プルーストの文はなぜ長いのか

 『失われた時を求めて』の文体は長い。平均的な文の長さの二倍にもなることもしばしばだ。冒頭のまどろみや、それに続く小さな田舎町コンブレの描写においても、使われる表現はむしろ平明なまま静かにゆったりと文章が繰り広げられてゆく。難解な語彙や美辞麗句が連なるのでもなく、また知性による分析が続くだけでもない。
 しかし、読み進むにつれ、われわれ読者はこの長い文章が、作者プルーストの精神の息遣いのようなもので構成されていて、それが間隔をおきつつも反復されてゆくことに気づくようになる。小説の主要テーマが文章の中にすでに表現されるのだ。文はそれだけで作品のヴィジョンを語っている、とプルーストは最終篇『見出された時』で述べている ― 文体はテクニックでも、レトリックでもない、ヴィジョンの問題だ、と。
 長い文章を以下に引用して、文体というミクロでの動きが、マクロのレベルでのヴィジョンをどのように先取りし予告しているかを具体的に追ってみよう。まず、コンブレの中心であるサン=タンドレ=デ=シャン教会の鐘塔を好んで眺める祖母 ― 母親の分身 ― の描写から読んでみよう。祖母はこの教会を好み、その鐘塔を見つめるが、この場面も長い文で描かれる。(文体分析を容易にするために、引用文中に//記号をひとつ挿入させていただく)


「お前たちはたんと笑うがいいいよ。あの鐘塔は美の規則にははまっていないかもしれないけれど、でもあの奇妙な古い形が私には気に入っているの。もしあの鐘塔にピアノが弾けたら、けっしてガサガサした音は出さないでしょうよ」。祖母は塔を眺め,合掌して祈る手のように上に行くしたがって狭まる石塔の穏やかで緊迫し熱っぽい勾配を目で追うのだったが、尖塔の溢れんばかりの気持ちと完全に一体になろうとして、祖母の視線は尖塔といっしょに飛び立つようになった。同時に、祖母は摩滅した古い鐘塔の石に親しげに微笑みかけるのだった。// そのとき、石の天辺は傾いた太陽に照らされるだけだったが、石が陽の当たる部分に入ると、とたんに光に和らげられて、まるで1オクターヴ高い所で、「裏声で」引き継がれる歌のようになり、石は一気にはるかに高く遠い所にまで駆け上がるように見えた。


