はじめに 活発な読者として

 学生時代から私は好きな本を何度も手に取っては、メモなども作り読後感想などを書きちらしてきました。定年後も折を見ては関連する書籍に目を通し続け、新たな知見も得てきました。しかし、私は次第に自分なりに考察したことを文書にまとめてみようと思うようになりました。どうやら、私はおとなしく本から得た知識を蓄積しておくだけでは満足できない質のようです。従順な学業学習者ではなく、むしろ知識と対話を重ねては自分の意見も表現する<モノ言う読者>のようなのです。
 さいわいブログという最新ツールが生まれていました。私のような表現も行いたがる読者にとっては、ブログはまさに渡に舟のツールです。ブログには、画像や動画や音楽も、AIが作る生成画像も貼り付けることが可能です。文字情報だけに頼らない多彩な表現を試みることもできます。高尚な芸術だけでなく、サブカルチャー的な領域において考えたこともブログを通して表現することも可能になります。 
 2年半に渡り月1回くらいのペースでブログを書いてきました。ブログ記事のテーマは、文学全般、とりわけフランンス文学、芸術、建築、創作、書評、料理、旅行などで多岐に渡りますが、計30編ほどになりました。アクセス数は予想を上回り、33,000を越えました。一千以上のアクセスがあったブログ記事を中心にして取捨選択して、5章からなる目次も編集してみました
 いわゆる名作や高度に専門化した知識にしても、それを権威あるものとして無批判に学び取るだけで、その分野に限定されるものとしてそのまま対象化させておくだけでは十分ではありません。受容したものをただ蓄積させておくのは、あまり私の性に合いません。出版当時の作者の姿や心情を再現するだけでも満足できません。名作や知識であっても、それをあれこれ何度も反芻しては多角度から再検討し刺激を受けるほうが好きなのです。批判精神というフィルターにかけ、それに反応するものを見出し、そこから自らの糧になるものを貪欲に引き出そうと試みます。
 名作や知識と対話を繰り返すうちに、次第に名作独自の声のようなものを自分なりに聞きとることができるようになりました。作者の存在の根源から発せられるその声と読者の私が交わした対話から一定の成果が習得できたら、それを表現しようと私は思うようになりました。その対話からものの見方を豊かにしてくれるものを私が習得することができたら、それを活発な読者が実際に経験した成果として表現してみようと思うようになりました。

 こう考えたのも、現在刊行されるいわゆる文芸書の、とりわけ受け止め方に若干物足りなさをおぼえていたからでもあります。小説や解説書や翻訳書はしきりに出版されるし、文芸をめぐる状況は賑やかにも見えます。しかし、読者による作品の受け止め方のほうは全般的にややおとなしいように思われます。
 作品は生きた総体ですから、時間をかけて微視や巨視も使い多面的に深く読み込むことが必要です。作品のある一面だけを断片的に切り取り、それが全体の中ではたす役割や意味を問わずにその当該箇所だけの分析や注釈に終始するのでは物足りません。また、作品を賛美するあまり読者として持つべき独自の批判精神を示すことなく、結局は作者に直接自己同一してしまったり、作品をそのまま享受し鑑賞するだけの読書も見受けられます。作品の「言い換え」でしかないパラフレーズに走る向きもあります。杞憂に終わればよいのですが、書物との付き合い方がやや一面的なものになるような傾向がうかがわれます。
 狭い専門分野に沈潜し、登場人物構築のためにヒントになった<モデル探し>に終始し、そのモデルが作品全体の理解をいかに深めるかという肝心な問いかけが感じられない読書も行われます。そこには発見も情報も含まれていて学ぶ点も多々あるし、興味もひかれはしますが、最後まで登場人物の生きざまそのものへ目を向けず、存在の根源的ないとなみに立ち合おうとしないままで終わることもあります。作品へ問いかける時のテーマ設定がやや狭かったり画一的で、したがって立てた問いに対する答えがすぐに見つかってしまうことも起きます。
 文芸評論家加藤典洋も、日本の社会や文芸全般において、1990年代以降ある「萎縮」が起きていて、大きな問いを発しようとしても「足がすくみ」「空転する」ような傾向が見られることを指摘しています(「小説の未来」)。

