(1/2)なぜ「銀河鉄道の夜」の続篇「銀河ふたたび イーハトーヴのほうへ」を創作するのか


www.youtube.com

 「銀河鉄道の夜」は、作者宮沢賢治が亡くなる1933年(昭和8年)までの10年間、繰り返し書き直されました。現在残されている最終稿にしてもそれは決定稿ではなく、賢治が生きていれば、その後にも加筆や訂正が行われたはずの未定稿と考えられています。
 「銀河鉄道の夜」は死後出版された未完の童話ですが、その枠を越えるような傑作です。大正時代に全盛を迎えた私小説には見られなかったような、社会への問いかけが含まれた、斬新な詩情に富む作品です。私小説では多くの場合、ウエットな風土において作家個人の<私性>が執拗に凝視されましたが、昭和に入ると、そうした狭い殻は打ち破られ、新しい創作の時代が到来し、多くの傑作が生まれます。「銀河鉄道の夜」は、こうした昭和初期の文芸興隆期を代表する作品のひとつです。
 沈痛な美しい闇も描かれますが、物語の舞台ははるかな銀河へ、天空へと膨らみ、銀河を旅するふたりの少年の周囲で繰り広げられる物語には多くの魅力が秘められています。暗黒星雲も現れ、時には神秘的にもなるし、少年がおぼえる孤独も喪失感も描かれますが、星々は実在感に富み、そこに宿る生命感はわれわれ読者を新しいファンタジー、幻想の世界へと連れ出してくれます。同時にこの童話にはそれだけにはとどまらない、生と死とか社会活動といった大きな問題も実ははらまれていて、それらはこの童話に深みのようなものを与えています。

画像はGAHGより

 しかし同時に、この傑作には展開がなめらかに進まない箇所が何箇所かあり、このため読者はある当惑をおぼえることになることは指摘しておきましょう。
 例えば、作品巻末で主人公ジョバンニの親友カムパネルラは水死しますが、親友との死別というこの作品の最大の事件にしても、その箇所では話があまりにも速く性急に進んでしまいます。もちろん、親友カムパネルラが川に落ちた友人を救おうとして自己犠牲ともいえる行為を行い、溺死を遂げることはよくわかりますし、そこに緊迫感が広がり、事故現場に駆けつけた主人公ジョバンニが覚える絶望や喪失感も伝わってはきます。しかし、友情の喪失という悲劇を描写するにしては、事態は何度かあわただしく急変するし、主人公の心情も充分には描かれません。傑作にしては結末はあまりにも唐突なものになっています。この結末には、もっと多くの字数が必要ですし、もっとたっぷりとしたテンポの展開が必要だったはずです。さらなる加筆補筆がなされるべきだったのではないか、と思ってしまいます。尻切れトンボ状態で終わっている、という思いがぬぐいきれません。
 結末がそれに先行する物語とは違う性急な調子で書かれていることを確かめるためにも、まずはカムパネルラとジョバンニの友情にまつわる場面を少し具体的に見てゆきましょう。