 8行目の//印までの前半では、祖母が主語となり、ピアノでの演奏を鐘塔に促すかのように鐘塔に呼びかける。また、鐘塔に微笑みかけるだけでなく、鐘塔の気持ちと一体となってしまう。//印以降の後半では、そうした祖母からの熱い呼びかけに応えて、今度は鐘塔のほうが主語になり、歌を裏声で歌い返す。鐘塔を凝視し、高みへと飛び立つように上る祖母の視線を追い、鐘塔のほうも一気にはるかな高みにまで駆け上がろうとする。
 ここで起きていることは、コンブレの生活の場と教会という異質なもの同士のたんなる取り合わせといった安易な表現でまとめることはできない。祖母の周囲で繰り広げられる俗世間側からの働きかけは、教会という別世界の聖なるものに呼びかけ、俗なるものの生活の面を聖なる空間に新たにもたらす。それを機に、引用文後半では教会に秘められていた未知の新たな「裏声」という側面が引き出される。それだけには止まらない。文の後半では聖なるものが、今度は反対に祖母の周囲で行われるピアノ演奏活動に新たな「歌」という精神的なるものを付与しようとする。
 鐘塔はたんなる描写の常識的な枠組みのなかに自閉する、リアルで静止した対象には止まらなくなる。祖母と鐘塔は異質なもの同士であり、両者の間に交流が交わされるはずはないのだが、長い文中においては、祖母からの働きかけから始まる協働の動きに入り始める。「尖塔の気持ちと完全に一体」になるほど鐘塔に近づき呼びかけてくる祖母に呼応して、鐘塔のほうも反応を示し、「裏声で」歌い出し、両者は向かい合って接近するだけでなく、互いが互いを高め合おうとする。鐘塔という物質に宿っていた生命が賦活され、石は生動し、その精神上の生命が祖母に新たなものを付与しようとしている。次元の異なる俗と聖、生と石という物質、現在と過去の間に厳然として従来引かれていた境界線がその双方から越境され、内と外とを隔て、それぞれ固有の領域を画してきた区画とか輪郭線が消えてゆく。われわれ読者は、確かな現実描写を読みつつも、次第に自由で勁い想像力の展開に巻き込まれてゆく。個々の不動の事物や人間を、さらに大きく俯瞰的に包摂してしまう動的な多視点を習得し獲得する。俗なる生活のピアノ演奏と鐘塔の聖なる裏声は互いに呼び掛け合い、双方からの働きかけによって相乗される新しい響きが増幅され、広く大きな時空間が共感とともに醸成されようとする。
 こうした長文は、1870年代 ー プルーストは同時期の1871年生まれ ー から盛んになった印象派の技法を想起させる。プルーストが時に引用した印象派画家モネやマネの画業においては、引用したプルーストの引用文において立ち会った要素が共通して認められるのである。印象派の主要な新技法も、それまで試みられることの少なかった日常生活を戸外制作することであり、また物の固有色だけに限定的に焦点を当てるのではなく、モノ同士が反映を送り合う様子を、補色を足して、同時対比のように描くことであった。したがって、キャンバスには、モノとモノのあいあだを隔絶するような輪郭線は引かれなくなる。印象派の絵画を見る者は、モノとモノを大きく包摂する自由なアングルを習得し、視線は複眼的に揺らぐように動くことにもなる。こうしたモノを再現しつつも、絵筆を握る者の主観性を重視する印象派は、その基本において、同時代のプルーストの描写方法を想起されるものなのである。
  
 長い文をもうひとつ引用したいので、今しばらくお付き合い願いたい・・・。以下に引用する文も、前文と基本において同様の構文になっている。唐突で謎めいた出会いがその都度起きるシュールレアリスムの文とは異なり、同様のものが変奏されつつ反復されて文脈が形成されてゆく。その文脈を辿ってゆくうちに、われわれ読者は、文中に隠されていたもの ー  同時に対比され相補されるもの ー を次第に発掘し、顕在化するようになる。

  
潜在的な形でサン=アンドレ=デ=シャン教会のゴシック様式彫刻の中に予告されたものとして私が認めることのできたコンブレの人物は、カミュの店の若い店員テオドールだった。(・・・)ところで、はなはだよからぬ男として通っていたこのテオドールは、一方で教会を飾る彫刻にこめられた精神に満ちていて、(・・・)「かわいそうな病人たち」や「わたしたちのかわいそうなご主人さま」に当然ささげられるべきものとして考えられているあの尊敬の念に溢れていたので、叔母の頭を支えてその下に枕をあてがう時は、浅浮き彫りで刻まれた小天使たち、弱ってゆく聖母のまわりにロウソクを片手に大急ぎで集まってくる小天使たちの素朴で熱心な顔付きになったが、// すると教会の石に刻まれた灰色がかったむき出しの顔は冬の木立と同様にただひたすら眠りながら力を蓄え、やがてふたたびテオドールの顔のような崇高で抜け目のない無数の民衆の顔となり、熟れたリンゴの赤みで輝く顔となって人生に花咲こうとするのだった。



