Ⅳ.立ち広がる新しい小説世界 「失われた時を求めて」 対話的創造のほうへ 4/4

 アルベルチーヌも、祖母も、作曲家ヴァントゥイユも、作家ベルゴットも、多くの人物が死んでゆき、喪失の悲しみは深まります。コンブレも第一次世界大戦の戦闘地域になり、戦死者が多く出ます。パリもドイツ軍機による空襲に世界ではじめてさらされます。闇は深まり、黄昏めいた光が拡がります。
 しかし、繰り返し味わう失望や無力感の流れに抵抗し逆行するようにして、母や祖母や恋人アルベルチーヌから、またヴァントゥイユの音楽やエルスチールの絵画から、またフランソワーズの料理や衣服などといった生活で発揮される巧みな腕前からさえも、新たな創造への呼びかけが聞こえてきます。身近な所で編まれる人との関係性から創造の萌芽が芽生えようとします。新たな名前で呼ばれて、創造へとうながされる主人公マルセルも、多くの声から生起する対話的制作に参加するように誘われます。語り手はひたすらモノローグにふけっているのではありません。人間に潜んでいる能動性を多方面から繰り返し活性化しようとするプルーストの利他的とも言える姿勢からは肯定的な価値観がうかがえます。
 通常の小説の平均的な長さの十倍はあると言われる「失われた時を求めて」では、徐々に傾いてゆく貴族階級の消滅も描かれ、19世紀から20世紀にかけてのフランスの端境期の社会壁画も見ることができます。からみつくような愛と嫉妬が緻密に分析され、同性愛にも透徹した眼差しが向けられ、多くのことを知ることができます。それだけでなく、一定の間隔をあけて回帰する時間の間欠的な展開を体験することもできます。また、新たな声がいくつも発せられ、それは主人公に創造的な参加を呼び醒ましながら、反復され増幅されてゆきます。それらの声はジャンルを問わず多くの場から発せられ、多声からなる交響体を編み、壮大なオペラのようなものに溶けこんでゆきます。散在し散逸してもいた断片同士の親密な関連性が少しずつ可視化されてゆきます。反面、ゲルマント公爵家家系図のような堂々として輝かしくもあった連続的なモノローグのほうは、むしろ自己満足的なものであり、失望や幻滅につながります。
 紆余曲折をはらむ大きな小説世界が構築されてゆくので、その展開を展望し、一望に収めるような広い視野と時間が必要になります。最終巻「見出された時」において、プルースト自身自作を読む時は、顕微鏡だけではなく望遠鏡も使ってほしいと書いています。ミクロのレベルの細部だけにこだわるのでなく、マクロで働く動きも追えば、細部は他の細部とも関連を結び、そこからは思わぬ大きな文脈が立ち現れてくるでしょう。失われた時という過去はなるほど甦ってはきます。しかし、その過去はまだ未完成でもあります。語り手の、そして私たち読者の活発な表現行為によって、開かれる過去たち、しかしまだ未完でもあり宙吊りでもある過去たちにさらに新たな側面を付与しなくてはなりません。
 プルーストの小説は、ともすれば類型化される傾向にあった近代小説に新しい表現や構成の可能性をもたらしました。近代小説が抱え込み固定化されはじめていた慣例 ― 出来事を因果関係でつなげる筋立て、人物の不動の性格や名前、狭い縦割りのジャンル別区分け、また規格化された時空間など ― を「失われた時を求めて」は平然と押し破っています。それまでは人物の行動や出来事が物語の筋を形成してきましたが、「失われた時を求めて」においては印象や記憶の場面がヤマ場となっています。個人を静止させて知的に心理分析するだけではなく、時間の経過とともに変化する多面的存在としてその姿を追ってゆく「時間の中の心理学」、「立体心理学」をプルーストは提唱しています。また、自律する個人というよりも、人と人との関係性のほうが注目されています。
 当時のフランス社会という現実にしっかりと立脚しつつも、現実をさらに大きな観点から包むような舞台が構築されます。小説の巻末で、プルーストも書いています ― 「印象だけで芸術作品を構成することはできない。私はそのために使用できる真実 ― 情念や、性格や、風俗に関する無数の真実が身うちにひしめくのを感じた」。
 この小説の多面的な魅力や迫力は、急ぎ足で作品の表面をパラフレーズ(他の語句に言い換えて表現すること)するだけでは伝わってきません。全体という大きな文脈を考慮に入れずに書かれるモノグラフィ(個別専門研究)や、モデル探しや、審美的な内省からだけでは、「失われた時を求めて」の多彩な魅力は十分には伝わってこないでしょう。
 「失われた時を求めて」には生活の場において活発に生きる人々が登場してきます。彼らは、小説の最後になってもわれわれ読者に声をかけてきます。「創造する」と言わないまでも、「表現する」という主体的な実践に取りかかることを読者にうながし導こうとします。われわれ読者にも新たに表現を生み出すように呼びかけてきます。 
 「失われた時を求めて」は「光学器械」のようなものだ、読者もそれを使えば新しいものが見えてくるはずだ、とプルーストは最後に読者に呼びかけてきます ー「ひとりひとりの読者は、自分自身を読む読者だ」。
 主人公は最後に限りなく語り手に近づき、語り手となって独自に創造的表現に取りかかろうとします。その時、語り手となるマルセルは、語ることで自分だけが救済されることを考えてはいません。回想に自己満足気味に浸ろうともしていません。過去はノスタルジーをかき立てるだけではありません。語り手は、語りかけることになる相手である読者たちについてしきりに考察をめぐらします。主人公を先回りするようにして、語り手は「千一夜物語」やサン=シモン「回想録」を引き合いに出してこう書きます ― 「この私が書かなければならないものはこれとは別のもので、もっと長い、もっと大勢の人たちのためのものになる」。ここでも、自分の作品は知的で限定された読者ではなく、より多くの読者たちによって読まれるものとして考えられています。さらにはそうした幅広い層の読者たちに単に読むという受容だけにとどまらない、表現という主体的な反応にも取りかかることを勧めます。
 つまり、これから書こうとしている作品は、語り手ひとりに帰属するものでもなく、作品自体も狭く自己完結するものでもありません。哲学者ジル・ドゥルーズも、「あらかじめ存在するような統一とか全体性といったものを回復する、といった見方は不可能だ」と書いています(「プルーストシーニュ」)。語り手がこれから語り始める作品の完結性は、読者たちからの反応によってむしろ破られようとしています。語り手に創意でもって応える読者という関係性は、最後になってもさらに繰り返されようとしています。過去が思い出されるだけではなく、過去は現在とともにあり、そこから未来に向かうベクトルがさらに読者の創意によって作られることが求められています。
 「失われた時を求めて」には、現代的な芸術観につながる面があります。例えば、思想家ツヴェタン・トドロフは、19世紀には芸術創造を絶対的なものと信じるあまり、芸術家も鑑賞者も人生を犠牲にしてまで芸術にひたすら奉じ、作品に自己同一することが一部で起きたことを批判します。トドロフは、その姿勢を過度なものととらえ、ありうべき現代の芸術は、「宗教的、または哲学的なドグマ」にされ、形骸化されて受容者に強制されるものであってはならない、と主張します。芸術はあらゆる人に向けられるべきだし、また提案されるべきものなのだ、と続けます。「芸術は良き仲間なのだ(ツヴェタン・トドロフ「絶対の冒険者たち」)」。
 最終篇「見出された時」の文が甦ってきます ― 「私は言おう、芸術の残酷な法則は、人間は死ぬことであり、つまりわれわれ自身があらゆる苦しみをなめつくして死ぬことによって、忘却の草ではない永遠の生命を宿す豊穣な作品という草が生い茂ることにあるが、その草の上には何世代もの人たちがやって来ては、その下に眠る人たちのことなど気にかけず、陽気に「草上の昼食」を楽しむだろう、と」。