 「では、お前はいったいどんな読書態度を良しとするのか?」という問いかけが聞こえています。
 私にとっては、作品は読者を受信一方に追い込むものではなく、読者に呼びかけ、読者を新たな発信行為へと誘うものです。能動的で主体的な表現行為へと向かわせるものです。名作はえてして謎めく世界を構えていて、未完成の部分も含み表層の下に分厚く多様な意味を潜めているものです。評価も揺るぎなく定まってはいません。読者が書物の中に探すべきなのは、プルーストが言うように、揺るがない「結論」でも「真理」そのものでもありません。作品からは読者に「手がかり」が提示されるだけです。すぐれた作品はむしろ読者によって開かれるのを待つ入り口であり扉です。
 性急な読書は、作品に宿る多彩な魅力を無視し、作品を既製の形や公式的見解にすぐに還元してしまいます。しかし、表面で起きる出来事だけに注目するのではなく、作品の底から聞こえてくる声に耳を傾ける読者は、共感を抱きながらその声を集音し、それに応えようとします。作品に潜められている声を即断や曲解や忘却から救い出し、主体的に豊かなものへ復元し再現しようとします。
 「測鉛を下ろす」という表現があります。船乗りたちは揺れ動く船上にあっても、その下の海中で、また海底で何が起きているかを知ろうとして船上から鉛を下ろします。作品の表面上のドラマの下にまで注意を向けそこに何が潜んでいるかを探る読書の姿勢には、この測鉛を下ろして深い海中の動きを探る行為に類似する点があります。哲学者ベンヤミンは、「失われた時を求めて」の読書の愉しみを、漁師たちが投げ入れた投網を、豊かな釣果を予感しながら水中から両手で引き上げる時の手のずっしりとした感覚に例えました。
 読者は作品に潜む小さくとも根源的な声を新たに見出し、それを新たな意味の可能性として作品に付与します。T・イーグルトンは文学の理論が3段階で変遷をたどってきて、現在では読者がはたす役割が注目されていることを指摘します ― まず、「作者にたいする関心(ロマン主義および十九世紀)」、次に「テクストのみに限定された関心」、そして3段階目に、「ここ数年顕著になった、読者に対する関心への移行」(「文学とは何か」1984年)。
 プルーストも、若い頃は偶像を崇拝するような見方で作者や作品を崇めました。しかし、活発な反応が呼び醒まされることのないそうした受け身の受容態度は次第に変化します。ラスキンを自ら仏訳することで、テキストの深みにそれまで以上に分け入りました。そして、それは自らのうちにラスキンに対する批判精神も育てることになり、ひいてはラスキンとは異なる自らの文学的立場を見出すことにつながりました。ラスキンを敬愛しつつもその審美的態度から距離を取るようになります。翻訳を始めることによってラスキンの発する深い声を探り当て、それに応えてプルーストは独自の立場を表現するようになり、それはさらには自らの創作活動を始める契機にもなりました。すぐれた書物は読者にとっては「結論」でもないし「真理」でもなく、読者を「うながし」、読者に「意欲」をもたらします。そうしたすぐれた書物に読者が重要性を付与するのは、作者が読者に「愛を目覚めさせる」からなのだ、とプルーストは続けます(訳者の序文「読書について」)。読書行為が人との出逢いのような親密な関係性を生むことは確かにあるのです。

