわけではなく、天の川に沿って互いにつながっていました。川沿いに町が描き出され、町はまたいくつか連なり、流域という生活圏を形成していました。
 大きく翼を広げ、白鳥座は南へ南へと向かいます。白鳥座の大きさにジョバンニは思わず息をのみました。夏の夜の主役は、なんといっても白鳥座です。
 散らばる星々を線で結んでみると、オオハクチョウが描き出され、その背中が美しい野原となって目の前に広がります。ジョバンニはその背中に舞い降りようとして、白鳥座に必死になってさらに近づきます。
 銀河鉄道に乗っていて白鳥の停車場に近づいたとき、車窓から外を眺めていたカムパネルラの目が突然輝き、「白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ」と云ったことを思い出しました。
 白鳥停車場での20分の停車時間を利用して下車し、駅を出て、水晶細工のような銀杏で囲まれた野原をカムパネルラとジョバニは連れ立って歩き回りました。夢のような時間でした。白鳥座の中心に広がる野原には、林や牧場や苹果や三角標や四辺形のものがさまざまに集まっていて、その辺りがボーッと光ります。月長石に刻まれたような紫のりんどうが、時折りツァリンと音を立てて花を咲かせます。野茨が神秘的な匂を放っていました。
 見渡すと、野原には銀河鉄道の車内で出会ったことのある人たちが集まっています ― 鳥捕りの大将、赤帽信号手、燈台看守、そしてカムパネルラも、彼が川から救い出した級友ザネリやそのおっかさんも。
 野原に集まったみんなは古くからの知り合いのようで、銀河鉄道だけでなく、天の川も生活の大動脈として利用していて、舟を浮かべては互いに行き来していました。みんなは野原でなにやら楽しげに話し合っています。今夜は、銀河祭りの最後の夜なのです。
 カンパネルラも親しげな様子で話しています。背中がピンと伸びていて、決断を下す大人のような雰囲気を辺りに漂わせています。カムパネルラは強さを身につけている、そう、一角獣の角の強さを。町の時計屋に飾られていた星座表で見て以来、ジョバンニは一角獣の強さに憧れ続けてきました。
 大きな鳥が羽根を羽ばたかせる時に起きる風が繰り返し吹きつけてきます。その勢いに煽られ、追いつこうと急ぐジョバンニは吹き飛ばされそうになります。それでも、みんなが集まる白鳥座に少しずつ近づきます。
 コォーッという鳴き声が響きました。闇に目をこらすと、星画びょうによって静止画像にさせられてきた星座が、そこから身をほどき、孵化をはじめ、翼を左右に押し広げ、しなやかにはばたかせています。天体に潜んでいた微光が、その翼を白く染めてゆき、翼は燐光を放ちます。輪郭ははっきりとはしません。でも、みんなが集まっている野原が、一羽の巨きな白い鳥の背中にそのまま乗って銀河を滑ってゆきます。
 カムパネルラが銀河鉄道から失踪する直前に云った最後の言葉の意味がジョバンニにはようやくわかってきました。汽車がサウザンクロス駅を後にして旅も終わろうとしていたとき、カムパネルラは銀河鉄道の旅の印象をまとめるように、はるか彼方の白鳥停車場の野原を思い出してこう云いました、
 「あゝ、あすこの野原はなんてきれいだろう、みんな集まっているねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あゝあすこにゐるの僕のお母さんだよ。」
 その時、カンパネルラは何かを決心した様子になりました。この時だけ、いつもとは違い、カムパネルラは「おっかさん」ではなく、「お母さん」という言葉を使いました。ふだんは、ジョバンニも母親を「おっかさん」と呼びます。でも、カンパネルラがこの時だけ口にした「お母さん」とは、いったい誰のことなんだろう。
 ジョバンニは、考えました ― カムパネルラの云うこの「お母さん」とは、野原に生を吹きこみ、生命連鎖のように新たな生を産む母性とか母胎のことではないだろうか、と。代がかわっても生活を守る母なるもののことではないだろうか、と。
 きっとカムパネルラは、オオハクチョウの背中にみんなが集まることができる共同の場を切り拓き、耕そうとしているのだ。ゴッホの絵「星月夜」を見せてくれたのも、生が産みつがれてゆく場を作ろうとする夢を僕に話してくれるためだったんだ。その野原の開拓と開墾の実現のためなら、たとえ自分が犠牲になって気園にみじんとなって飛び散ってしまうとしても・・・、という決心のようなものをカンパネルラは僕に話してくれたのだ。

 生の野原の近くに、死の孔である石炭袋が大きく深く、どほんと顔のない口を空けています。白鳥座の真ん中近くで暗黒星雲の孔が何かを飲み込もうとしています。その渦巻く黒い孔からあまり離れていない野原の畑で、カンパネルラが大きな黄色い太陽を背にして種を蒔いています。
 野原を背負うオオハクチョウにさらに近づきます。見え隠れしていたカムパネルラの姿が、いよいよはっきりと目にとまります。こちらを振り返っています。
 「カムパネルラッ、カムパネルラッ」
 必死になって何度も大声でジョバンニは叫びます。

 その叫び声で、長い夢想からジョバンニは目をさまし、我に帰りました。自分はまだ北上川の海岸にいて、手にしたクルミをまだ握りしめ続けている。自分はまだ地上にいる・・・。
 夜空に広がる星座を見上げてみると、南へ南へと向かう白鳥座の口ばしのところに美しい二重星がまたたいています。眼もさめるような黄玉と青宝色の二重星がはっきり見えます。この二重星はきっとカムパネルラと自分なのだ、そうに違いない、とジョバンは思います。
 しばらくすると、ジョバンニには、その二重星が銀河で交わしている声が聞こえてきました。二重星は、オオハクチョウの背中に広がる野原のこれからの開墾の仕方などについてあれこれ話し合っています。
 銀河祭りが終わる夜にカムパネルラにようやく追いついて興奮気味のジョバンニは、もう夢中になってカンパネルラに話しかけています ―「ぼくたち、ここで地上よりもいゝとこをこさえなくちゃいけないって、僕の先生が云ってたよ」。
 遠くの地上から勢いよく追いついたジョバンニは突然、準備して暗記までしたことを、口をとがらせながら懸命に言います。
そんな教科書の文章のような発言にたいして、カムパネルラはちょっと驚いてから、苦笑いのような笑いを口元に浮かべます。ジョバンニは、カンパネルラの言葉に比べてたら、自分の言葉がなんだか、まだなんだか自分でも軽い、と思います。でも、話したくて止められません。嬉しくて仕方がないのです。
 オオハクチョウも、カンパネルラと顔を見合わせます。こうこう、とオオハクチョウが鳴きます。その声は四方八方に、上下左右にどこまでも銀河に響きます。オオハクチョウも、息を切らせて地上から合流してきたジョバンニに、きっと何か言いたくなったのです。


                                編集協力・写真撮影:KOINOBORI
                               

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