 ふたりの友情は、作品全般にわたって間欠的に反復されて描かれてゆきますが、その関係はサスペンスのように未知の部分をはらみながら、作品を構成する重要なテーマとなってゆきます。精神上の探究を共有しつつ次第に深まる少年同士の友情は作品を貫き、その豊かな主調は読者を強く引きつけます。
 カムパネルラとジョバンニは学校の同級生ですが、カムパネルラのほうが精神的には成熟していて、示唆し暗示するようなやり方でジョバンニに多くのことを教え、彼を導こうとします。銀河のことをジョバンニに教えたのはカムパネルラですし、級友たちから仲間はずれをされるジョバンニのことをなにかと気遣うのもカムパネルラです。
 銀河鉄道の白鳥の停車場で、「白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ」と言って ― といってもただほのめかすだけで理由は言いません ― 白鳥地区の野原の美しさにジョバンニの目を開かせるのもカムパネルラです。
 カムパネルラはその後に突然銀河鉄道の車内から姿を消しますが、その失踪直前にはるか彼方の野原 ― おそらく白鳥地区の野原 ― を眺めながら、何かを「決心」したかのような態度で謎めいたことをジョバンニに語りかけます ― 「みんな集ってるねえ。あそこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのはぼくのお母さんだよ」。
 ジョバンニはその内容が理解できませんが、何かしら重大なことを口にするかのような真剣なカムパネルラの態度に圧倒されたのか、彼に「どこまでもどこまでも」ついてゆこうと心に決めます。
 実際、作者宮沢賢治は、人から投げかけられた友情には応えなくていけないという信念の持ち主でしたし、それが芸術作品を生む力にもなると考えていました。
 カムパネルラが溺れかけた友人を救うものの、自らは川で水死する最後の場面にしても、意外なことが書かれています。親友カンパネルラとの死別の現場を前にして、ジョバンニは悲しみにかきくれて、ただその場に立ちつくすわけではありません。ジョバンニは、意外にも、自己犠牲を遂げたカンパネルラがそのままただちに転生して、銀河のほとりでまだ生き続けていると思います。そして、川ではなく、親友が転生しているはずの銀河のほうを見上げます。カンパネルラの死ではなく、天の川にのぼって受けた新たな生のほうを思い浮かべます。そのとき、人はジョバンニに「水死」とは告げません、「カンパネルラが川にはひったよ」と告げています。川は銀河のように見え、「ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいなゐといふやうな気がしてしかたなかったのです」。
 しかし、ジョバンニに起きたこの大きな心境の変化についての賢治による説明は書かれていません。賢治は登場人物の心理をあまり分析しない作家です。でも、死から生へ突然の転生が起きたのです、何らかの説明のような記述があってもおかしくないはずです。賢治は、カンパネルラの再生については、いずれ加筆によってなんらかのか説明を書き足そうと考えていたのではないでしょうか。
 また、作品の結末においては、ジョバンニは病気のおっかさんの滋養のために探していた牛乳を首尾よく手に入れ、牛乳を家に持って帰ります。その直後に、作品は次の文で突然終ります ― ジョバンニは「(・・・)一目散に河原を街の方へ走り出しました」。
 つまり、親友の溺死という大事件にもかかわらず、親友の転生を天の川に確かめると、現場を離れ、家にすぐに帰り、そこで母親と北方への漁のために長く不在だった父親の久しぶりのの帰宅を知り、家にとどまって小さな慰安に浸ろうとするのかと思いきや、最後の最後に今度はジョバンニは家から不意にふたたび外へ走り出してしまう。まるで、これから何か大きなことがさらに起きるかのような所で作品は終わってしまいます。こうしたいくつかの短いエピソードだけが立て続けに並べられているばかりで、急激ないくつかの場面転換を無理なくつなぎ合わす大きな脈絡のような流れが十分には感じ取ることができません。
 いったいどうして川で水死したばかりのカンパネルラが生き返って銀河にのぼったように見えたのでしょうか。なぜ、突然家族の団欒が再び構成されたのでしょうか。なぜ、ジョバンニはその地上のハッピーエンド風の家を飛び出して、何かに駆り立てられるようにまた外に走り出て、街のほうに向かったのでしょうか。
 