 「お前の言うことはわかったような気がする。でも、例えばお前はどんな作品を思い浮かべて言っているのだ、「失われた時を求めて」以外で」という声が聞こえてきます。
 私は次のように答えましょう ― 「失われた時を求めて」以外で思い浮かべるのは、例えば、歴史、文学、宗教を通底させて思索を展開させた哲学者梅原猛作「中世小説集」です。高名な学者であった梅原猛は、中世の小説をまず読者として読み込みます。この読者梅原は、作者になって筆を取り、作者になっても読者として中世の小説群を深く読みこんだ時に受けた印象を忘れません。その時の印象を基盤として生かしつつも、それを自分なりにさらに展開させて創作しています。中世から伝わる作品への新たな意味付与に参加しています。いわば、<読者=作者>になって読書から得た印象を独自に展開させています。自分の中に共存する両者が協働作業を行い、創作が行われています。
 例えば、中世に書かれた原作「山椒大夫」の最後で、母親は安寿と厨子王のふたりの姉弟の名だけを呼びます。しかし、梅原版「山椒大夫」(2002年)ではこの二人の名前に続き、同行する侍女「うわたき」の名前が母によって新たに呼ばれます ― 「(・・・)うわたき、恋しや、ほうやれ」。原作「山椒大夫」の凄惨で残忍な悲劇に、原作にないもうひとりの「うわたき」という侍女の名前が呼ばれることによって余白が与えられ、どうしようもないほど張りつめた緊迫感が和らげられています。そのことによってわれわれ読者は、残酷な現場に固着していた
想像力をのびやかにかき立てることができるようになりました。読者としての視点を生かした形で脚色された梅原の改作では、原作では確かなものとしては表現されていなかった生への意欲が表現されていて、改作は残酷さだけに収斂されることのない風通しの良い傑作に高められています。
 なお、森鴎外も独自の「山椒大夫」(1915年)を創作しています。原作にあった残酷な場面はやはり削除されています。この小説は森鴎外の代表作に挙げられることもあります。
 私は今後とも受け身の読者ではなく、作者と対話を重ね協働し、作者の根源から発せられる声を聞き出そうとするでしょう。そして、発せられる深い声を私の音波探知機がとらえることができれば、そしてその声と対話を交わすことが可能になり、私がそこから<主体的な活発な読者>として何かを習得することができたら、そのプロセスを表現しようと思います。
 作品に刺激されて活性化する読者の想像力は、狭いジャンル別という断片化にとらわれずに、世界を、また時代を巡ります。そのことで知的好奇心はさらに刺激されることでしょう。
 「文学作品の意味は、作者の意図で説明しきれるものではない。その作品が、ひとつの文化(・・・)から、別の文化、あるいは別の歴史的コンテキストへと受け渡されていくとき、作者や作者と同時代の受容者にはおそらく予期すらできなかった新しい意味が、作品から引き出されるかもしれない」(ガダマー「真理と方法」1960年)。
 出逢う作品に長く寄り添えば、生きた声が呼びかけてきます。作品の数だけ、声は、そして記憶は潜んでいるはずです。そこまで出かけて行ってその現場で何度も採掘すれば、潜められてきた精神の声という貴重な鉱脈が見つかるかもしれないのです。
 スペインの哲学者オルテガ=イ=ガセットはこう書いて、古典的な教養がともすれば個人の内省的な内面を陶冶することに重きを置いてきたことを批判的にとらえ、現代では諸分野をつなぐ回路を模索することを勧めます ― 「生は混沌であり、密林であり、紛糾である。人間はその中で迷う。しかし、人間の精神は、この難破、喪失の思いに抗い、密林の中に「通路」を、「道」を見出そうと努力する。(・・・)その諸理念の総体、ないし体系こそが、言葉の真の意味における文化教養(la cultura)である」(「大学の使命」)。
 これは精神の旅の勧めです。実際、この引用文は近代の西欧哲学が実践哲学を軽視する傾向にあったことへの抗議でもあり、実践哲学再興を目指しています。一国内だけにとどまることなく、国境を横断し多文化の生活感覚を具体的に知り、それを自らの文化とを突き合わせみる。そうした実践からは柔軟で複眼的な視野が開けるし、そこには表現も行動も伴うことでしょう。
 冒頭で私は<活発な読者として>表現してゆきたいと述べましたが、それも引用したオルテガの文に共鳴するからです。<活発な読者として>ということは、<国家に従うだけの臣民(subject)>にとどまることではなく、多文化を生き、そこで独自の思考を育む<世界の市民>という意味です(苅部直「移りゆく教養」)。
 実際、ヨーロッパ中世における大学の創設期には、大学生たちはヨーロッパ各地に開講された諸科目を学ぶために長い旅をしました。「医学」を学ぶためには遠くイタリアまで足を伸ばし、「悪魔学」を履修するためにはスペインにまで出かけました。文化の中心がアメリカやヨーロッパの主要都市には限られなくなっている現在では、多くの若者たちが辺境ともされてきた世界各地まで旅するようになりましたが、彼らの旺盛な知的好奇心は大学創設期において当時の若者たちが抱いた実践を伴う知的好奇心を彷彿とさせます。
 ともすれば古典的教養教育においては個人の内面の陶冶が目的とされ、知識はそれぞれ個別に抽象的概念的に学ばれてきましたが、私は外部のマイナー扱いされてきた生活の実用上の知恵とも対話を交わします。そうして知り経験する多様な現実は互いにつながり、大きな時空間が編まれてゆきます。そこからはわれわれ読者を考察に誘うだけでなく、考えたことを表現させ実践させようとして呼びかけてくる声が聞こえてくるのです。

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