エドゥアール・マネ 「草上の昼食」(Wikipediaより)

 この文を書くとき、プルーストの脳裏には画家エドゥアール・マネの「草上の昼食」(1863年 図像参照)が浮かんでいたはずです。そして、このマネの「草上の昼食」は、ジョルジョーネの「田園の合奏」(1509年頃 図像参照)から想を得て描かれた名画です。「田園の合奏」に描かれている裸の女性は、神話における<詩歌の女神>ですが、音楽を演奏していて、主導的な役割を演じていて、男性はその脇役として演奏に聞き入っています。

ジョルジョーネの「田園の合奏」(Wikipediaより)

 上の引用文の後半で、プルーストは芸術作品は作者ひとりの占有物ではないのだから、そこに集まる「何世代もの人たち」に次々に彼ら独自の昼食の宴をはることを勧めています。詩歌の女神が奏でる音楽の記憶を共有しつつも、自分たち独自の宴をはり、交歓を愉しむことを勧めているようです。
 十六世紀の絵画の上に十九世紀の絵画が重層的に重なり、女神は、ごく普通の女性に変身します。「田園の合奏」の楽音が、昼食を囲む人たちから対話を引き出し、その交歓をさらに高めます。
 「田園の合奏」に「草上の昼食」を重ねるように比較するうちに、私は「失われた時を求めて」もそこに並べてみたくなります。プルーストはそのふたつの作品に深い共感をおぼえていましたし、文学は芸術と相互に刺激し作用を及ぼし合うからです。そうして創意に富む共感はさらに広がってゆくからです。
 私自身まで誘われるような気持ちになります。自分たちも「草上の昼食」を囲み、合奏する詩歌の女神に応えて、何かしら表現を試みてみよう、という気持ちになります。過去から交歓しあうように交響してくる流れに入って、自分も自分なりの表現を試みてみようという気持ちにかられます。

「Pablo Picasso – The Luncheon on the grass (Manet) 5, 1961」https://www.pinterest.cl/pin/384494886918680174/

 ピカソはマネの「草上の昼食」を題材に約140枚近くの絵画を世に残したといわれています。 

                  編集協力 KOINOBORI8

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