コロナ禍の日々:酉の市招福熊手、パン生地、母


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   11月 某日
 神社で開かれていた酉の市に行ってきました。コロナ禍にあっても、市は以前にもまして賑わっていて、招福熊手もよく売れていました。商談成立後の威勢のいい三本締めの掛け声が小雨模様の露店のあちこちからはじけました。手締めによって売り手は活気溢れるパワーを買い手に返礼として送っていました。招福熊手は商売繁盛や開運を祈り「福をかき集める」熊手とされ、そこにはお多福や七福神や宝船や大判小判などの縁起物が豪華に盛り上がるように飾り付けられています。
 残念ながら今ではほとんどすたれましたが、おもしろいのはその買い方の作法です。招福熊手を安く買うほど縁起が良いとされていたので、買い手はまず売り手と値切り交渉をはじめます。しかし、割り引いてもらっても、買い手はそれをお釣りとして懐に収めてしまうのではなく、そのままお釣りは全額売り手に御祝儀として返金します。すると、売り手は買い手からの返金に応えて、例の勢いのある三本締めで応えます。返礼という気持ちのやり取りが売り手と買い手のあいだで交わされ、そのことによって熊手はモノとしての即物的価値に、売り手と買い手の人格的価値、さらには縁起物としての価値が宿り、さらに輝かしくされます。熊手という商品には、儀式的熱気の中で人と人のあいだで交わされる人情という付加価値付まで加えられてゆきます。
 セルフ・レジや通販にすっかり慣れてしまいつい忘れがちになりますが、物を買うという行為は買い手一人だけで成立するものではないし、額面通りの交換だけに終始するものでもなく、返礼したり贈答したりする時の人間の人格の要素をも含んでいます。気持ちのやり取りが売り手と買い手のあいだで交わされてはじめて成り立つ行為でもあったのです。忙しい日常を送っていると、こうしたやり取りなどまどろこしく映るでしょう。でも、共感が生まれる対面での交歓に基づくこうした売買には、通りがかった人を立ち止まらせる活気に溢れていました。
 熊手を買った人は、福を多くかき集めることができるように熊手をそのまま高く掲げて持ち帰ることが勧められています。大丈夫です、そんなことは知らなくとも買った人は熊手を高く抱えて目黒の権助坂の長い急坂を意気揚々と上って行きます。人ごみをかきわけ、背筋をピンと伸ばして・・・・。交歓の賑やかさに囲まれ。私もなんだか大鳥神社を中心とする下目黒という地域社会に参加したような気分になりましたし、昔ながらの活気に浸ることができました。コロナ禍にあって立ちすくむ日々は続きますが、地域に根付く日常は揺るぎません。町から元気がもらえて、気持ちがほっこりしました。
  マルセル・モースの「贈与論」(1924年)を思い出しました。以前は物の経済的即物的価値だけでなく、そこに人格的価値や霊的な価値が付加されて売買が行われることがあったのですが、そのいくつかの事例を世界から集めて分析したモースは売買における互酬性の重要性を唱えました。売買においては、モノと一緒にモノにまつわる人格や記憶や霊までが足されてモノが贈られあうことがあったのです。そのことにより贈り手と受け手はより親密な絆で結ばれた。このことをモースは、具体的例示に基づいて分析しました(中沢新一「野生の科学」2012年)。これは新鮮なアプローチでした。そして、この互酬論は漫然と無批判に消費社会を生き、利便性や経済合理性に流されて売買を売り手から買い手への一方向的な行為としてのみ考えていた私には一種の警告にもなりましたし、この本は私の記憶に深く刻まれました。