 賢治がもう少し長生きしていたら、このあわただしく進行するカンパネルラの自己犠牲の場面に加筆を行い、読者を納得させるような展開を新たに執筆し、未完の最終稿を決定稿に高めようとしたのではないか ― そんな想像が脳裏をかすめます。
 浅学非才も顧みずに、私なりの「銀河鉄道の夜」続篇を、<創作「銀河ふたたび イーハトーブのほうへ」>と題して創作することをお許しください。病のために最晩年の代表作とも言われる作品に自らの思いを具体的に託すことができなかった賢治の無念のようなものが私を促し、続篇創作のペンを私に握らせようとするのです。
 私としては、次のような大筋で続篇を構想してみます ― 最後に家から飛び出たジョバンニは、溺死後に転生して銀河にのぼったと思われるカムパネルラを追いかけて、自らも地上から離陸し、銀河へ向かう旅をふたたび試み始めはじめたのではないでしょうか。そうした想像の翼が私の中で広がりはじめます。そう、カンパネルラに「どこまでもどこまでも」ついてゆく、とジョバンニは銀河鉄道の車内で誓ったのです。
 大胆な想定ですが、私はカムパネルラと銀河において再会しようとする、ジョバンニ単独行の旅を次回ブログにおいて「続篇」と題して描いてみたいと思います。ジョバンニが死後のカムパネルラを追って銀河へふたたび舞い上がる二度目の旅を。きっと、カンパネルラは、銀河鉄道の車内で出会ったような土地の人々と一緒になって、銀河のほとりで働いているように思えるのです。
 そして、現行版では伏線のまま回収されることなく未完の状態で放置されている白鳥停車場周辺の美しい野原にもっと記述を加え、さらに具体的な文脈の中に入れて魅力に富むものにしてみたい。そこでは銀河で転生したカンパネムラがもうすでに率先して働いている、野原をさらに輝かそうとしてきっと土地の人たちとも話し合いながら・・・。そこに、ジョバンニは地上からようやく合流します。根源的な母性を想わせ豊かな収穫が予感される白鳥停車場周辺の広場は作品の核にもなるはずだったと思われてならない・・・・。
 ジョバンニは、必死になって銀河まで上昇し、白鳥停車場周辺でカムパネルラに追いつこうとします。彼と一緒に働こう、野原をさらに輝かしいものにしようとして。
 こうした独自の「続編」を構想するとき、賢治のいくつかの先行作品がヒントを与えてくれました。「薤露行」、「マリヴロンと少女」だけでなく、「銀河鉄道の夜」と類似点があるとされる三編の長編童話「ポラーノの広場」、「風の又三郎」、「グスコンブドリの伝記」などです。
 とりわけ、「グスコンブドリの伝記」における自己犠牲の描かれ方からは強い示唆を受けました。この長編童話の主人公グスコンブドリは、噴火する火山に身を投じ、自分の命を犠牲にしてその地方の気温を上昇させます。そのことによって、イーハトーブ ― 岩手をもじった理想郷 ― の人たちを冷害からまもります。そこには、カムパネルラの溺死後にはついに描かれることのなかった自己犠牲の後に展開されるはずだった後日談がすでに ー 萌芽の形ではあれ ー 書かれていると私は考えます。 
 「けれどもそれから三四日立ちますと、気候はぐんぐん暖くなってきて、その秋はほぼ普通の作柄の年になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのやうになる筈の、たくさんのブドリのお父さんやお母さんたちは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖いたべものと、明るい薪で楽しく暮すことができたのでした」。
 賢治においては、自己を犠牲にしてもその結果は絶望や喪失で終わることはありません。人びとを生のほうへと向かわせることにつながるのです。
 ブドリの自己犠牲によって豊かな実りを迎えるようになった土地には、母親が複数人描かれています。時間を超えて、次世代を生み、育て、命を命につないでゆく根源としての「お母さん」たちが生きています。このため土地における作物の生育が代が変わっても引き続き行われてゆくことが暗示されています。
 賢治の作品で描かれる自己犠牲のテーマは、現行版「銀河鉄道の夜」のように死それ自体や、その直後に描かれる家の中での小さなハッピーエンドでもって突然切断されるように終わってしまうものではないはずです。
 現行版「銀河鉄道の夜」に未完の断片のように取り残されている輝かしい白鳥停車場の野原にしても、「グスコンブドリの伝記」における「イーハトーブ」のような豊かな場としてさらに加筆され賦活されるはずの共同体の場だったのではないでしょうか。ブドリの自己犠牲によって凶作からまもられた「イーハトーブ」のように白鳥停車場の野原も、 転生してそこに合流したカンパネルラによって、また彼に合流するジョバンニよって、 また銀河のほとりに生きる人々の活動によってさら活性化されにぎやかになるはずだったのではないでしょうか。
 「よだかの星」のサソリのエピソードでも明らかなように、自己犠牲を行なった者はその後に人びとを生かすより積極的で肯定的な役割をはたします。自己犠牲を行なう者は死の状態にとどまることなく、その後スケールの大きな生への活動へと反転するように向かいます。そして、このテーマは賢治の作品でしばしば扱われています。
 川で溺れかけた級友を救うために水死したカムパネルラは、生前に車内で白鳥停車場地区の野原の豊かさをジョバンニに教えています。その広場には「みんな」がいるし、豊かな生産を示す根源的な母性である「お母さん」もいることもカンパネルラはすでに暗示しています。カンパネルラは見えないものを見る力を持っていました。白鳥地区には絶え間なく生成や生育が行われ続けることを意味する、「お母さん」がいることをカムパネルラは生前にすでにこうして示唆しています。この「お母さん」は自分自身の実際の母親のことではありません。彼は自身の母親なら、「おっかさん」と呼んでいますし、病気のおっかさんの看病のことなら現行版で書かれています。しかし、それはごく短い記述でしかなく、後にさらに展開されるはずの伏線でしかありません。しかし、この伏線も現行版ではその後に回収されることなく孤立したままです。この伏線も萌芽のまま取り残されていて、その着地点は不明のままです。
 自作<創作「銀河ふたたび イーハトーブのほうへ」」>では、カンパネルラとジョバンニは、かつて訪れた白鳥停車場の野原を再訪します。そして、今度は実際にそこで働き始めます。銀河のほとりで生きる土地の人たちと協力して野原をさらに耕し始めます。賢治はカンパネルラ個人をひとりだけ救い出そうとはしません。生の根源でもある食を支えようとして土地の人たちとともにカンパネルラは農業を実践します。彼の自己犠牲の死は悲劇ではなかったのです。賢治は書いています ー 「みんなむかしからきやうだいだから けつしてひとりをいのつてはいけない」(青森挽歌)。
 
