短歌・俳句におけるモノローグとディアローグ
草藉(し)きて臥すわが脈は方(ほう)十里寝(い)ねたる森の中心に搏つ
森鴎外 『鴎外全集』
我が足はかくこそ立てれ重心のあらむかぎりを私しつつ
森鴎外 同上
鴎外はドイツに医学留学し、日本の文化と異なる近代合理文明を知り、個人としての自我の確立を目指す。その後、社会において他者との軋轢も体験するなどして、新たな自我は葛藤することになる。掲載した二首の短歌では、「私」を中心に据えた活力に富む自画像が歌い上げられている。求心的に自己がさぐられていて、国家のエリートとしての鴎外の自負がうかがえる。
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
斎藤茂吉 『あらたま』
茂吉の自我はそれだけが純粋に描かれるのではなく、自我は対象と同一化される。掲出した歌では、自己を「一本の道」に重ね合わせている。ここでも歌は私によるモノローグになっている。夕日に赤く照らされた一本の道、この道を歩むことこそが私の生きる宿命なのだ、という茂吉の強い信念が歌われている。「たまきはる命」は、「限りある命」。
彼一語我一語秋深みかも
高浜虚子 『六百五十句』
俳句では、短歌とは異なり作者の自我の感情や体験をストレートに述べることは少なくなる。自己中心的な表現だけでなく、他者や自然との関わりのほうが前面に出てくる。
俳句の俳の非は、もともと「二つに分かれる」という意味で、俳は「左右に分かれて掛け合いの芸を行う人」になる。ふたつのものが取り合わされることによって、俳句の表現の幅は広く深くなる。この句では、深い秋の静けさに包まれて「彼」と「我」とのあいだでかろうじてディアローグが成り立っている。

行く我にとどまる汝(なれ)に秋二つ
正岡子規 『寒山落木』
「我」は子規のことで、故郷松山を後にして東京へ向かう。「汝」は親友の夏目漱石のことで、松山に中学校英語教師として留まる。前掲した虚子の句において相手は「彼」と表現されたが、子規にとって漱石の存在は「汝」としか書くことができないかけがえのないものであった。虚子は相手を「彼」という三人称で表現したが、子規は漱石をここでは二人称の「汝」で呼びかけていて、二人の関係が親密なものであったことがうかがわれる。一生続くことになる友情の一時的な惜別からも痛切なものが感じられる。漱石は子規の死後も、子規との深い友情を小説に書き続ける。
鶯(うぐいす)や板三打してすぐ返事
星野立子 『春雷』
鶯と板を打つ人との取り合わせ。鳥という自然も俳句の重要な取り合わせの構成要素だ。双方から相手に発せられる呼びかけの積極性が爽やか。余韻が続き、読者は次に起きる新たな展開を、共感をおぼえつつ想像する。
急(せ)く仔犬四肢もにぎやか七五三
香西照雄 『素志』
七五三では三つと五つの男児と、三つと七つの女児が祝われるが、そのはしゃぐ子供たちと同行する仔犬の四本の足が取り合わせられる。数字の七五三と子犬の脚の四がじゃれあってもいる。初冬の民族行事の祝祭的な賑やかさにはさらに千歳飴の千という数字まで参加するようだ。数字のリズム感に富む取り合わせが、さらなる数字の参加を呼び込もうとする。一見すると抽象的な数字にも、他の言葉と同様、生活の場における人の心の動きが包まれている。
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな
与謝蕪村 『蕪村句集』
五六騎が目指すのは、京都伏見の離宮鳥羽殿というよりも、吹き荒れる野分のほうだろう。少ない軍勢となって馬を走らせるのは、野分と戦おうとしているからだ。往時の合戦絵巻風のダイナミックな情景が目に浮かぶ。
下谷一寺浅草一寺冬霞
山口青邨 『露団々』
ふたつの町の静止画像だけが描かれているように思われるが、下谷と浅草の寺の鐘の音が、時に重なりつつ、それぞれの町の生活を少しずつ活性化してゆくようだ。下谷と浅草が俯瞰されるが、その境界も少し押し拡げられるかのようだ。
ひぐらしの一つが啼けば二つ啼き山みな声となりて明けゆく
四賀光子『麻ぎぬ』
もちろん短歌にも異なる二物を取り合わせた歌もある。つまり、ディアローグの傑作もある。なき交わす二羽のヒグラシはやがて目覚めた他のヒグラシとも声を交わし、その交響は夜の闇を払い、あたり一帯は快い声の一山となって現れ出る。取り合わせは時にそれまで気づかなかった新たな可能性を創出することになる。言語表現に秘められている驚異の生成能力!