パン生地

 
   ○月 ○日
 コロナ禍が長く続いているため、外出を控えめにする巣ごもりのような生活を送っています。刺激の少ない、単調な日々・・・・。
 でも、そんな中にあっても、小さな驚きが足元に転がっています。
 YouTubeでパン作り動画を見ましたが、パン作りの後半の「ベンチ・タイム」に惹き込まれる。まず、一次発酵後のパン生地からガスを抜き、それを手で丸めて、綺麗ないくつものボールにする。乾かないように霧吹きを吹きかけたり、絞った濡れぶきんをかけたりしながら、ベンチで十五分ほど休ませる。パン生地を柔らかくして、最後の成形の時に作り手の思い通りの形になるようにする。だからベンチ・タイムのあいだは作る人はその場を離れずに、休んでいるパン生地の球体をウォッチングするほうが良いだろう、そう言う人もいる。山場なのだ。
 その後トッピングとともに成形し直すと、素材はまた生成し始め、ふくらみ始める。作る人のもみ方などに合わせて、息づき始める。でも、今度は生地は時に気難しく反応する。生地はモノも言わずに、とんでもない形になってしまうこともある。だから、作る人は、その球体のご機嫌をじっとうかがう。「ベンチ・タイム」で休む球体を女性にたとえる人がいるのもうなずける。
 時には二倍にまでにふくらむ球体群が、シロウト・カメラマンの薄暗い動画像の奥から静かに浮き上がり、音も立てずに、こちらに迫ってきます。ナレーションもなく、音楽も流れない。どこか危うげなカメラが、いつもなら「ナナメッテル!」と言われてしまいそうな思わぬ角度からパン生地を執拗に追う。薄暗がりの奥から、パン生地は少しずつ、裸形の生々しくはりきった姿を現わす。ベンチ脇に立つ監督の手を離れ、球体はいつのまにか堂々と独り立ちしている。トッピングなどで美味しく仕上げられ、パンは圧倒的な素の健康美を人目にさらす。パン生地はたんなる無生物の物質として知覚される対象であるだけにはとどまらなくなる。それを見るわれわれに生き物となって挑み始める。われわれの想像力は刺激される。生が吹き込まれたパン生地はそこに潜められていた生起する力を発揮し始め、目の前でゆっくりとふくらみ始める。
 私がYouTubeでパン生地がこうしてふくらむまでのプロセスに思わず見入ったのは、以前に哲学者ガストン・バシュラールの「大地と意志の夢想」(1948年)を読んだことがあったからだろうか。哲学者バシュラールもその書物の中でパン生地が豊かな夢想へと導く物であることを述べている。たしかに、バシュラールの言うように、パン生地は、土から育てられた小麦粉と水とが人の手でもって混ぜ合わされ、寝かされて空気にしばらく晒され、それから火で焼かれる。世界の四大要素である土、水、空気、火がすべて使われてパン生地は作られ、それはふくらみ、生きもののようになってパンになってゆく。コロナ禍にあって、閉塞感が広がりますが、その中にあっても、パン生地という物質は、なるほどまるで生を得たかのように黄金色に輝き、ふくらみます。
 その本の読後感に、私は自分なりの考えを足してみる ー 聴覚をのぞけば、パン製造のプロセスでは私の五感のほうも総動員されることになるはずだ ー 見る、触る、香る、味わう、私の身体の中で、それらが総動員される。これはめったには起きないことだ。さらにパン製造の際は、時間が普段とは異なる、熟成のゆっくりとした豊かな流れを刻むのに立ち会うことが「できるはずだ。これも稀にしか起きない。
 ステイ・ホームのコロナ禍にあって閉塞感を感じつつも、パンが作られる長いプロセスに立ち会うと、意外にも活動中の身体性のような感覚を感じるようになります。それにしても、パン生地を哲学者が取り上げて、そこに秘められている豊かさを語ってくれるとは・・・。パン生地という物質が生を得てふくらむことを、想像力と科学的な分析によって哲学者バシュラールは語ってゆきます。いつかじっくり再読したくなります。
 でも、ふと思います、私は私なりにパン生地だけでなく、パン種にも注目してみよう、と。ごく少量でも酵母を含んだパン種は、パン生地という物質を自分好みの生き物に変化させ、生地を思い通りの味に、さらには黄金色にふくらませてみせる稀に見るスグレモノなのです。このパン種には、<種>という語が使われています。<種>は、モノだったものを賦活させ、発芽させてみせ、生の植物に変形させ、さらに大きく育ててみせます。パン種には、生の可能性がギッシリつまった<種>という語が使われています。