 前半で、小天使に似る、しかし素行が悪い、きわめて俗なる人物テオドールが叔母の看病に熱心に取り組むと、テオドールは「小天使たちの素朴で熱心な顔付きになった」が、それに応じるようにして、//記号以降の後半では、反対に教会の石に刻まれた小天使たちの顔が、テオドールの顔に似た「民衆の顔、熟れたリンゴの赤み」で輝き始め、生動し、「人生に花咲こう」とする。引用した前文と同様、俗なるテオドールが聖なるものに境界を越境して近づき、新しい聖なる精神性を体現するようになるが、その働きかけに応じて、引用文後半では今度は聖なる小天使たちが主体に転じ、俗なる世界の生命を得て、いつのまにか俗世界に打って出ようとする。
 食料品店員テオドールは、聖歌隊員で教会の地下の案内係でもあり、教会の維持にも一役買っている。こうした「二重の職業」のおかげで彼は、「普遍的な知識」の持ち主とされてもいるし、またのちに主人公マルセルがフィガロ紙に記事を書いたときでも、「魅力的な言葉遣い」で祝福の手紙をマルセルに送っている。この時、テオドールには、ソートンという名前が付けられていて、素行の怪しげな店員は脱皮し、いつのまにか成長し、執筆活動を理解する人物に変貌している。新たな名前で呼ばれることによって、豊かな可能性を実践する人物に変貌するというプルースト特有の系譜にテオドールもここで加わることになる。
 俗と聖がただ静態的に隣接しているだけではない。両者は互いに他方からの呼びかけを聞き止め、それに積極的に応え、新たな刺激を得て、自らも主体に変貌するし、また他方を変貌させようともする。この文中においても新たな創造性、可塑性といったものが、両者が強く相互に関与することによって生じようとしている。個々のものは、独自の固有のものに止まることなく、より多彩で多義的な可能性をもう一方にももたらそうとしている。それぞれのものだけでは得られなかった相乗効果が生み出されようとしている。
 プルーストの場合、この俗と聖の相互関与は、実は作者自身の一時の思いつきや幻想によるものではない。引用した前文における教会にも当てはめられることだが、フランス語の「教会」église の語源は「集会」であり、また「呼びかけ」でもあり、教会は本来自閉し閉塞する閉域ではなく、外部の俗なるものをも招き入れる開かれた、相互浸透の場所でもあるのだ。最終巻には次のような文が書かれている ― 「芸術は、かつて実在したものがわれわれに知られずに横たわっている深みへとわれわれを回帰させるだろう。おそらく真の生命を再創造し、印象を甦らせることは大きな誘惑だ」。
プルーストの長い文は、協働性から生じる創造性を表現してゆくが、その一方でコンブレの教会に関心を示そうとしない人物も登場する。ゲルマント公爵家といえば、コンブレの教会内に私的礼拝室を構える由緒ある貴族だが、実はゲルマント公爵夫人はこのコンブレの教会を軽視している。『失われた時を求めて』における主要な主題は、その流れに逆行するような挿話を所々に挟みつつ断続的に展開されてゆく。  
 また、創意が交わされる深い対話性は間欠的に反復されてゆくが、その流れに逆行するようにして、長いモノローグもその合間に挟まれる。ソルボンヌ大学教授のブリショがふるう長広舌はその一例で、地名の語源に関する衒学的な知識を長々と披露して、主人公の地名にまつわる夢想を打ち破る。元大使のノルポワも意見を明確なものにすることを避ける紋切り型のレトリックを重ね、その長広舌でもって相手を煙に巻く。

 プルーストの長い文がそれだけですでに長編小説のヴィジョンを予告することは、次の最後の引用文によっても例示することができる。第二篇『花咲く乙女たちのかげに』で主人公は画家エルスチールのアトリエで代表作の海洋画『カルクチュイの港』を見て、その絵に魅入られる。

(その絵を)私はゆっくりと眺めたが、その中でエルスチールは、小さな町を表すにのに海の用語しか用いず、また海には町の用語しか用いていなかったが、そうすることで絵を見る者の精神を今述べたたぐいの隠喩に慣らしていった

エルスチールが自分のまわりに置いている海の絵の中でもっともひんぱんに用いられる隠喩は、まさに海と陸とを比較して両者の輪郭をことごとく取り払ってしまうものだった。同じ画布の中で黙々と飽くことなく繰り返されるそうした比較、それこそがそこに多様な形を取りながらも強力な統一を導入するもので、それが何人かの愛好家たちにエルスチールの絵が引き起こす熱狂の原因だった。