「みんな」や「お母さん」が集まる現行版「銀河鉄道の夜」の野原をさらに展開させる際には、「ポラーノの広場」も参照しました。主人公キューストは、小学校生の友人ファゼーロとともに農民たちが共同で運営するポラーノ広場を探しに出かけます。見つけるにはみつけましたが、その広場は選挙のための酒盛りや乱闘騒ぎが起きる所でしかありません。しかし、最後に、つめくさが咲き乱れる野原の向こうに自分たちの手によって新たな広場を「こしらえよう」と、キューストとファゼーロのふたりは誓い合います。このふたりは、カンパネルラとジョバンニを思わせます。
 少年キューストが口笛を吹きながら作詞作曲した楽譜「ポラーノの広場」が、同名の作品の最後に引用されていますが、その数行を引用します。

  まさしきねがひに いさかふとも
  銀河のかなたに ともにわらひ
  なべてのなやみを たきゞともしつゝ、
  はえある世界を ともにつくらん

 賢治は、昭和初期に盛り上がった農民運動や産業組合運動といった実践的な社会運動に共鳴し、実際に農民の生活と接触を深めますが、農作業の経験のない賢治は病にも冒され、現実において共同生活を組織することは断念せざるをえなくなりました。しかし、地上の現実とは異なる銀河という天空において、賢治はもうひとつの、やはり共同体のような場を ― カンパネルラと手を携えながら、白鳥停車場の野原において ― 作り上げようとしたのだと思われます。
 その社会的背景として、当時の地方文化の知的文化的成熟を挙げることができます。昭和初期にはすでに地方に設置されていた旧制高校に続き、商業高校や工業高校が次々に新設されます。また、大正14年に開始されたラジオ放送は全国にリアルタイムで全国中等野球大会(現在のいわゆる「甲子園大会」)の放送も始めます。それ以前には厳然として存在していた帝都東京と地方とのあいだの文化的格差は相対化され、昭和10年代は「一種の地方の時代」ともなっています(亀井秀雄「都市と記号の時代」「講座昭和文学史1」所収)。

 白鳥停車場の広場のすぐそばには石炭袋と呼ばれる暗黒星雲が死の孔となって顔を覗かせ、すべてを飲み込もうとしています。「どほん」と巨大な口を大きくあけています。そうです、賢治の周囲では死がいつも辺りをうかがっています。
 賢治が死んだ最愛の妹トシを悼んでひたすら北に向かう汽車の旅を続けたとき、「さびしい停車場」を通ったことも指摘しておきます。賢治は花巻から夜行列車で旅立つが、それは当時の日本の最北端樺太までの孤独な単独行であり、それは死に魅入られたような彼岸への道行でもありました。「青森挽歌」では次のように「さびしい停車場」のことが書かれています ー「あいつはこんなさびしい停車場を/たったひとりで通っていったろうか」。
 しかし、この「さびしい停車場」は、「銀河鉄道の夜」において「お母さん」を含む多くの人びとが集まる銀河の白鳥停車場に最後に変貌する。最愛の妹トシの死という絶望を乗り越えようとする賢治は、汽車の進行方向も北から南へと最後に反転させます。死に抵抗し死にあらがいながら、かすかな生のしるしと交信しながら、賢治は生がいとなまれる場を紡ぎだそうとします。
 「みじんに散らばる」かすかなものであれ、星々にも生が宿ります。賢治はそれらにも名を付けようとします。星めぐりの歌に合わせて、双子の星は一晩銀笛を吹く。名付けられたことに応えるようにして、「あおいめだま」や「あかいめだま」の星も光ります。
「すぎなの胞子」と呼ばれる星も光ます。今晩は星祭りの最後の夜です。お祭りのにぎやかさは、星々に生を与え土地の記憶も呼び醒まされます。

 現行版「銀河鉄道の夜」は九章から成り、それらは第一章から順に次のように題されています。1.午后の授業、2.活版所、3.家、4.ケンタウルス祭の夜、5.天気輪の柱、6.銀河ステーション、7.北十字とプリオシン海岸、8.鳥を捕る人、9.ジョバンニの切符。
 これらの現行版の9章に、あえて想像上の10章を設け、それを「銀河ふたたび イーハトーブのほうへ」と題して創作します。目立たない萌芽のままとなっている、しかし重要なテーマに育つはずだった断片に息吹きを吹き込み、諸家の論考からも想を得つつ、新たな「銀河鉄道の夜」を独自の形に増幅し展開させてみます。

                            編集協力・KOINOBORI8
                               

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村