ゴッホ、<種まく人>、1888年、クレラー=ミュラー美術館

 秘伝のパン種を密かに保存管理している人は、なにもパン屋さんだけには限られないはずです。モノを生に転換させる秘法を探す私は、ゴッホの「種まく人」が首から吊るす種袋を思い浮かべました。「種まく人」(図像参照)は、大股で畑を歩き、大きく腕を振って種を蒔いてゆきます。
「心の師」である画家ミレーの「種まく人」を繰り返し模写するうちに、ゴッホの「種まく人」には変化が起きます。麦畑の奥の地平線に大きな黄色い太陽が現れるようになります。すると、それまでくすんだ色調だったその絵は、現れた太陽に照らされているうちに、次第に生彩を帯び始め黄色い色合いを帯び始めます。南仏で見た黄色く輝く太陽が、麦畑を生の場に変えます。ゴッホの種まく人が首から吊るす種袋には、太陽に温められた種が生に至り、発芽するまでのその長いプロセスを撮った動画が潜んでいるようなのです。私は畑に蒔かれた種が、何度ものさまざまな刺激を受け、ついに発芽するまでの長い時間を想像してみます。

 加藤楸邨の句も思い出しました。

   パン種の生きてふくらむ夜の霧           野哭
 
 戦後直後に作られた句です。この句を載せた句集「野哭」巻頭には、「この書を今は亡き友に捧げる」と書かれています。

   △月 △日
 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』の中にこんな一節があります、「西洋人は闇を嫌い、隠を払い除け、明るくしようとする進歩的な気質があるのに対し、東洋人は己のおかれた境遇に満足し、現状に甘んじようとし、それに不満を言わず、仕方ないと諦め、かえってその状況なりの美を発見しようとします」。
 この文の前半の西洋人が「闇を嫌い、隠を払い除ける」との指摘には納得がゆきます、例えば、作家アルベール・カミュは芸術作品を闇の中で虚空を照らす灯台にたとえます。芸術作品には、闇に敢然として立ち向かい、進むべき進路を照らし出し、人を導く力があるとカミュは指摘します。
 後半の東洋人の美意識 ― 「その状況なりの美を発見しようとします」 ― にも賛同します。ただし、私は東洋人が「現状に甘んじようとし、それに不満を言わず、仕方ないと諦める」とは思いませんし、ここにはやや誇張さえ感じられます。東洋人がそれほど消極的であるとは思いません。また、『陰翳礼讃』では東洋人の美の例として、お歯黒や厠、つまり和式トイレのしつらえ、金屏風、行燈、螺鈿といった谷崎美学のやや限定された特殊なものが並べられてもいます。高尚な谷崎美学でなく、もっと現代の身近な日常生活の身辺から美や生の例を見出すことはできないだろうか。
 こう言ってしまってから、ふと思い出しました。たしか、谷崎も特殊な物ではない、和菓子やお椀といった日常茶飯の品に美や生の例を見出していたはずだ。さっそく、読み直してみる。    

  私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつゝこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。

 谷崎によれば、東洋人は逆境にあってもお椀から虫の音を聞き出す耳を持っている。それに、羊羹(ヨウカン)からも特有の官能美を見てとる目も持っている。

 (ヨウカンの)玉(ぎょく)のような半透明に曇った肌が、奥の方まで光りを吸い取って夢見る如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。

 谷崎は、お椀が生き物のように「ジイと鳴る」のを聞き取ります。ヨウカンを女性に見立てて、そこに女性の肌のような美しさを見て取ることができます。なにも選び抜かれ洗練された高尚な芸術作品からでなくともよいのです。日用のお椀やヨウカンからでも、なにげに生のしるしや女性の官能性までも見てとる谷崎のセンスに改めて驚嘆します。

 「で、お前はどうなんだ。美を見抜く力はあるか?」という声が聞こえてきます。
 私にはそんな力などありません。でも、コロナ禍にあっても、小さな「気づき」は体験しました。詩人吉田一穂の「母」という詩についての解説をいくつか読んだ時のことでしたが、私は少し物足りなさ、というのか違和感を覚えました。
 この詩についての私の独自の解釈を述べる前に、まずその詩「母」を以下に引用します。