 印象派の絵画を想起させる海洋画を見て、主人公は喜びを覚える。引用した文中において海と陸は二重写しになり、協働し合うようにしてその両者から新たなものが生まれようとしている。このプロセスは、初めに引用した祖母と教会の鐘塔が向かい合い、祖母のピアノ演奏と鐘塔の歌声から、個々の音からだけでは得られなかった音楽の新たな恊働が生じるプロセスの変奏とみなすこともできるだろう。
 こうして、エルスチールの海辺の避暑地バルベック近くにあるアトリエで主人公マルセルは思う ー ここは「新しい創世の実験室」
だ、と。いずれは自分も「形態の歓びに溢れる詩的認識」に到達することができるはずだ、と。マルセルは見てとる、「どの絵の魅力も描かれた事物の一種の変貌にある」こと、また「その変貌は詩で隠喩と呼ばれるそれに似通っていて、父なる神が物に命名することで物を創造したのだとすれば、エルスチールのほうは物から名前を奪い取るか、あるいは物に別の名前を与えることで物を再創造する」ことを。
 コンブレの教会が、祖母やテオドールと新たな創造的な対話的な相互関与で結ばれたように、エルスチールの場合も隣接し相互依存するような海と陸は、ダイナミックで豊かな関連を緊密に結び直していて、そこからは新たなものが生起しようとしている。まったくの無からの、個人によって行われる一時の独創ではない。固有であること、固定であることにこだわらない、複眼的で共感に満ちた視点が豊かに組み合わされてゆく。
 2度目のバルベック滞在の際、マルセルと恋人アルベルチーヌはこうして習得した、現実の単なるコピーには終わらない、隠されていた側面を掘り起こし賦活するようなエルスチールの物の見方を実際に風景や教会に当てはめて見ようとする。しかし、ゲルマント公爵夫妻のほうは、エルスチールの絵画を購入するものの、絵の魅力が理解できない。
 なお、画家エルスチールと同様、マルセルを芸術創作へと促し導くヴァントゥイユの7重奏曲も、その基本はすでにスワンによって感じ取られたように、「創造」に向かうピアノとヴァイオリンのソナタで交わされていた問いと応えからさらに展開され増幅されるものであり、それはエルスチール絵画の延長において、その変奏として把握されるものなのだ。
    

 プルーストの長い文は、長編小説の中心的主題を劇中劇 ー 中心紋 ー のようにミクロのレベルで演出する。『失われた時』では、「私」は実はあまり独白をしないし、ドラマの筋立ても時系列に沿って繰り広げられないことがある、登場人物の性格が一定せず、人物の名前も途中で変わることがある。しかし、いわゆる近代小説の小説観に基づく先入主にとらわれずに、長い文やそれを支える複眼的思考の動きに慣れてゆけば、そうした諸点における違和感は少しずつ解消されてゆくだろう。
 また、この長い文に慣れてゆけば、翻訳において「・・・である」といった断定的で理知的合理的な語尾の頻出は、この小説にはふさわしいものではないことも理解されるだろう。長い時間の中で多くのものが失われてゆくし、人物たちも死んでゆくが、一方増幅されながら反復される親しみと促しの声も聞こえてくる。そうした対話を交わし創造へ向かう世界を表現するためには、「である」という語尾では文章同士が分断されてしまうように思われ、いささか適していないと言わざるをえない。『失われた時」には母親と祖母が愛読したセヴィニェ夫人の往復書簡集も含めて50通もの手紙が登場するし、プルースト自身リセ・コンドルセ時代には学友たちと恋愛書簡体小説を試みたことがあったが、しなやかでどこか親しみのこもる長い文の翻訳文の基調は、語りの口語口調のほうにこそにある。邦訳に適した語尾は、多用される「・・・である」という語尾ではなく、例えば親しみのこもる往復書簡の文体のほうにあるのかるもしれない。
 アントワーヌ・コンパニョンも、プルーストの文章が「くだけた書簡体の文」に近いものであり、時に口語口調に近づくことを指摘している(「時間」「プルーストと過ごす夏」所収。

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