文学

書評 芳川泰久「謎とき『失われた時を求めて』」新潮社2015年

本書「謎とき」の前半と後半で論じられている二点に絞って、感想を述べたい。本書の後半で著者は、主人公と母親がヴェネチア滞在中に訪れる洗礼堂の場面(第6篇「逃げ去る女」)に注目する。このサン=マルコ寺院では、母親は聖母のイコンとして描かれ、母…

「失われた時を求めて」第1篇「スワン家のほうへ」を読む

「失われた時を求めて」の第1篇「スワン家のほうへ」を読む愉しみはどこにあるのだろうか。第一部の田舎町コンブレや第三部のパリの平凡とも見える日常の描写にも魅力は潜んでいる。その生活描写には実は主人公を創造行為へと誘い導いてゆく力が底流となっ…

私の好きな俳句 加藤楸邨と芭蕉

私は加藤楸邨の俳句に惹かれる。表現される世界は多様で多彩で、俳句特有の俳味に溢れる句も少なくない。 くすぐつたいぞ円空仏に子猫の手 「吹越」 円空が彫った精神性に富む仏に、子猫の手がじゃれている。親しみを含んだ笑いが広がるが、謹厳な仏が、「く…

プルーストの文はなぜ長いのか

『失われた時を求めて』の文体は長い。平均的な文の長さの二倍にもなることもしばしばだ。冒頭のまどろみや、それに続く小さな田舎町コンブレの描写においても、使われる表現はむしろ平明なまま静かにゆったりと文章が繰り広げられてゆく。難解な語彙や美辞…

戦時下のフランスに島崎藤村が見たもの

小説家島崎藤村(1872−1943)は、第一次世界大戦前後の混沌としたフランスに3年間滞在する。藤村はすでに『家』などの自伝作家として評価を得ていた。社会の偏見に苦しみつつ目覚めてゆく個人の内面を凝視する求道的作風で知られていた。しかし、「家…

『失われた時を求めて』 もうひとつの愛

この長編小説では当初主役として舞台前面で照明を浴びて目立っていたものが、読み進むにつれやがて少しずつその存在を希薄にしてゆきます。反対にそうした全般的な流れに逆らうようにして、それまで目立たなかった脇役たちが舞台の袖から登場してきます。長…

堀辰雄『風立ちぬ』に誤訳はあるか

大野晋・丸谷才一『日本語で一番大事なもの』の中で、丸谷才一は堀辰雄の小説『風立ちぬ』(1938)を取り上げて、言います、「巻頭にヴァレリーの ”Le vent se lève, il faut tenter de vivre.”という詩が引いてあります。それが開巻しばらくしたところ…

<小林雅子展 ― 今日の本棚・後編>を観る

上の写真は左から、 展示会案内状、作品「風と共に去りぬ」、作品「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」 小林雅子さんの作品 ― アート作品と呼ぶべきか― の一部は当ブログのタイトルバックとして掲載させて頂いています。 6月のとある日、小林雅子さんの…

マルセル・プルースト『失われた時を求めて』を通読する

オルフェウスの歌 牛場暁夫 《マルセル・プルースト『失われた時を求めて』通読のための道しるべ》 マルセル・プルースト『失われた時を求めて』を読みはじめたが、あまりの長さに最後まで読み切ることができなかった、迷路にまぎれこんだようになった ― こ…