    あゝ麗はしい距離(デスタンス)、
    つねに遠のいてゆく風景・・・・・

    悲しみの彼方、母への、
    捜り(さぐり)打つ夜半の最弱音(ピアニツシモ)。

 私は「母」という詩に付けられた解説 ー ある一般書につけられた解説 ー に物足りなさをおぼえました。そのエッセイではもっぱら亡き母が消えつつある存在であることが確認されていました。母は喪失に向かうだけの存在としてまとめられていました。そうして死後に沈黙や忘却に飲み込まれてゆくとき、亡き母は言語化され、それはそれだけで美しい詩に純化され昇華する、とも。でもそれだけでしょうか。吉田は母の喪失をただ見守るだけでしょうか。この詩にはもっと多くのことが表現されているはずです。
 詩人吉田を亡き母の捜索へ探求へと駆り立てるようなより強い思いも表現されているはずです。この詩で、作者吉田一穂は母の消失を前にして手をこまねいてたたずむだけではなく、消えてゆく母をより積極的に主体となって探し出そうとしています。たとえそれが無謀で不可能な試みであるを知りつつも、その闇の国に分け入ってゆこうとする吉田の姿勢が感じられます。
 引用文三行目には、「母への /捜り打つ夜半の最弱音」とあります。この文の主語は、明示されてはいませんが、吉田一穂自身です。吉田は楽器でさまざま音を弾き、亡き母に呼びかけ、その音に応えようとする亡き母を探っているはずです。母からの反応を聴取できるように、吉田は最弱音も使いながら、亡き母のほうへ楽器を奏でます。母の気配は次第に消えてゆきます。楽器を奏でながら死の冥界にまで降り立ち、母からの応答を待ち、母の声を聞き漏らすまいとして耳をそば立てて必死に母を探し出そうとする吉田の能動的で意志の力のほうも表現されているはずです。
 この母は神話のエウリュディケを思わせます。吉田は竪琴を弾きながら冥界で亡き妻エウリュディケを探し出し地上に連れ戻そうとする夫の楽人オルフェウスを思わせます。オルフェウスは最後に掟を破って後ろを振り返ってしまい、このためオルフェウスの後ろを歩き地上に帰還しようとしていた亡き妻エリュディケは、地上に戻ることができなくなります。吉田はオルフェウス神話のこの悲劇的な結末は知っていたでしょう。それでも、彼は亡き「母」に呼びかけ続けるのです。
 コロナ禍にあるので、身近にも広がる不安や、死にあらがおう、流されまい、せめて抵抗はしようとする気持ちにうながされて、私は吉田の詩「母」から亡き母を探し、母を地上に呼び戻そうとする強い姿勢をことさらに読み取ろうとしているのかもしれません。しかし、吉田がこの詩に託した、死やその後に来る忘却を甘受し、そこにひたすら忍従するまいとする強い思いに、私は共感や感銘をおぼえました。
 吉田の詩の背後、つまり母の背後には、彼の故郷である北海道古平町やその神威岬が原風景となって広がっています。「望郷は珠の如きものだ」と一穂は書いています。哲学者バシュラールも指摘しますが、球体や円はモノのもっとも張り切った充溢した形態です。故郷はただ感傷的な受け身のままにとどまるものではなく、輝かしさを秘めて、吉田からの呼びかけを待って反応しようとしているようです。その存在を時に充溢させて、「珠」のように故郷は精一杯ふくらみ、呼びかけられるのを待ち構えています。叙情に流されず懐旧にひたることもない吉田は、故郷のその「珠」のほうに視線をこらし、「珠」が反射するように放つ輝きを見てとろう、またかすかなつぶやきでも聞きとろうとしています。その試みを表現しようとします。こうした試みは、精神上のことで、想像上のことです。でも、そこで吉田は亡き母に出逢おうとしています。
 吉田は詩作信条を「生物、生命」に置いていました。詩作品に潜んでいる生動的な力強がどこかで生起し、立ち広がろうとしています。故郷の北海道古平の神威岬(カムイ・ミサキ)には、高位の霊的存在(カムイ)が棲んでいる、とアイヌたちは信じていました。

 3年にも及ぶコロナ禍は、ふだん見過ごしてきた日常生活に宿る生や力を再発見する機会を与えてくれます。猛威をふるうパンデミックによって多くの方が亡くなりました。そうしたパンデミックに前にすれば、詩作品など微力なものかもしれません。しかし、詩作品という小さな断片であっても、それは暗い状況に閉塞することなく生きる姿勢を教えてくれます。深い闇につつまれながら小道をたどる私たちの足もとを照らしてくれる灯りになってくれます。
 立ちすくむ私の背中を押してくれる吉田の詩を、私は美や叙情といったものの結晶としては解釈しません。喪失やそれに伴う虚無の中にあって、詩作品はたんなる鑑賞の対象にとどまるのでもありません。孤立したままになるのでもありません。われわれ読者たちからの呼びかけに応じて、秘めてきた生に向かう知恵や可能性を見せてくれます。そのたくわえてきた力を発揮する機会が来るのを待っています。

                  編集協力 KOINOBORI8

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