2022-01-01から1年間の記事一覧

クリスマス(2/2)  ザルツブルグ

ザルツブルグ在住の友人に招かれて、クリスマスを一緒に過ごしたことがあった。パリから夜行列車に乗って約8時間だったか。パリに比べてアルプスの北に位置するオーストリアだから、金髪で長身の人が多いはずと思って駅に降り立ったが、意外にも北に来たと…

クリスマス(1/2)  パリ

パリに留学していた時、クリスマス・イヴにシャルトル大聖堂に向かった。大都会パリを出ると、すぐに闇が広がる。真っ暗な麦畑を友人の車で一時間走っただろうか。やがて遠くに何か黒々とした細いものが、小さいながらも空に屹立するのが見えてきた。視線は…

書評 芳川泰久「謎とき『失われた時を求めて』」新潮社2015年

本書「謎とき」の前半と後半で論じられている二点に絞って、感想を述べたい。本書の後半で著者は、主人公と母親がヴェネチア滞在中に訪れる洗礼堂の場面(第6篇「消え去ったアルベルチーヌ」)に注目する。このサン=マルコ寺院では、母親は聖母のイコンと…

「失われた時を求めて」第1篇「スワン家のほうへ」を読む

「失われた時を求めて」の第1篇「スワン家のほうへ」を読む愉しみはどこにあるのだろうか。第一部の田舎町コンブレや第三部のパリの平凡とも見える日常の描写にも魅力は潜んでいる。その生活描写には実は主人公を創造行為へと誘い導いてゆく力が底流となっ…

街を歩く フィレンツェを有元利夫と

ローマやヴェネチアよりも、私はフィレンツェの町を歩くのが好きだ。ローマには、ローマ帝国の威容を誇る巨大な建造物が多いし、遺跡群も規模が大きい。そのためか生活の匂いがするようなおもしろい街角や広場を見つけることがややむづかしい。哲学者ベンヤ…

(2/2) 「銀河鉄道の夜」続篇創作 「銀河ふたたび イーハトーヴのほうへ」

カムパネルラは銀河のほとりでまだ生きているのです。カムパネルラはいつもそうして少し遠くから振り返るようにしてジョバンニを導いてきたし、何かとジョバンニのことを気遣ってくれたのです。 ジョバンニはもう何も云うことができず、家を飛び出し、町のほ…

(1/2)なぜ「銀河鉄道の夜」の続篇「銀河ふたたび イーハトーヴのほうへ」を創作するのか

www.youtube.com 「銀河鉄道の夜」は、作者宮沢賢治が亡くなる1933年(昭和8年)までの10年間、繰り返し書き直されました。現在残されている最終稿にしてもそれは決定稿ではなく、賢治が生きていれば、その後にも加筆や訂正が行われたはずの未定稿と考えられ…

絶品 鴨とクレソンの山椒鍋

www.youtube.com コロナ禍もピークを越え、店にも客足が戻り始めた4月、中軽井沢の村民食堂に行きました。村民食堂入り口の季節限定ランチ・メニューに、目が釘付けになりました。そこには、「鴨とクレソンの山椒鍋」というメニューが大きく書かれています…

私の好きな俳句 加藤楸邨と芭蕉

私は加藤楸邨の俳句に惹かれる。表現される世界は多様で多彩で、俳句特有の俳味に溢れる句も少なくない。 くすぐつたいぞ円空仏に子猫の手 「吹越」 円空が彫った精神性に富む仏に、子猫の手がじゃれている。親しみを含んだ笑いが広がるが、謹厳な仏が「くす…

プルーストの文はなぜ長いのか

『失われた時を求めて』の文体は長い。平均的な文の長さの二倍にもなることもしばしばだ。冒頭のまどろみや、それに続く小さな田舎町コンブレの描写においても、使われる表現はむしろ平明なまま静かにゆったりと文章が繰り広げられてゆく。難解な語彙や美辞…

戦時下のフランスに島崎藤村が見たもの

小説家島崎藤村(1872−1943)は、第一次世界大戦前後の混沌としたフランスに3年間滞在する。藤村はすでに『家』などの自伝作家として評価を得ていた。社会の偏見に苦しみつつ目覚めてゆく個人の内面を凝視する求道的作風で知られていた。しかし、「家…

ディープなフランス

1972年にフランス政府給費留学生試験なるものを受けたら、運よく合格。26歳の時にパリの高等師範学校(エコールノルマルシューペリウール)とパリ第四大学大学院に在籍することになった。印象派の美術館オランジュリやルーブル美術館にしばしば歩いて通…